「ブッダ」を読み返す 2008.9.20
2008年 09月 20日
今日は久々に手塚治虫の「ブッダ」を全巻読み返してみました。何度か読んだことがあるにも関わらず、やはり新しい発見があります。私は手塚治虫の漫画の中では「ブッダ」と「火の鳥」がダントツで好きなんですが、両方とも壮大な宇宙観を語っていますよね。共通するテーマも多いです。
お釈迦様が仏教をひらく以前はインドではバラモン教が主教でした。ヒンズー教の前身となる宗教です(ヒンズー教が宗教であるかどうかは別として)。バラモン教(ヒンズー教)の特徴は「魂のご利益」と言ってもいいでしょう。つまり「永遠なる魂(アートマン)」なるものがあり、現世で苦しい思いをすればするほど、その魂は磨かれ「あの世」でいい思いができるという教えですね。だからこそ「苦行」なるものが重要になるのです。
それに対して仏教の特徴は「現世利益」と言っていいでしょう。これはキリスト教でも同じ。仏教はキリスト教と違って「輪廻転生」を否定しないものの、バラモン教の「永遠の魂(アートマン)」については否定的です。その存在を認めているかいないかは別として、教義の上では否定しています。バラモン教との違いを一言で言えば、バラモン教が「あの世」をメインとしているのに対し、仏教は「この世」がメインとなっています。ちなみに「現代スピリチュアル教」の特徴は「アートマン」と「現世利益」をミックスしたところにあると私は考えています。
それはともかく、仏教にしてもキリスト教にしても、その趣旨は「この世」をいかに生きるかを大切にしており、言ってしまえば「あの世」のことなどどうでもいいのです。否定しているわけではないにせよ、あくまでメインは「この世」です。ランドール博士が「5次元」という概念で「あの世」の存在を実証しようとしていますが、おそらくお釈迦様も「あの世」の存在をきちんと認めていたとは思われます。それでもやはり人間は「この世」で何をすべきが重要であり、仏教とはその方法論を解く「ノウハウ」だと私は考えるのです。
そして、その中心的なあり方が「中道」であり、苦も楽もその極端を目指すことなく、バランスの取れた生き方をせよ、ということ。それが「この世」で生きる、「この世」の使命をまっとうする一番良い方法なんだと説いています。これは私なりの言い方にすれば、「中道」=「自分らしい生き方」となります。
そもそも人間の「苦」とは自分らしくない部分から出てくると思われます。例えばイチローにとって野球のトレーニングは自分らしい生き方であるのに対し、私がそれと同じことをすれば「苦」以外の何ものでもありません。逆に何もしないで楽をひたすら求めて生きるのも、それが自分らしさとつながってなければ、逆に苦しい思いをするでしょう。私にとって営業の仕事は人々と関わることであり、それは自分らしいあり方だと思っています。もちろんやっている中で嫌なことがあったとしても、何もせずに家で寝ているよりはよっぽど楽です。また、セミナーや講演会などで人の前でしゃべることも私らしいあり方だと思っています。それ自体、何も無理していません。
しかし例えば私のブログを読んで影響を受けた人がいたとして、やりたくもない営業をやってみようと思ったり、無理してセミナーなどを開こうとしたりするのは、それがその人らしさとつながっていればいいのですが、そうでない限りは苦しいだけで、決して中道とは言えません。
しかし営業、セミナー、講演会などをするのは、私にとっては「中道」のあり方だと思っています。だからできるのです。もしかしたら「曲解」や「極論」と言われるかもしれませんが、お釈迦様の説く「中道」とは「自分らしいあり方」だと私は解釈しています。「自分らしさ」に中心軸があるのだとすれば(実際にはあるのですが)、そこからのブレが激しければ激しいほど、生き辛くなってくるでしょう。
ありきたりの考え方かもしれませんが、結局、「この世」を最高に生きるためには、「自分らしさ」とつながることが最も重要だと考えられます。そして極端な話、「自分らしさ」を見つけることが、「この世」における役割の一歩であるし、その「自分らしさ」に従って生きることこそが、「この世」の使命なんだと考えています。
じゃあ、「自分らしさ」って何?と言う話になるのですが、それは「見つける」ものではなく、「見つかる」ものだと思っています。見つけよう、見つけようとしている限りは、永遠に見つかりません。それよりも「今」することを「縁」だと考えて懸命にすること。その結果として、いずれは「自分らしさ」が「見つかる」のです。他人のチャネリングなんかに頼らずにね。
例えば「仕事」があるとしましょう。いかなる「仕事」であっても、それは「縁」によって与えられたのですから、まずは一生懸命に取り組んでみる。しかし、どんなに一生懸命に取り組んでも、何か不調和を感じて仕方がない。そうすれば「辞める」という選択肢も立派な取り組みになるわけです。人間の「運命」や「使命」は決まっているという考え方があります。たとえそうだとしても、人間の「意思」は「運命」や「使命」に対して自由です。ですので「縁」によって与えられた仕事であっても、それを辞めること自体が「運命・使命」に沿った生き方をするための試練の可能性があり、その上で本当に辞めるか嫌々続けるかの「意思」だけは自由に委ねられているわけです。
「自分らしさ」ってのは、「見つけた!」よりも「見つかった!」と言う方がしっくりくる気がします。そして本当に見つかるためには、やはり日々の行動、身体を使うことが重要だと考えるのです。なんだかんだ言って、何もせんより、やったもん勝ちですから。
