苫米地英人の自伝から・・ 2008.9.17
2008年 09月 17日
今日も何軒か回ったのですが、どうしても取れない物理的に不可能なところは別として、それ以外の場所ではまったく断られることがなくなりました。おそらく加賀田式に加えて、断られないトークを身につけたのだと思います。また、不可能なところにしても、不可能だとわかるまでは、かなりいい感じで商談も進んでいます。私自身、あらゆる営業を経験したわけではありませんが、「営業」はやり方を知れば簡単だ、と実感として言えるようになっています。
ところで今日の営業では途中、アポの関係でしばらく空き時間がありました。その時間、ちょっと読書をして、おかげ様で一冊読み終えました。かなり面白かったです。この方の本は最近、ちょっと出過ぎてて、おおよそどれを読んでも同じようなことが書かれてあるので、最近は本屋で見つけたら立ち読みで済ませていました。以前はかなり読んでいて共感する部分も多かったのですが。また、近頃は「楽して欲求」を刺激するような英語学習本を出したりして、なんとなく離れていた部分もありました。実際、その本は読んでみたのですが、結局は日常的に英語と接していろ、という当たり前の話ではありました。ただ、2冊目のCD付の本はまだ読んでいません。聞くところによると、そのCDを聞くだけで英語脳になれるとか、「楽して英語をマスターしたい」という欲求を存分に刺激するものです。もっとも私自身がしっかりと試していないので、何とも言えないのも事実ですが。。。
で、誰の本を読んだかと言うと、そう、苫米地英人さんの本です。とにかくまあ、本人が書いているのか、ライターが書いているのかわかりませんが、今年だけでも何冊出たでしょうか。凄いペースです。先ほども言ったように、最近は割と立ち読みで済ませていたことが多かったのですが、今回、久々に買って読んでみました。それは「自伝ドクター苫米地「脳の履歴書」―この「成功哲学」に学べ」という、言わば苫米地氏の自叙伝です。これまた、どこまでがほんとでどこまでがウソなのか疑うくらいに面白かったです。しかし、ここまで具体的に実名を出していろんなことを書いている以上、嘘や妄想では済まされないでしょうから、ほとんどが実話なんだと思います。私的には苫米地氏の歯に衣着せぬ物言いが面白かったりします。以前の「スピリチュアリズム」でもそうですが、実際、彼の話を聞くと、今流行りの「スピリチュアル」がどこまでバカバカしいかよく分かります。例えば、苫米地氏も再三話題にしている、江原啓之さんに対してなど、まさにけちょんけちょんです。でも、その内容もうなずけるものが多いです。論理をつつくときりがないのですが、そもそもバラエティ番組に出ている程度の霊能者(本物かどうかは別として)など霊能者として取るに足らない存在なのです。実際、私自身も、いわゆる「本物の霊能者(目に見えない世界がわかる人)」がまったくいないとは思っていません。しかし、苫米地氏も言うように、「本物の霊能者」だとすれば、いわゆる「当局」に連れて行かれ、そこでいろんな捜査に協力させられるはずです。現にそうやって解決した事件なども過去にいくつもあったそうです。ジュセリーノなどもそうですね。彼は事件や災害が起こってから、後出し的に「裏付け」となる資料を作っていた、、、と言う事実が明らかになったようですし。江原啓之にしてもジュセリーノにしても、結局は視聴率稼ぎのタレントの一人でしかないわけです。そんな番組見ているくらいなら、韓国ドラマのDVDを見ている方が建設的です。
ま、そんな話はともかく、苫米地氏の自叙伝を読むと、とんでもなくスケールの大きな話、いわゆる庶民には手の届かないような話のオンパレードで、ある意味、爽快感がありました。ロックフェラーから秘密のバーに連れて行ってもらったとか諸々。あと、これも有名な話ですが、本物のディベートを日本に持ち込んだのも苫米地氏の功績であり、そこで学んでいたのがオウムの上祐だったとか。そういう裏話的なのも含めて面白かったです。
