ヤバい!チャネった?! 2008.8.28
2008年 08月 28日
おかげ様で私の方も原稿が随分と進み、集中してできたこともあるので、かなりいい感じになってる気がします。こう言うのは、やっぱり一気に書くのがいいですね。ようは乗ってるときに一気に書く。一日何ページとか計画的に進めるのは、私の性に合わないと言うか、そんなに細々とやっていたらエンジンがかかりません。エンジンが温もるまではちょっと時間もかかるし、せっかく温もったら、オーバーヒートするまで書き続けるのがいいように思います。最近はちょうどそんな感じで書き進めています。
この調子だと予告通り今月中には一応は書き終わって、来月には出版社と再び打合せができそうです。そうなると東京行き。最近、セミナーをやっていないこともあり、参加者の皆さんが集まる機会もちょっと減っています。だからではないでしょうが、いつの間にかミクシィなんかで、私のセミナーをきっかけに集まった人たち同士の交流のためのコミュがいろんなところでできています。一応、見つけたら私も入っているのですが、肝心の飲み会にはなかなか参加できません。ですので、東京とか静岡とか、いろんなところでそれぞれ集まって楽しんでいるようです。
だからじゃありませんが、私も用事で東京に行った時には、ぜひ参加したいと思っています。とりあえず来月頭に大阪に帰るので、そん時にこっそりと呼びかけをしています。ミクシィで。これまでセミナーに参加されたことのある方限定で。ブログで呼びかけると面倒なので、ミクシィを最大限に活用しています。そんで福岡でも時々やっています。
でもまあ、正直、早くセミナーを再開したい気持ちはあります。だけど今は、とにかく充電中。リアルな営業で成果をあげて、本も出版して、11月にインドにも行って。こうやっていろんなリソースを凝縮してから、来年一月から再び全国行脚がスタートします。その時には本も出ていると思いますので、今よりももっと大規模になるかもしれません。
とにかく私の来年からの予定は、まず年内で一冊目を出して、それを機に次々とオファーを受けるのです。正直、書きたいことはいろいろありますし。できれば11月のインド旅行をネタにも書きたいとも思っています。同時に講演会もオファーをどんどん受けます。つまり来年からは作家と講演家というアイデンティティで行くわけですね。もちろん企業研修なんかもやっていきます。今はとにかくそうなるための最後の下準備ということです。今年もあと4ヶ月ちょっとですが、バラ色の2009年になりそうです。で、こう言うことを書いていると、必ず実現するんですね、これが。いつか「ブログを続ければ願いは叶う!」みたいな本を書こうと思っています。とりあえず一冊目は、私自身のリソースを絞って絞って絞りまくって出す感じです。ですので、滝行とかインドとか、そんな話も出てくるでしょうし、どちらかと言うとスピリチュアルよりの本になるかもしれません。今現段階では自分でもなかなか面白い本になりそうと思っています。あと3日で8月も終わるので、その間にとりあえず書きあげて、実りの秋を迎えたいと思います。
ところで右足の方ですが、、、実は完全復活してしまいました。もう走れますし、山登りもOKです。来月から営業も復活です。思いました。やっぱり病院には行くべきだと。そして医者の言うことをよく聞くべきだと。今回はほっとけば治るみたいな気持ちで、痛いの我慢して勝手にストレッチとかしてましたし。するとふくらはぎが逆に悪化して、歩けない状態になってしまいました。時々、特にスピリチュアル系の人の中には、薬は毒だとか、医者は儲けばかり考えて信用できん、とか言う人がいますが、それは大変な傲慢だと思います。確かにそう言う側面はあるでしょうが、そうでない側面の方が実際にははるかに大きいのです。医者は何のためにあるのか。もちろん病気や怪我を治すため。それが医者の使命であり、もしその使命に従ったあり方でなければ、早晩、その医者は淘汰されます。それが宇宙の理屈やと、私は思っています。
そして幸い、私は使命に従った生き方をしている医者にしか会ったことがないので助かっています。そもそも「お金儲け」ってのは、それが第一目的にはならないはずです。使命に従った生き方をしていると、出したエネルギーに応じて後から付いてくるもの。それが「お金」だと思っています。
