バラナシの魅力 2008.10.20
2008年 10月 20日
と言うわけで、年内か年末まではセミナー封印のつもりでしたが、出版社からの要請もあり、ちょっぴり早めの再開となりました。と言うか、翌日が友達の結婚式でもあるので、それに合わせたのもあります。本当ならばインドから帰った翌週なので、もう少し時期を置きたいとも思ったのですが、逆にインドでパワーアップしたばかりなので、それまたいいタイミングかも、、、とも思っています。これから出版関係でも忙しくなりますが、年末にかけてまた全国行脚したいと思っています。大阪、名古屋、福岡、札幌など。ま、本が出たら、2週間は家に帰れず、講演やパーティ、書店周りなど忙しくなるから身を空けておくように言われてますが。
それにしても最後にセミナーをやったのが、7月末。それはクローズセミナーだったので、オープンセミナーとしては6月末以来です。7、8、9、10、11月と約5か月ぶり。ほぼ半年ですね。この間、本当にいろいろありました。
7月:営業開始
8月:雷に感電、執筆
9月:営業、営業、営業
10月:山崎さんの5か月セミナー終了などなど
11月:インド
そして10月27日は「悟り」でもあります。当初はその日に向けて滝行などして、悟りの日はお堂に籠ろうとか思ってましたが、現実、それが難しい日程となり、また、今それをしてもあまり意味ないかな、、なんて思っています。やっぱり自分のミッションに忠実に生きて、やるべきことをしっかりやる方が先決。とにかく今は「出版」という目的に向けて突き進むしかないです。何だかほんとにドキドキしてきました。
そしてあれよあれよと言う間に、インド行まで2週間を切ってしまいました。あと10日くらい。今回のメンバーは私入れて7名。男性3名、女性4名です。これくらいがちょうどいいですね。メンバーの中には文字通り人生の分岐点を迎えている人もいます。思えば私が3年前、会社を辞めた直後にインドに行ったのと似ています。しかし私にとってあのインドの旅は人生にとってもかけがえのない価値を持つものでした。もしもあの時、インドに行ってなかったら今の私はない、、、とさえ思っています。その辺り、、、私の本を読んで頂ければと思います。
今回のインド旅行、何度も言いますが、企画が立ち上がったのが昨年の8月。飲み会の席で思いつきのように言った言葉が、、、その翌日にはミクシィにコミュができていました。そして当初20名くらいの参加表明があったのですが、その後、現実的になるにつれメンバーが絞られて、最終的に7名になったのです。私にとっては3年ぶり4回目、他のメンバーにとっては初めてのインド旅行です。なぜに私がこんなにインドに惹かれるのかわかりません。行くたびに日本に帰りたくなるインド。でもしばらくするとまた行きたくなる。インドの魅力ってなんなのか。例えば周辺諸国で言えば、スリランカ、ベトナム、パキスタンなどありますが、それらにもう一度行きたいとはあまり思わないんですよね。パキスタンのフンザは行ってみたいですが、少なくとも一度は行ったことある場所にもう一度行きたいとは思いません。
もう一度行きたい場所、、、私にとってはニューヨーク、プラハ、アイルランドなどありますが、やっぱりインドは別格なんですよね。特にインドのバラナシは行くたびに訪れてます。今度で4回目。何があるんでしょうか。河があるだけ。そして世界で一番最悪な場所と言う人もいます。一方、世界で一番最高と言う人もいます。どっちなんでしょうか。どっちもだと思います。だからこそ魅力あるんでしょうね。
でもこれって人間も同じだかも。あたりさわりのない場所に魅力がないのと同様、あたりさわりのない人間にも魅力を感じません。私も昔は「誰からも好かれる人間」を目指したことはありますが、今となってはどうでもいいこと。先日、ある場所で「あなたはエネルギーが強すぎて受け入れられない」と言われたことがありますが、ではその人に受け入れられるためにエネルギーを弱めた方がいいのか、と言えば決してそうではありません。本当に弱めてしまったら、それはそれで他の人から「Qさんはエネルギーが弱くなった」なんて言われて、逆に離れていく人がいるのがオチですから。と言うことは、「受け入れられない」ってのも、私にとっては最大級の賛辞なんですね。
結局、私がバラナシに惹かれるのもそこにあるのかも。何度も行く人もいれば、嫌悪して二度と行かない人もいる。もしもバラナシがめちゃくちゃクリーンになって、シンガポールのようになってしまえば、間違いなく今の魅力はなくなるし、私も行きたいと思わなくなるでしょう。バラナシが今もなお、多くの旅人の心をとらえ続けているのは、やはりその「濃さ」なんでしょう。
