笑顔の綺麗な人 2008.11.23
2008年 11月 23日
「笑顔の綺麗な人」
「僕、奴隷だったんです。」
そう言って、彼は優しく笑いながら
静かに話しはじめました。

今から18年ほど前
彼がまだ11歳の少年だった頃
お母さんが亡くなりました。
貧しいから何もできませんでした。
そしてある日
少年たち子供5人を置いて
お父さんは、居なくなりました。

4人の小さな弟、妹たちを抱えて
少年は無我夢中に働きました。
毛布一枚持って駅で寝起きし
食べるためになんでもやりました。
カースト最下層の少年にできる仕事と言えば
不浄とされる仕事や、過酷な肉体労働
昼夜問わず、生きるためになんでもやりました。


小さな弟、妹たちのために毎日必死に働きました。
それでもほんの僅かな収入です。
弟、妹たちをなんとか食べさせるのに精一杯。
育ち盛りの少年は、黒砂糖をかじって空腹をしのいでいました。
今日一日生きのびるのにギリギリの毎日。
お腹がすいてすいて、どうにもならない時は
「(腰布を)ギューッて思いっきりお腹のところで縛るの。
そしたら、ググッとお腹がしまるでしょ。
100Kgの荷物もグンッと持ち上げられるの。」
そう言って、懐かしい思い出話しのように
優しいまなざしで、彼は語ります。

「今、僕が生きていられるのは、みんなのおかげ。
みんなの愛に支えられて、生きてこれたの。」

容赦なく照りつける太陽の下
毎日、毎日、重労働の畑堀りの仕事をしていた時
雇い主の、隣の家のおばあちゃんが
『ご飯は食べたのかい。』
と、声をかけてくれました。
「うん。ちょっと、ね。」と答える少年に

『それじゃあ、もうちょっとだけ、食べな。』
と、その隣の家のおばあちゃんが
昼ご飯を少しわけてくれました。
久しぶりに口にした食事。
少年にとって、どれだけ嬉しかった事か。
そして、どれほどありがたかった事か。
そのおばあちゃんの思いやりに
涙しました。
それは、辛くて辛くて毎夜ひとり
駅の片隅で、小さくうずくまりながら
流す涙とは違いました。

暖かいものが何か、胸の中に流れるのを感じました。



それからも少年は、死に物狂いに働きました。
そんな暮らしがどのくらい続いたのでしょう。

生きるのに必死だった少年も大人になり
耳の聞こえない弟を大学に行かせ
妹たちもみな育てあげ、幸せな家庭に嫁がせました。
いつしか彼には、大きな夢ができました。
「学校をつくろう。」
自分と同じ境遇の貧しい子供たちのために
彼らの先祖、誰ひとりとして
今まで「教育」を受けたことのない
カースト最下層の子供たちに
人生に「希望」というものがあることを教えよう。
2007年1月
インド ブッダガヤに、その学校 「ミネハハ・ヘルピング・フリー・エデュケイション・センター」は設立されました。

これは、設立者ダルさんのお話しです。
「色んな経験してきたでしょ、そのおかげで強くなれたの。
よかった。僕は、運がいい。」
そう言って笑うダルさんの笑顔は
本当に、とても綺麗です。
*上記写真すべて撮影:sukasippeさん
★お知らせ★
ミネハハヘルピングスクール設立者ダルさんをゲストにお迎えして
インドで天命を悟った石田久二氏が緊急チャリティートークライブを行います!
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インドでさらにパワーアップしたQさんと
笑顔の綺麗なダルさんに、ぜひとも皆さん会いにきてください!
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ちなみに右写真はダルさんと私ですが、この10分後にトークライブの構想が降りてきました。そしてその直後に帰国便の空港行きのバスに乗り込みました。
ありがとうございました。
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