最近のブログではやたらと「使命」という言葉が出てきますが、生まれつきそのような、決められた「使命」があるのかどうか実証はできませんが、私は「ある」という前提で生きた方がいいと思っています。その辺の話、今書いている本にも出てきますが、ある時、「これが私の使命なんだ・・・」と思う瞬間が人生の中で出てくる、それが本当の「幸せ」なんだと思っています。
既に紹介しましたが、最近、とても影響を受けた本があります。マルロ・モーガンと言う人が書いた「ミュータント・メッセージ」と言う本です。あるアメリカ人女性がオーストラリアのアボリジニの一族と一緒に旅をする話ですが、それが実話かどうかはさておき(私はほとんど実話だと思っていますが)、非常に重要なメッセージが散りばめられたスゴイ本だと思っています。私は何度も読んで、マーカーもたくさんして、一つひとつの言葉に深く深く考えています。その中にこんな話がありますので、引用します。
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ひとりの男が私に質問した。宇宙から与えられた才能を知らないまま一生を送る人がいるというのは本当なのか? 私の患者のなかに人とひき比べて自分は不幸だと感じて落ち込んでいる人がいることを認めないわけにはいかなかった。そう、自分には才能がないと思っているミュータントはおおぜいいる、死ぬときまで人生の目的を考えない人が多い、と私は答えた。質問した男は首を横にふりながら目に大粒の涙を浮かべた。そんなことはとても信じられないという表情だった。
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ここで出てくる「ひとりの男」とは「真実の生き方」をするアボリジニの男であり、「ミュータント」とはいわゆる文明人みたいなものです。そして我々(現代日本人)もどちからというと「ミュータント」であると考えられます。この本を端から鵜呑みにするわけではありませんが、「宇宙から与えられた才能」や「人生の目的」というものははたして存在するか、と言われれば、私は「存在する」と答えたいと思っています。
それを客観的に証明する方法はおそらく永遠にないと思います。もしあるとすれば、自分自身がそれを認めているか、認めていないか、という主観的判断に過ぎません。つまり自分で「使命」に従って生きていると思えばそうであろうし、違う場合は違うのです。
しかしもし、「使命」は存在しないと考えるのであれば、人間として生まれてきた意味もありません。ルドルフ・シュタイナーによると、人間とそれ以外の存在(動物、植物、鉱物)との違いは、「自我」があるかどうかであると言います。これは仮説ではありますが、「生まれ変わり」があるとすれば、「動物」が「人間」に生まれ変わることはあっても、その逆はないと思っています。そもそも「人間」の生まれ変わりを極限まで遡れば、誰もが「鉱物」になると考えています。
実はこれ、、、方法論は確かではないのですが、キネシオロジーというやり方で調べたことがあります。しかもそれは19歳の時。今でこそキネシオロジーのことを知っている人は多いと思いますが、私が19歳、つまり16年ほど前は日本ではほとんど知られてなかったと思います。ただ、面白いことにキネシオロジーを日本に広めた人の一人から私は英語を教わっていたことがあり、胡散臭いと思いながらも、興味は持っていました。そしてその予備校の教授室なんかでキネシオロジーのセッションなどをしてくれたのですが、ある生徒の前世を遡った際、プラチナまで行きついたのです。本人は「おれ、プラチナだって~」とか言って喜んでいましたが、今思うと、結局、誰もが極限まで遡ればそんな話になるのかな、と仮説を立てることはできます。
ですので、「生まれ変わり」の順番をもし示すとなると、この通り、鉱物、植物、動物となり、地球上では最後に「人間」になると考えられます。それが地球という修行の場に与えられた「魂の段階」なのでしょう。そしてその「魂の段階」を経て、「人間以上の存在」になった時、もはや地球に生まれ変わることはありません。「人間以上の存在」になった人とは例えばお釈迦様、イエス・キリスト、モハメッドなどが代表ですが、それ以外にもバッハやモーツァルトなんかもそうでしょう。いわゆるとんでもない偉業を残した人なんかは、それ以上生まれ変わる必要もないのです。修行する必要もないです。なのでオームの麻原の「私はブッダの生まれ変わりである」みたいな言葉、そもそも信じるのがアホなのです。頭のいい人がなんでそんな言葉信じるのか不思議です。
