自由のキャンパス 2008.9.8
2008年 09月 08日
11月1日。あと2か月とちょっと先ですが、それまでの間にいろんなことが起こりそうです。実際、予定されているイベントだけでもたくさん。今月末は東京に行きますし、来月も大阪やらちょっとしたツアーやらいろいろです。思うに、人間は動くたびに成長しているんだな、と。動いている限り、悩みが入る余地はありません。つまり困ったことは起こりません。もちろん人生、いいこともあれば悪いこともあります。しかしそれはあくまで表面上のこと。そして本来、起こったことは無色透明の何の意味もないこと。
例えば何度も出てくることですが、8月半ばに雷に感電して10日ほど安静にしましたが、その出来事自体も無色透明。いいことでも悪いこともでもないのです。それが何かの意味を持つように考えてしまうのは、単にその人が着色、つまり意味付けをしているだけ。「雷事件」にしても、中にはネガティブなフィードバックをする人もいれば、とても力強い意味付けをする人もいました。そして真実は単純にその人の中にあるだけ。雷事件によって時間や治療費の損失だけに考えるのであれば、その人は永遠にそれだけのこと。しかし安静にしていたおかげで執筆は進んだし、いろんな気づきも得たしで、ものすごい価値あるできごとだったな~と思えば、その人の真実はそうなるんです。もちろん私は後者。
つまり何が起ころうとも、いいこと、悪いことなんて、自分で決めているだけ。そして決めたことが真実になっているだけなのです。昨日、山崎さんのセミナーの午前中、いろんな話を聞けました。山崎さんの悲惨だった話など。正直、ああはなりたくないと思ったりはしますけど、結局、それがあったから今の山崎さんがあったのだな、つまり自分の進むべき道に忠実でいただけで、どんな悲惨なことであっても、それは成功の前触れと考えることもできるのだな、と。きっと当時の山崎さんもそう考えていたと思います。
そして考えてみれば、私もそうです。「困ったことが起こらない」と言いますが、実際、ミクロなレベルで言えば、多少は困ったことも起こります。客観的に見れば。親しかった人が離れて行ったり、仕事がうまくいかなかったり。しかしそんな出来事さえも、最終的には自分の肥しになるし、そのことに感謝したくなる出来事に代わるのです。いや、その時にこそ「感謝」すべきなんでしょう。
五日市剛さんが「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の中で、「よくないことが起こったら『ありがとう』」という話をしていますが、まさしくそれ。一見、「よくないこと」であっても、それに「ありがとう」という着色をすれば、それはすぐさま本当にそうなるのです。不思議ですが、それが世の中。真実はどこに在るのかというと、結局はその人の「中」にあるのです。そして人は事実を自由に着色できる「自由意思」を持っているのです。そしてそれだけが「真実」なのでしょう。
すべては「自由」なんやな、と。それを「自由」でなくしているのは、自分自身。嫌なことがあっても、それを「嫌なこと」で終わらせてしまうか、または「感謝すべきこと」でとらえるか。その「自由」が常に自分自身に与えられているのです。
そして「人生」や「世の中」という無色透明のキャンパスに対し、我々は「自由」に好き勝手描くことができるわけです。そうやって生きていくと、ますます楽しくなるんやないでしょうか。さあ、明日はどんな「絵」を描こうかな。そうやってワクワクと生きていきたいものです。今日はこの辺で。
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良いも悪いもない。。確かにそうですね
あらゆる出来事は無色透明!!
それは、あらゆる出来事に表裏があるとも言えますし、とどのつまりは、いいことしか起こらないとも言えちゃうわけですよ~。
悪い時こそ「有り難き幸せ=ありがとう」だし、いい時こそ「おかげさま」「感謝」ですよね。
いつもありがとうございます。