なぜ、ゆでたまごは行き当たりばったりなのか? 2008.8.7
2008年 08月 07日
ただし、家に帰ると、ぐっと疲れます。肉体的に。ですので、家に帰って汗を流して水分を補給した後は、ぐでんと横になって、しばらく動かなくなってしまいます。そして横になりながら、エネルギーが徐々に復活していくのを感じます。「肉体」のエネルギーはさっぱりしていいですよね。横になっていれば復活するのですから。もちろんきちんと食べて、水分を補給することも重要ですが。
その一方で、肉体でない範囲のエネルギーってのもあるようです。実は私はその種のエネルギーについては、経験的に直感していながらも、実際のところはよく理解していませんでした。しかし、先日の山崎さんのセミナーでその話があり、ストンと腑に落ちたところです。細かい話はさておき、一言で「エネルギー」と言っても、肉体的フィジカルなものだけでなく、精神的メンタルなエネルギーもあるようです。今言ったように、フィジカルなエネルギーは食べて寝ればすぐに復活しますし、消耗したくなければ、あまり動かなければいいのです。しかし、メンタルなエネルギーはじっとしてても消費する人は消費します。
その中で一番消耗しやすいのは「人から奪われること」だと私は思っています。これ、ものすごく差別的な話になると思いますが、実はかなり重要だと思っています。特に日ごろから人と会うことが多い人は、その辺のことをわかっていないと大変な目にあうことがあります。
例えば卑近な例を出せば、世の中のカウンセラーとかヒーラーさんの類は、実はものすごくたいへんなのです。その人たちに近寄ってくる人の多くは、メンタルなエネルギーが消耗している人たちです。そしてセッションやヒーリングによって、エネルギーを吸収しようとしているのです。ですので、カウンセラーやヒーラーは、その辺りのエネルギーの法則を知ってないと、たいへんなことになります。現にカウンセラーやヒーラーとして仕事を開始したとしても、程もなくして体を壊してやめてしまう人が実に多いです。私にも身に覚えのある人が何人もいます。ですので、実際のところ、「人をみる」ってのは、傍目以上にたいへんなものなのです。
では、どうすればエネルギーを奪われっぱなしにならずに済むか。そしてカウンセラーやヒーラーとして末永く活動できるようになるのか。その答えは二つあります。一つは「お金」をきちんと取ることです。コーチングもそうなんですが、人と会話すること、特に質問をして話を聞き続けることって、想像以上にエネルギーが必要となります。例えば一時間のセッションをしたとして、終了した頃にはヘロヘロになることも実は少なくありません。しかし、それが仕事ですし、私の場合はきちんと「お金」を頂いてやっていますので大丈夫です。では、なぜ「お金」を取るとエネルギーが消耗せずに済むのか。答えは簡単。「お金」自体がエネルギーだからです。ま、そんな理屈言わなくても、実際、お金がたくさん入ってくると元気になりますよね。逆にお金がないとテンション下がるし、もっと進むと「うつ」に近い状態になります。現にうつや自殺の原因のほとんどが「お金」がないことです。
ですので、カウンセリングにしてもコーチングにしても、やるからにはきちんと「お金」を取るべきです。しかし中には「お金」を取れない人も少なくありません。と言うか、コーチングに関して言えば、有資格者であってもクライアントからお金を取ってやっている人は決して多くありません。むしろほとんどがお金を取れない人たちです。こんな話があります。コーチングの資格を取るのに、講座を受けるだけでなく、有償無償に関わらず、決められた時間通りにセッションを行う必要があります。それが何時間なのかはわかりませんが、とりあえずセッションの実績を積むことが必要なのです。多くの場合はクライアントとして、知り合いかコーチング仲間に頼むことが多いのですが、少なくない割合でクライアントの方から「もうストップしてくれ」と言われることがあるそうです。なぜか。いくら無償であったとしても、コーチから逆にエネルギーを奪われているからです。これは技術の問題ではありません。純粋にエネルギーの話です。