そして「人間以上の存在」になった人たちは次にどこに行くのか。宇宙の中に組み込まれます。そもそも宇宙は何のためにあるのか。永遠の問いだと思いますが、とにかく今、宇宙がある以上、宇宙の使命は「進化」することにあると考えています。ビックバン以降、宇宙が膨張し続けていることは知られています。そしてこの膨張こそが「進化」であり、わかりやすく言えば、「人間以上の存在」になった人は「星」になるのです。すいません、ぶっ飛び過ぎました。密教の世界で言えば「如来」になります。お釈迦様は2500年前、インドに実在した人物ですが、密教の世界では「釈迦如来」となって宇宙に組み込まれています。そして宇宙の進化をサポートしています。
もうちょっとぶっ飛んだ話を続けます。宇宙に「星」はそれこそ星の数ほどあります。実はこの「星」ってのは、我々の言う「魂」と同義なんです。すいません、ちょっとチャネリングしちゃいました。よく「○○の星の下に生まれた」なんて言い方をしますが、これ、ものすごく正しい言い方。言葉にはすべて意味があります。とりわけよく言われる言葉には、その奥深くに重要な意味があります。「星の下に生まれた」も同様。わかりやすく言えば、「星」にも親戚縁者があります。そして地球人はすべて縁のある「星」の下に生まれています。「人類みな兄弟」とはこのことを言うのです。
そしてさらにこの地球上でリアルに会っている人たち、それはさらに縁の深い「星」の下で生まれています。なので何度生まれ変わっても、縁から切り離されないわけです。「あなたの前世は・・」みたいな話をそのまま鵜呑みにするわけではありませんが、今生でご縁のある人は前世でもご縁があったのです。夫婦だったり親子だったり師弟であったり友達であったり同じ部族であったり。
マンションのお隣さんもそうです。深いご縁の「星」の下で生まれているからこそお隣さんなのです。会社の上司も部下も、嫌な取引先も、一見のお客さんも、元を辿れば縁の深い「星(星雲)」の住人。そう考えると、何かええ感じしますよね。私なんかもそう考えながらお客さんと会ったり、セミナーやったりしているので、会う人会う人が愛おしくなることさえあります。もちろん突っぱねる場合もありますが、それはそれで愛の表現の一つです。
そしてある「星」から「魂」という形でいろんな「星」に派遣されます。私の場合で言えば、派遣先が「地球」なんです。そんで派遣先の地球で修行をさせられます。最初は鉱物から。そして植物、動物と生まれ変わって、今、最終段階一歩手前の「人間」になってるわけです。鉱物には鉱物の使命があります。植物には植物の使命があります。動物にも動物の使命があります。鉱物の使命は物体として存在すること。植物の使命は永遠でない生命を経験すること。動物の使命はより高度な感情を経験すること。そして人間の使命は「自我」を生きることです。
この辺の話はシュタイナーを知っていればしっくりくる話でしょう。そして段階に応じて使命を果たしながら「魂」が磨かれていき、最終段階一歩手前の「人間」は「自我」をコントロールしながらその使命を行きます。ではそこでの「使命」とはなにか。一言で言うと、使命とは「やりたいこと」なんです。「やりたいこと」を決めるのは「自我」です。「あなたは何がやりたいのですか?」と質問されたら考えるでしょう。それが自我の働きです。そして「やりたいこと」がわかった場合、それをするのも自我の働き。やり続けるのも自我の働き。そうやって「やりたいこと」をずっとやった人間こそが、宇宙から与えられた「使命」を全うすることができるのです。
お釈迦様のやりたこと、イエスのやりたいこと、モーツァルトのやりたいこと、エジソンのやりたいこと、ライト兄弟のやりたいこと、アインシュタインのやりたいこと、マザーテレサのやりたいこと、、彼ら彼女らはそれらの「やりたいこと」をやり尽くしたから偉大なのです。そして彼らは「星」に戻っていきました。いや、「魂」が「星」と言う存在に昇華されて宇宙に組み込まれて行ったのです。
人が死ぬと「あの人は星になったのよ・・キラッ!」みたいな話がよくありますが、まさしくそれ。だけどほとんどの人は「すいません、、、星になれんで、また戻ってきました・・ペコリ」みたいな感じで生まれ変わります。