遠藤周作の「深い河」という小説がありますが、ここの舞台はバラナシ。私も何度も読み返しました。遠藤周作は敬虔なクリスチャンとして育っており、キリスト教からすれば、ヒンズー教など真逆の価値観のように思えます。これは極端な一般化かもしれませんが、とにかく秩序がありません。もちろんそれはキリスト教から見る秩序であって、普遍的なものではないのでしょうが。遠藤の生涯のテーマでもあった「西」と「東」の価値観の矛盾と統合がこの小説で描かれています。「東」に住みながら「西」の価値観で育ってきた遠藤の葛藤。これは宗教に限らず、私たち日本人がある程度持っている葛藤かもしれません。
日本には日本の独特の文化や価値観がありますが、私らが学んできた価値観の大部分が「西」から輸入されたもの。音楽で言えば、12音階なんて西洋秩序の象徴みたいなもので、私らも物心ついた時から「ドレミ」で育ってきました。しかしインド音楽には西洋音楽でいう「微分音」みたいなのが普通に聞かれますし、それは日本の伝統的な音楽でも同じでしょう。この音は「ド」なのか「ド#」なのかはっきりしない、、、しかし、これこそが自然の音であり、人間にとって心地のよい音。その意味で、音痴の人って、めちゃくちゃ自然や宇宙と調和している、とするのは強引なのはわかっています。
話を戻しますが、バラナシの魅力をもう一つ言うとすれば、それは「ありのまま」の自分が受け入れられる世界だからかもしれません。戦後日本の教育、つまり西洋ナイズされた教育ってのは、「ありのまま」よりもむしろ定式化されたプロセスを難なくクリアすることに主眼が置かれ、そこではむしろ「ありのまま」は排除されていたように思います。そして人間本来の「ありのまま」ではなく、人工的に作られた制度やシステムに組み込まれた姿に心地よさを感じる、感じさせられている人にとっては、おそらくインドやバラナシは拒絶反応を示す場所になるでしょう。
音楽の話で例えると、極端な話、戦後日本の教育の着地点は12通りのパターンしかないことになります。つまり12の音階のままに。この人はド、この人はレ、この人はソ#など、12通りの秩序に当てはめて、きちんと当てはまる人はよし、当てはまらない人は落第。しかし人間が12通りなわけありません。ドとド#の中間とか、3分の1寄りとかがあってもいいのです。しかし教育はそれらを認めず、どっちかはっきりさせようとします。本当は違うのに、無理やり「ド」にさせられた。結局私もそうなんですね。浪人して予備校行きながらも勉強せず哲学書を読みふける。大学に入っても友達作らず(最初の1年)はなぜか勉強。卒業後は世界放浪。その後、紆余曲折して会社を辞めてフリーランス。「教育」という決められたシステムからすれば、とことんアウトローを走っています。ただ、それが「私」なのだし、私らしい「ありのまま」の生き方なんですね。
そしてこれだけは言えます。「ありのまま」の自分で生きている人の方が、人生は最高だと言うこと。さらに言えば、「ありのまま」で生きている人こそ宇宙から好かれやすいということ。なぜか。「ありのまま」とはすなわち自らの「使命」に直結したあり方であり、宇宙から与えられた「使命」に従って生きている人間が宇宙から嫌われるはずがありません。何があっても必ずサポートを受けるのです。その証拠が私です。
その意味で、何度も言いますが、バラナシという場所は「ありのまま」を素直に受け入れてくれる場所。だから魅力あるのです。私以外の6名はバラナシもインドも初めて。おそらく最初は拒絶反応を示すことでしょう。何人かは帰国するまでずっと拒絶反応を示したままでいるでしょう。しかし、帰国して改めて自分を振り返った時、「ありのまま」の自分と何か?が発見できるかもしれません。もしそうあれば、今回のインド旅行は何事にも代えがたい人生の輝きとなることでしょう。そして間違いなくそうなると思っています。それはもちろん私自身も含めて。
そんな私がインド帰国後一週間でセミナーを再開します。どんなことになるのやら。ただ、ひとつだけ決まっていることは、私はセミナーを通して、まさしく「ありのまま」や「自らの使命」への気づきをもたらしたいと思っています。今後、そんなセミナーや講演会を一貫して実践していきます。ありがとうございました。
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