そもそもコーチングにしてもカウンセリングにしても、どういう人たちがなりたがるのか。多くの場合、実際にコーチングやカウンセリングを受けるか、その手のセミナーやワークに参加したことがある人です。そしてその「非日常的な場」において、完全なる承認や傾聴を受けて、非常に居心地のいい場所であることがわかり、それが病みつきになるわけです。そして今度は自分もコーチやカウンセラーとして「与える側」に立ちたいと思い、バカ高い講座に通うようになるのです。しかしながら、いくらいい講座を受けようと、素晴らしい技術を学ぼうとも、その人の「エネルギー」が枯渇している状態では、絶対にプロにはなれません。逆に「エネルギー」が満たされている人であれば、資格なんか必要ないんです。
実は私は前々からそのことに気づいていました。「技術」よりも「エネルギー」が大事なんだと。なので私の場合はコーチングの資格などにはまったく興味を示さず、自らのエネルギーを大きくすることだけを重視していました。そして実際のセッションではクライアントさんのエネルギーが満たされるイメージで常に行っていました。ですので、私のコーチングが、例え雑談のようであっても、ある程度の評価を受けるのは、エネルギーに鍵があるのです。
では、どうすればエネルギーの消耗を防げるのか、または、どうすればエネルギーをチャージできるのか。その辺が重要になりますよね。まず「エネルギーの消耗を防ぐ方法」ですが、これは繰り返しになりますが、エネルギーを吸い取る人に近づかないことです。私はそういった人たちのことを「エネルギー吸い取り虫」と呼んでいます。では、どういう人が「エネルギー吸い取り虫」になるのか。一番の特徴は、「罪悪感」と「被害者意識」があることです。基本的に私のセミナーには、そういった「エネルギー吸い取り虫」さんは来られませんが、私がまだセミナーをする前、ある場所でお話させてもらったことがあります。その時、3名ほど、明らかに「エネルギー吸い取り虫」と思われる人がおり、私は正直、その人たちの方を見ないようにしゃべっていました。ま、今でも程度の差はあれ、そういう傾向はあります。私がセミナーをするときは、何名か特定の人の方を向いてしゃべることが多いです。本当ならば平等に向けばいいのですが、これは自分のエネルギーを調整するために、非常に重要な行為なのです。どういうことか。つまり私が向いてしゃべるお相手は、私にエネルギーを与えてくれる人です。どのようにして与えているのか。簡単な話です。よくうなずく、よく反応する、よく笑う。この程度のことで、私はエネルギーを調整できるわけです。
逆にエネルギーを奪われる人は。斜に構えている、表情がない、などがそうです。そういう人の方を向くと、ぶわ~っとエネルギーが奪われるのを感じます。ですので、これは防衛手段なのです。いいセミナーをする上での。ただ、そうやって調整しなければ立っていられないなんてのは、私がまだまだ未熟な証拠なんですが、今の段階では事実としてそういうことがあります。
話を戻しますが、どんな人が「エネルギー吸い取り虫」なのか。「罪悪感」と「被害者意識」がある人です。とにかく自分はダメな奴だ、価値のない奴だ、と自己否定している人は「罪悪感」の塊であり、エネルギーをどんどん枯渇してしまいます。また、自分ほど不幸な奴はいない、誰かわかってくれ、と考えている人は「被害者意識」の塊であり、それもまたどんどんエネルギーが消耗していきます。見分けるのは簡単。そんな表情の人。そしてそんなことばかり言ってる人がそうです。私は以前、ある人から、別のある人を指して「あの人は生命エネルギーが消耗しきっているからお付き合いしない方がいい」と厳しい忠告を受けたことがあります。確かにちょっと残酷な気もしたのですが、その時の私には(今もですが)、全生命をかけてその人を受け入れる気持ちもゆとりもなかったので、その忠告は守らざるを得ませんでした。私もそう感じていただけに。
ただ、そういう人(エネルギー吸い取り虫)が、他人からエネルギーを奪って、それで調子がよくなればいいのですが、いかんせん、「罪悪感」と「被害者意識」という「ウイルス」を飼っているだけに、奪ったエネルギーもすぐに枯渇してしまいます。重要なのは、その人が真剣に「ウイルス」を除去することしかないのです。そしてそれを除去できるのは、他ならぬ自分自身でしかないのです。
