熱中したい 2008.6.26
2008年 06月 26日
ところで今日も「ホ・ジュン」を見ました。だいたい一日に2話づつのペースで見ています。ホ・ジュンは実在の人物なんですが、ドラマで幾分か脚色されているにせよ、偉大な人物には違いなさそうです。そしてやっぱり生きるからにはホ・ジュンのようにピュアに生きてみたいと憧れを持ちます。加賀田晃先生が大絶賛するドラマだけあります。ちなみに加賀田先生は若き日にサムセット・モームの「月と六ペンス」という小説に衝撃を受けたそうです。その小説も実話がベースとなっており、主人公は画家のゴーギャン。とにかく絵を描くことにとことんストイックで、故郷や家族、名声やお金などにも執着せず、熱狂的に絵に打ち込む主人公の姿に疑問を抱きながらも心が震えたそうです。加賀田先生は一つのことに「熱中」する姿が好きで、それが生きる土台となっているようです。そして最も幸せな人生とは何か、、、と聞かれたら、まさしく「熱中」のある人生だという哲学を持っておられます。熱中。これ。
確かに私にとっても「熱中」は憧れの対象でもあります。とにかく一つのことに熱中する。熱中できるものがある人生。何と幸せなんだろう、、と思います。逆に私の嫌いなタイプはまさしく一つのことに熱中できない人間。明確な目標があるにも関わらず、そこから目をそむけ、あれやこれやと手を出したがる人間。例えば口では弁護士になると言いながらも、関係ないセミナーばかり受け歩くような人間。こう言うのはあまり好きではありません。まるで私のようであるから。
そう言えば、今日、マザー・テレサに関する本をちょこっと読んでいました。実はマザー・テレサこそが、歴史上で最も偉大な人物だと、個人的には思っています。ただ、マザー・テレサはあまりにも私にとって敷居が高いので、目標とまではできませんが、彼女の言葉の一つ一つは実に腹に沁み込んでいきます。マザー・テレサの言葉はネットで検索すればいくつも出てきますが、とりわけ私の心を打ち、いつまでも記憶に残っているものが3つあります。まず一つ目は、
「愛の反対は憎しみでなく無関心です」
という言葉。実は人は特別に愛されなくてもいい、例え憎まれてもいいから、「関心」が欲しい存在なのです。そのことは最近、よくわかるようになりました。多くの人が望むのは、健康であり、お金であり、仕事であるかもしれません。しかし、以下に健康であっても、いかにお金があっても、いかにいい仕事をしていようとも、人からの「関心」がなければ、絶望的に苦しくなる存在なのです。人は常に「関心」を欲しています。赤ちゃんでさえ欲しています。その「関心」を満たしてあげることが「愛」なのでしょう。言わば対人折衝の基本でもあります。二つ目は、
「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
と言う言葉。実際、カルカッタ(コルカタ)に行けば、若い日本人がたくさんマザー・テレサのボランティアをしていました。今でもそうだと思います。それが悪いこととは言いませんし、もちろん素晴らしいことなんでしょうが、実際にカルカッタで彼らを見て、なぜか微妙な気持ちを味わったことがあります。さも、世の中の真実を悟ったかのように、憐憫を込めた言い回しを繰り返しています。しかし、日本にもカルカッタとは言わずとも、貧困はあります。なぜそちらに目を向けずに、カルカッタに来たのか。どこか「特別意識」みたいなのが見え隠れして、私は彼らから純粋さをあまり感じませんでした。むしろドラッグにはまっている若者の方が、目的が明確なだけにわかりやすかったです。
そしてもう一つ。「愛はまず手近なところ」と言うのは、言い換えると「できることをやれ」と言う意味になるのでしょうか。カルカッタでボランティアをするのが偉いのではありません。むしろ家族を労わる方がよっぽど尊いと思われます。しかしどういうわけか、人は「できること」を蔑ろにし、「できないこと」を目指そうとします。まるで私のように。三つ目の言葉は、とても有名ですが、これ。
「人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。それでも彼らを愛しなさい。
もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか、何か隠された動機があるはずだ、と非難します。それでもいい行いをしなさい。
もし、あなたが成功すれば、不実な友と、ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。それでも成功しなさい。
あなたがした、いい行いは、明日には忘れられます。それでもいい行いをしなさい。
誠実さと親しみやすさは、あなたを容易に傷つけます。それでも誠実で親しみやすくありなさい。
あなたが歳月を費やして建てた物が、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。それでも建てなさい。
ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら、彼らに襲われてしまうかもしれません。それでも彼らを助けなさい。
持っている一番いいものを分け与えると、自分はひどい目にあうかもしれません。それでも一番いいものを分け与えなさい。」
いろんな解釈はあるでしょうが、要するに一度決めたら、とことんやれ、ということでしょうか。光には必ず闇があります。光を求めると、必ず闇を背負うことになります。それでも光を求めるべきなんです。実はマザー・テレサ本人は「愛の人」と言われながらも、非常に気難しい側面があったそうです。とりわけ身近な人はその気難しさに辟易することも一度や二度ではなかったとか。明日バラナシに行くと突然言い出したら、周囲の都合など一切気にとめず、すぐに用意をさせたりしました。普通なら2~3日後でもいいよ、と言うところでしょうが、マザー・テレサは一度言ったらきかない性格だったそうです。しかしだからこそマザー・テレサなのでしょう。ストイックなまでの一貫性があるのです。
やっぱり偉大な人間は「熱中」するものなのでしょうか。きっとそうだと思います。私は。「熱中」を欲している自分がいるということは、まだまだ「熱中」には程遠いのかもしれません。しかしそれでも「熱中」しようと思います。まずは週末。この土日。「熱中」の2日間にしたいと思います。
クリックに熱中しましょう♪
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