そんで結局、世の中、成功している人、うまく言ってる人ってのは、全然無理してないし、無駄な努力もしていません。まさしく「中道」を歩んでいるのです。それでもやはり、その「中道」にたどり着くには、いろんな試行錯誤や努力があってもいいとは思います。いきなりワープするよりも、いろいろ知った上で「中道」にたどり着く方が、なんとなく説得力あるし、有難味もありますよね。
おっと、手塚治虫の「ブッダ」の話してたのに、また脇道にそれました。「ブッダ」にしても「火の鳥」にしても、よく出てくるのが、「人は死んだらどうなるのか」と言う話。仏教は「あの世」の存在を否定しているわけではないのですが、だからと言って「あの世とはこうです」とは言ってくれません。しかし手塚治虫の「ブッダ」にはそのヒントが見られます。一言で言えば「宇宙」に組み込まれるということ。その描写が手塚マンガならでは素晴らしさです。読んだことある人は分かるかもしれませんが、特にブッダが「悟り」を得るコマなどは、鳥肌が立ちます。一つは「第9章スジャータ」の中で、スジャータという女の子が死にかけた時、ブッダがスジャータの魂に入り込んでいくのですが、そこで素晴らしい光景に遭遇するのです。それが「宇宙」。
そしてもう一つの「悟り」が、いわゆる菩提樹の下で悟ったシーンです。ゴーダマ・シッタルダが「仏陀(悟った人)」になった瞬間ですね。これまた素晴らしい描写。その悟りの言葉が、、
「木や草や山や川がそこにあるように、人間も自然の中にあるからにはちゃんと意味があって生きている。あらゆるものと、つながりを持って。もし、おまえがこの世にいないならば何かが狂うだろう。おまえは重要な役目をしているのだ。」
と。少年漫画でここまでのことを言ってしまっていいのでしょうか。つまり人間には生まれ持って固有の「役目(使命)」があり、そして生きていること自体がその「使命」であること。さらにあらゆるものは「つながり」を持って一つの生命体を形成しているということ。そしてそれが「宇宙」であると。
「ブッダ」を初めて読んだのは中学か高校の時だったと思うのですが、今、改めて読み直してみると、凄いことを言っていることに気づかされます。私が今一番探究したいと思っているのも、まさにこれ。人間の「使命」とは何か、と言う話です。もちろん存在していること自体が「使命」であることは間違いないのですが、それに対して自覚的に生きることの大切さ、そしてそれを自覚すると言うことは、すなわち「使命」にも気づくということ。さらに言えば、生かされていることに「感謝」することこそが、自分の「使命」に直結したあり方だということ。う~ん、深い漫画です。やっぱり。
そもそも私の「元型」となる物語として、まずは「ドラえもん」があるのですが、「ブッダ」や「火の鳥」も非常に重要な位置にあります。高校を卒業するまでは、本というものをほとんど読んだことがありませんでしたが、漫画だけは読んでいました。その中心となるのが、やはり手塚治虫であり藤子不二雄であったように思います(他はゆでたまご)。それらの漫画を通して、私の深い好奇心を刺激していたのか、それがベースとなって、高校卒業して浪人すると同時に哲学書を読みあさるようになったのです。結局、自分の「元型」ってのは、20歳くらいまでに形成されるように思います。
そんなわけで、久々に読んだ「ブッダ」に感動したわけですが、「ブッダ」と言えばやっぱり「インド」です。20歳でインドに行ったのも、やはり必然的だったのかも。そんで今までで3回、11月で4回目になるのですが、お釈迦様が何人かの弟子と行動をともにしていたように、私も4回目のインド巡礼はグループになります。しかも35歳8か月目を迎えた一週間後。それもお釈迦様が悟ったブッダガヤに行きます。自分とお釈迦様を比べるのは、あまりにぞんざいな気もしますが、それでも何かの意味があるように思えてなりません。何かが起こる。
ところでインドのことばかり気にしていたら、ユーチューブに面白い動画がアップされていました。続きを見たいと思っていた「東野・岡村インドの旅」です。すぐに削除されるでしょうが、こちらがそれです(ミクシィではこちら)。面白かったです。部屋で一人で爆笑していたら、気になったのかツレがやってきました。それがインドの番組だとわかると、また首を絞められました。インドばかり~!って感じで。
それはともかく「ブッダ」はやはり必読の書だと思います。また、日をおいて読み返したいと思います。
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「今」
が大切だと思います。
どうなんだろう。う~ん。
20日にアマゾンに発注し22日に届いたのです。
シンクロニシティを感じます。。。
ちなみに私が今回購入したきっかけは、
玄侑宗久が監修した「マンガ仏教入門」を読んでいたとき、
妻から「ブッダ」の大絶賛を聞いたからです。
今日は、強い影響を受けてか、少しボンヤリしています(笑)
「火の鳥」もそうですが、晩年の手塚作品はすごいですね。
必読の書、、、賛同いたします。
日をおいて私も読み返したいと思っています。
私も、、、、そう、思います!
「ブッダ」は確かに脚色している部分もありますが、
ほとんどが実際のエピソードを元に書かれた実話です。
あのような人物が地球上にいたことが奇跡。
「ブッダ」は本当に学びになると思います。