業界について思う 2004.8.18
2004年 08月 18日
さらに付け加えますが、建設業界の仕事というのは大半が役所から仕事をもらっているため、資金の大部分はもともと国民の税金となります。しかし、近年は構造改革が進むさなか、税金の無駄な支出を避けるのは、公的セクターの大きな課題の一つとなっています。そしてこれまで、その「無駄」を引き起こす大きな要因として、いわゆる「談合」というのがありました。建設業界に携わっておきながら「談合」のことを書くのは本来タブーです。しかし、いい社会を築いていくために勇気を振り絞って書くことにします。
談合の意味についてはここやここを参照して頂きたいのですが、建設業界にとって談合は「公然の秘密」であり、「必要悪」なものとして横行してきました。その前に、整理したいのですが、談合には大まかに二種類あります。一つ目はいわゆる「官製談合」と言うやつです。これは、役所の側が本来かかる仕事の経費以上の予算を計上して、特定の業者に入札の際の便宜を図って、その業者に仕事を取らせます。すると業者側は余分にお金が入ってきて丸儲けでき、役所の側は定年になってもその業者に雇ってもらい(いわゆる天下り)、毎日、新聞を読むだけで高給を得られるという仕組みができます。その業者の丸儲け分と、OBの給料は言うまでもなく税金であり、これは「無駄」の最たるものであり、決して容認できることではありません。
そして、もう一つの談合として、いわゆる「業者間談合」というのがあります。これは、ある仕事に対して、入札の際に指名された業者同士が裏でつるんで、あらかじめ落札者を決めておくやり方です。そうすると、予定価格に限りなく近い金額で裏落札者が仕事を取ることができます。その裏落札者の決め方は、テリトリーによって異なり、順番の持ち回りであったり、営業努力であったりするのですが、いずれにしても談合は談合です。
私がここで問題にしているのは後者の「業者間談合」です(前者は言語道断です)。これは本当に「悪」かという話があります。なぜなら、裏落札者を決めるのが「営業努力」だとしたら、そうなるために、相当な「営業」をすることになると思われます。多くは、発注者(役所)に対する、ノウハウや情報の提供、仕事を効果的に遂行するためのアドバイスなどを行っているようです。それをいくつかの業者間で競い合い、最終的に発注者が「ここに出したいな」というのを何らかの形で意思表示するらしいです。その意思表示を受けた業者が、入札前の話し合いによって裏落札者となるようです。そして、多くは予定価格の95%ぐらいで落札していると聞きます。
言い訳かもしれませんが、裏落札者になるためには本当に相当な努力をしているようです。では、もしも談合がなかったらどうなるでしょうか。技術的な提案もなく、何となく指名された業者が、突然、予定価格の30%ぐらいで落札したらどうでしょうか。技術力がないために公共工事に不備が生じ、場合によっては多大なる損害(人命に関わることも考えられる)を引き起こすこともありえます。
もう一つ話をすると、予定価格の95%が本当に高い価格設定か、という問題があります。実のところを言うと、近年は構造改革のあおりもあり、予定価格自体が非常に安い場合があるようです。つまり、予定価格と本来必要となる費用がほぼ一致することだって考えられます。となると、95%でなんとか従業員を雇って、会社が存続できるだけの利益を確保できている場合、それ以下になるとどこかで無理が生じることがあります。95%でなんとかかつがつの場合、もし30%で受注してしまったら、その会社は従業員に給料を払えず、利益も出せずで最悪の場合「倒産」し、多数の失業者と社会不安を引き起こすことになります。談合防止に社会正義があれば、失業防止にだって社会正義があるはずです。
そんなこんなで、日本の建設業界等ではこれまで「談合」を悪いものではあるけど、「必要」なものと認識して行ってきたようです。では今はどうか。確実に「談合」はなくなりつつあります。一つには社会の目が厳しくなってきたこと。もう一つは、経営が厳しいため、とにかく抜け駆けしてでも仕事を取ろうとする業者が増えてきたことです。