しかし、私が苫米地氏に一番共感するところは別にあります。よくぞ言ってくれたと溜飲の下るような。それは何かと言うと、一言で「抽象度を高めろ」と言う話。これには100%共感します。どういうことかと言うと、ようするに抽象的な思考ができないのはアホであるし、世の中のいろんな現象を一つ上の抽象レベルで解釈できないようでは、人生をうまく送ることはできない、ということです。具体的に言うと、財布を落としたと言う事実は事実ですが、抽象レベルで解釈すると、どこかに財布を拾った人がおり、言ってみれば「持てるもの」から「持たざるもの」への資源の再配分だと考えられるわけです。もしも拾った人が「持てるもの」であれば、交番に届けるでしょうし、そのままネコババする人であれば、貧しい人へ寄付したと思えばいい、しかし、ひとり犯罪者を作ってしまった、、、という禍根は残すわけですが。
そうやって何でもかんでも一つレベルの高い「抽象的な領域」で物事を考える癖をつければ、正直、悩みなどなくなります。そして物事は全てハッピーになってしまいます。しかし、そもそもそのような抽象的な思考をするには「訓練」が必要になります。その「訓練」は、実は誰もが学生時代にやってきたことでもあります。読み書き算盤を始めとして、実生活に役に立たないと言われ続けている微分積分なんかもそう。あと、「歴史」や「哲学」などもその典型ですね。過去のことを知ってどうする、、、なんてへ理屈言う人もいますが(昔の私のように)、歴史を知るって現在や未来に対して抽象的な解釈する上で、ものすごく重要です。おそらくこれから先も「宮本武蔵」や「坂本竜馬」と同じような時代が来ることはないでしょうが、彼らのエッセンスは未来永劫生き続けることと思われます。それを「私はサムライじゃない」なんて言って切り捨てるのは愚の骨頂でしょう。
哲学などもそう。デカルト、カント、ヘーゲル、キルケゴール、マルクス、フッサールなどが何を言ったか、何をしたか、、、そんなの確かに実生活には役に立たないかもしれません。しかし例えば、本当の意味での「精神世界(スピリチュアル)」を探求したいのであれば、デカルトとフッサールくらいは必ず読んでおくべきです。なぜかは言いませんが、私自身が20歳前後のとき、これらの哲学や思想をかなり深く読み込んだ時期があったからこそ言えるわけです。「精神世界」の一つの頂点と言えるルドルフ・シュタイナーなども、本当に理解しようと思えば、カントは避けることはできませんし、さらに言えば、彼の師の一人であるブレンターノなども読んでおく必要があるのです。実際、ブレンターノこそが「現実世界」と「精神世界」のターニングポイントだと言う事実を知る人は多くないと思います。少なくとも私はそのように解釈しています。ですので、こういう哲学的なベースや抽象思考のできない人が「オーラの泉」などを見てしまうと、すぐにそのまま真に受けてしまうのです。
苫米地氏の言うように、これからの日本を真剣に考えるのであれば、大学やそれ以前における「基礎学問」こそが重要だと思っています。「実生活に役に立たない」と言うだけで切り捨てるのは、あまりにも乱暴です。実際、10代の時期から実生活に役立つ勉強をして何になるのでしょうか。そんなのは実際には働き始めてからで十分です。例えば高校で福祉現場のプロパーを育成するようなカリキュラムがあると聞きますが、そんな若い時期から人生の可能性を狭めてどうするんだ、と思ってしまいます。現場は現場で重要でしょうが、実際、現場の代わりなどいくらでもいます。それよりも重要なのは、将来の「福祉」はどうあるべきか考えること、そしてそれを実現することだと思っています。それを考え、実行するために必要なのが、基礎学問なのです。
そう言う意味で、基礎学問の大切さをしきりに力説する苫米地英人にはかなり共感するわけですね。いろんな意味で話題の人ではありますが、まだまだフォローしておく必要はありそうです。
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私は「努力はいらない!『夢』実現脳の作り方」の方を読んでいます。
今夜は生・苫米地氏に会いに行って来ます。
シュタイナーも読み始めます。昨日届きました。
今時の食材の宅配業者は、意識の高い会社ですと、シュタイナーの配本までします。
業界、業種を問わず、意識の高いものだけが繋がって行くようですねぇ・・・。
