中間がない 2004.5.26
2004年 05月 26日
私は車なので飲まなかったのですが、全体的にほんわかしたいい送別会だったと思います。
お酒は好きなので飲まずにいられるかと少し心配でしたが意外といけるものです。
飲めるときはいつも壊れてしまし、人に迷惑をかけるのですが、今日は落ち着いて会に参加することができました。
まあ、壊れた方が周りは面白がるのですが。。。
それでふと考えたのですが、私は生き方にどうも中間がないように思います。
今日のように本当に大人しくしているときもあれば、壊れて店から追い出されたこともあります。
それは単に飲んでいる飲んでいないの話ではありません。
例えば、会社を出る時間にしても、皆が帰る8時前後に帰ることはあまりなく、5時に突然帰るか、12時まで残業するかのどちらかです。
トータルの就業時間は他とあまり変わらないのですが、帰る時間がたまたま違っているだけで、なぜか目だってしまうのです。
そんな話は例をあげるといくらでも思いつきます。
世の中をうまく渡るには「中庸」がいいと言われます。
特に社会人になってから、周りのペースにあわせた方がよく思われるということは学びました。
しかしどうも「中間がない」生き方をしてしまうのです。
これはわざとやっているわけではないので、直そうと思っても直らないものです。
でも最近はそういう生き方も社会全体にとって必要なのではないかとも思っています。
経済が右肩上がりの時は、何もしなくても自然と世の中が発展し、給料も上がるという構図でしたが、今はそんなことは決してありません。
今は皆が「デフレ」という船に乗っているので、逆らわずにいたらどんどん下流に向かってしまいます。
その中で皆と違うオールのこぎ方をする人間は必要です。一時は停滞しながらもそこから突然斬新なこぎ方を開発することもありえるのです。
今さら弁証法の話を展開したいわけではないのですが、私はいつまでも社会に対する軽いアンチテーゼでいたいと考えています。