身近な話でいうと、ある業者が必死で営業努力をしてきたところ、談合に協力しない小さな業者が予定価格の30%程度で落札してしまった話があります。その必死で努力してきた会社はそれまでの経緯は無駄骨となり、さらに仕事が取れないことによって、ボーナスの遅配と引き下げ、昇給幅の縮減などが行われているようです。まったくひどい話です。
では、建設業界に携わる私の意見はどうなのか。ズバリ、「談合は不要」ということです。これまで述べてきたことと矛盾するようですが聞いて下さい。
仕事をすることにおいて大切なことは、まず「生活のためのお金を得る」ということです。そしてもう一つ、「それ自体が楽しい」とうことです。その2つが両立できれば、他に望むべきものはないはずです。しかし、企業である以上、利潤の確保、それによる役員への報酬、株主への配当が必要となります。民間営利企業の最大の目標は「株主への配当にある」という人もいます。
(建設業界に限定して話を進めます)
しかし本来、税金で成り立っている業界が、役員への報酬や株主への配当をしてもいいのでしょうか。税金というのは本来100%公益のために使われるべきものです。なのに、それが特定の株主の懐に入っていくという構図は、どう考えてもおかしな気がします。
(さらに建設コンサルタント業界に限定して話を進めます)
そこで、私がやっているまちづくりのような仕事はどうでしょうか。これなどもほとんど税金で成り立ち、支出の大半が人件費です。そして、かつ自分の考えたことが直接社会の役に立っていることを実感できる「楽しい仕事」なのです。となると、「生活」と「楽しい」という二つの要素を両立できる最適な仕事と言うことができます。しかし、現状はそうではなく「半分病気」のような人がたくさんいます。なぜそうなるかというと、「会社の利益」を確保するために、本来必要なだけの仕事以上の仕事を強いられ、さらに自分のキャパ以上の仕事を強いられるからなのです。そこで、わが建設コンサルタント業界がこれか生きていくための、ウルトラCを提示したいと思います。
①利益を出さないという前提に立つ
②儲けよりも仕事の楽しさを第一に考える
③会社単位の規模をなるべく小さくし、人件費以外の支出を極力減らす
④そのかわり、会社同士でのネットワークを強くして、技術やノウハウの交換などを普通に行う
これは非常にラディカルな提案です。一般常識を逸しています。①は利益を出さない自体が、民間営利として自己矛盾です。②はへらへら楽しんでばかりで儲けがないと、民間営利は成り立ちません。③は民家営利の向かう方向は規模の拡大にあるのに、これも自己矛盾してます。④はせっかくの技術を他人に教えるなんて競争市場の中で矛盾しています。
しかしこれは可能なことです。「民間営利」を「民間非営利」にすればいい、つまりはNPOになればいいのです。実は今まさにそのような状況が真に起こっているのです。民間営利が倒産していく一方、雨後のタケノコのようにNPOが生まれています。
私はこの先、建設コンサルタント業界は二極化すると考えています。一つは、本来のいわゆるコンサルタント業です。つまり高い専門性と技術力を持ち、常にまちづくりに対して上の立場からコンサルティングする側です。もう一方は完全なる下請け業に徹し、いわゆる手間仕事ばかりさせられる側です。前者に残るのが、いわゆるオンリーワンといわれる民間企業、そしてNPOであり、後者になるのがその他大勢の民間企業になると考えています。
もちろんNPO自体の質を永遠に高めていくことが重要ではあります。そのためには上記の4つをベースとしながら、無理せず楽しんで仕事をしていくことだと考えています。
私の理想のあり方を述べると、天神のような都会のど真ん中でなく、郊外の農村地域に事務所を構え、いい環境の中でいろんなアイデアを絞りながら仕事をし、休憩時間には表にでて野良仕事をする(地価が安いし、本やレコードはネットで購入できます)。そして、週末にはボランティアや精神の修業、週末起業(サイドビジネス)などをやる。そして、年に10日は海外旅行をする。などなどです。これらは全てNPOであれば出来るような気がします。そして、今まさにそれに向かって突き進んでいる自分がいるのです。(談合の話からずい分それてしまいましたが)
(写真は談合三兄弟だってさ)