と言うわけで、エネルギーの消耗を防ぐためには、「罪悪感」と「被害者意識」という「ウイルス」を除去することが重要。では、どうすれば除去できるのか。こうすればいいですよ、という簡単な回答を簡単に出すことはできないのですが、強いて一つだけ言えば、「ウイルス」の気持ちをわかってあげる、と言うことです。なぜ、そんな「ウイルス」が入ってきたのか。そして「ウイルス」には「ウイルス」の都合と言うものがあり、決して悪気があって入ってきたものではないことを知るのです。そこでもしも「ウイルス」の気持ちがわかれば、「もういいよ、ありがとう」と言って「感謝」できれば、「ウイルス」は気持ちよく去っていきます。
例えばこんな人がいたとします。実在のある人を例にしていますが、その人はかつてはスーパー営業マンでした。しかし、ある時、何かのトラブルで大きなクレームを作ってしまい、それ以来、仕事ができなくなってしまいました。元々できる人であることは周りも知っていますし、人もいいので、周囲からは優しく見てもらっていたのですが、それでもその人はどんどん仕事ができなくなってしまったのです。そこに「ウイルス」が入り込みます。「自分は仕事ができない」、という「罪悪感」によるウイルスが。ここで「ウイルス」の気持ちをわかってあげるのです。どういう気持ちか。実際、その人が本当に内なる自己と対話できればいいのですが、おそらく「ウイルス」はこう思って入ってきたのでしょう。「もう、二度とあなたをクレームで苦しめませんよ」、と。実際、なぜクレームを作ってしまったのか。理由の一つは、その人が仕事がよくできたことにあるのでしょう。実際、重要な仕事であればあるほど、そのクレームも大きくなるものです。「コーヒーに虫が入ってた」なんてのは、確かに厳しいクレームですが、その人の心を蝕むようなトラウマにはなりません。それよりもちょっとしたミスが、相手先に多大なる損害をもたらした、なんてのはずっと心に残るでしょう。
こんな話を今、思い出しました。私が小学生だか中学生の頃だが、私の出た学校は野球の名門と言われていたPL学園でした。そしてPL学園が甲子園の決勝だか準決勝だかで対戦相手になったのが、学校名は忘れましたが、そこも野球には力を入れている学校だったと思います。試合は9回裏同点。PL学園の攻撃。ツーアウトでランナーは3塁。バッターの打球はライトに大きく上がってきました。そしてライトのグローブにボールが収まったと思った瞬間、そのボールは何と足元に落ちていき、3累ランナーはホームイン。PL学園の逆転勝利となったのです。私は喜びました。
しかし、そのライトを守っていた球児のこと。後日談があり、二度とボールを握れなくなったそうです。これがもしも草野球や紅白戦レベルであれば、二度と野球ができなくなるなんてことはなかったでしょう。しかし、それは日本一注目を集める大試合の9回二死の場面でした。その一瞬の「ポロ」のせいで、チームを負けに導いただけでなく、遠くから応援に駆けつけた母校の期待をも裏切ってしまったのです。その時のショックは、、、野球はやらない私でも察することはできます。そしてそこに「ウイルス」が入るのです。「もう二度と君にはそんなショックを与えないよ・・・」、と言って。事実、野球をしなければ、二度と同じショックは受けることはありません。しかし、ウイルスはウイルスです。自分を守るために入ってきたものであるにも関わらず、「罪悪感」という性質を持つがゆえに、自らのエネルギーをどんどん消耗していくのです。そしてエネルギーがなくなったらどうなるのか。最悪の場合、自ら「生命」を絶つことにもなります。
では、どうすれば「ウイルス」を除去できるのか。繰り返しになりますが、「ウイルス」に「感謝」することです。「ウイルス」はそもそも善意なのです。こんな例も思い浮かびました。お母さんがうるさくて結婚できない娘の話。かわいい一人娘のこと、何が何でも幸せな結婚をして欲しい、そう望むのです。それがゆえに、昔から男女交際には厳しく、成人した後でも、どんな男と付き合うのか干渉が耐えないわけです。そして娘が幸せになる(と同時に自分の思い通りの)相手を見つけてやろうと真剣になります。しか娘の側からすれば、そんな母親は「うざい」以外の何者でもありません。そしてしばしば親子喧嘩します。「もうほっといてよ!」「あなたのことを思っているのよ!」、と。どっちも気持ちは正しいです。しかし、この調子では、いつまでたっても娘は母親という「ウイルス」を除去することはできません。ではどうすればいいのか。ここでもやっぱり「感謝」のなのです。