ですので、もう一度言います。「使命」に従った生き方がしたいのであれば、まずは「やりたいこと」を見つけること、そして実行すること。そこでもし「使命」に従った生き方ができているのであれば、宇宙はそれをサポートし始めます。お金が必要ならなんぼでも入ってきます。人材が必要ならなんぼでもよってきます。
私の例で言います。私は「やりたいこと」が人よりもできていると思います。私の「やりたいこと」は少なくとも建設会社の社員ではありませんでした。今、フリーランスでコーチングやったりセミナーやったり執筆したり、そしてブログを書いたりしています。これが現段階での私の「やりたいこと」です。で、この3年間、それやってたら、、、これはもう、宇宙からのサポート受けまくりです。お金?不思議と入ってきます。人?不思議と必要な人と出会っています。自分の理性を超えた何か、奇跡をたくさん経験しています。加賀田晃氏と会ったのも奇跡と思いますよね。しかもご近所住まいとか。鳥居祐一さんとご縁を頂いたのも、今思うと奇跡です。なぜ、あのタイミングで会ったのか。考えると鳥肌立ちます。
結局、私は「やりたいこと」に素直に従っていただけ。しかし、ご存じのように「やりたいこと」ってそんなに簡単にはできないですよね。簡単ならみんなやってます。いや、本当は簡単なんですが、簡単と思ってないだけです。わかりやすく言えば、会社の仕事、、、本当に「やりたいこと」ですか。もちろんそれが本当の「やりたいこと」だと言う人もたくさんいるでしょう。しかし昔の私がそうであったように、必ずしも「やりたいこと」ではないかもしれません。生活のために嫌々やっている人も少なくないでしょう。だから多くの人は「やりたくないこと」を優先してしまいます。「やりたいこと」やるのって、表面的なリスク多いですからね。しかも、それやってても苦しいことたくさんです。私の知り合いの脚本家の方なんて、それが本来の「やりたいこと」なんでしょうが、毎回毎回苦しんでいます。でも、その苦しみを乗り越えて、書き終わって、それが舞台の形になった時、それはもう、例えられないほどの喜びみたいです。
そしてその真の喜びによって「魂」は磨かれるわけです。そしてさらに磨くために次の課題が与えられるんです。その際、お金がたくさん入ってきたりして、その準備をさせられます。そんでまた新しい課題に取り組んで苦しみます。そして乗り越えます。その時にお金もまた入ってきます。その繰り返し。
今日は「お金」の話から「使命」の話になり、かなりぶっ飛んだ深い内容になっちゃいましたが、これ、すべて今書きながら降りてきた内容です。ある意味、チャネリングしちゃってます。この話を信じるか信じないかは自由。でも信じた方がいいと思えば信じてみてください。信じたくなければそれで結構。
ただ、私は信じています。人は生まれながらに「使命」を持って生きています。そしてその「使命」を果たすことが人間としての意味であり、その「使命」とは通常「やりたいこと」として現れるもの。しかし「やりたいこと」をやるのは、そんなに簡単ではありません。始めるのもリスクあれば、続けるのも苦しいです。それでもそれをやり切った時は、とんでもない喜びが与えられます。ついでにお金もたくさん入ってきます。
ちょっとだけインドの話させてください。私、11月にインドに行きたいです。でも、もしかしたらそれを拒む要因が出てくるかもしれません。それでも私は「やりたいこと」なので行った方がいいと思っています。そしていろんな障壁を乗り越えてインドに行ってきた私、、、とても輝いているだろうな~と思います。
本もそう。たぶん本出したら鬱陶しいことがたくさんあると思います。このブログのアクセスもやたらと増え、誹謗中傷も今以上に増えるでしょう。変な奴もよってくるかもしれません。つまり今よりも嫌なことは増えるでしょう。それでもそれに何倍にも勝る喜びがあることを知っているからこそ、私は出します。そしてそれはまぎれもなく、私の「やりたいこと」なのですから。
というわけで、今日はちょっと深い話になってしまいましたね。医者の話からこんな展開。どうも書かされてる感があるのですが、気のせいでしょうか。ではまた明日。
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