「お母さん、今まで私の幸せのことを真剣に考えてくれてありがとう。本当に感謝している。でも、私には今好きな人がいて、私はその人と一緒にいるときが一番幸せだし、これからもずっとそうだと思う。今はわからないかもしれないけど、彼はきっと私を幸せにしてくれて、お母さんの期待にも応えてくれると思うの。だから心配しないで。今まで本当にありがとう。」、なんて台詞をはいた日には、お母さんも四の五の言えなくなるでしょう。ウイルスの駆除成功です。または好きな人が仮にいなくても、「お母さん、今まで私の幸せのことを真剣に考えてくれてありがとう。本当に感謝している。私もお母さんの期待に応えようと頑張ってきたつもり。そして、頑張れば頑張るほど、逆にお母さんも真剣になってくるのがわかるし、そうすると私ももっと頑張ってしまうの。でも、幸せって頑張ることだけがすべてじゃないと最近わかったの。だって幸せな人って、あんまり頑張ってないもの。お母さんが私の幸せを願っていることは、本当によくわかるわ。でも、これからはゆっくりと私なりの幸せを自分で見つけていきたいの。だから心配しないで。今まで本当にありがとう。」、と言えば、これでまたウイルス除去になりますね。
何度も言いますが、「心のウイルス」ってのは、本来は「おせっかいな母親」のように善意以外の何者でもないのです。そしてそれが「母親」ならば、(自分の旦那のような)変な男を寄せ付けない、という役目を果たしてはいるのですが、それが本当にその人のためかどうかは、実はわからないんです。むしろ、時代遅れでためになってないことが多いのです。
仕事ができなくなった人。野球ができなくなったかつての甲子園球児。彼らを守っている「ウイルス」は確かに一定の役割を果たしてはいますが、本当の本当にその人のためになっているとは限りません。それでも「ウイルス」は善意で役に立ちたくってやってきたのです。無碍にするのではなく、まずは「感謝」すること。すぐには「感謝」できないかもしれませんが、いつの日か、本当に「感謝」することができたら、その「ウイルス」は笑顔でさよならしてくれるでしょう。
なんだか話が長くなりましたね。以上がエネルギーの消耗を防ぐことなんですが、結局は「感謝」の気持ちが芽生えれば、「エネルギー吸い取り虫」になることもないんです。では、今度はエネルギーをチャージする方法は。3つ。一つは寝ること。もう一つは自然に触れること。そして最後の一つは感動することです。もちろんこの感動には「愛」や「感謝」も含まれていますが、「感動」と大きなエネルギーは「感情」というパイプを通って、「魂」という貯蔵庫にチャージされるんですね。そしてその「感動」というエネルギーを人に伝えることができたら、、、さらに大きな感動を呼ぶわけです。人を感動させるには、まずは自分が感動してなければなりません。そして多くの人は「感動」に集まってきます。なぜか。エネルギーをチャージしたいからです。ですので、人を感動させる力のある人は素晴らしいと思っています。私にとっては、、、本、音楽、そして人との出会い。さらに言えば「旅」が感動の源泉です。旅は素晴らしいと思っています。きちんと睡眠さえ取ることができれば、自然にふれ、そして大きな感動がもたらされます。私が「旅好き」なのも、こんなところから来てるのかな、と最近思います。11月のインドは素晴らしい「旅」になりそうです。
話がどんどん脱線しそうですが、すいません、チャネリングしながら書いているので、前に何かいたか忘れてるんです。でも、どこかで一つの「軸」があると思いますので、この辺で今日は終わりにしたいと思います。ではまた明日。
※追記:このサヨナラエラーの話は事実ではありますが、後日談は私の勘違いだったようです。実際、そのライトの選手は夏の選手権(エラーしたのは春の選抜)でホームランを打つなど大活躍したようです。改めて訂正とお詫び申し上げます。ただ、本記事の「架空の一例」として、文章自体は削除せず、そのようなこともあるだろうと理解し、お読み頂ければ幸いです。ちなみにその試合はyoutubeで公開されていました。私はまだ小学生の頃だったようです。あのライトのエラー、今だに鮮明に覚えているほどに私なりにもショックだったのでしょう。
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