アホについて 2008.6.23

 なんだかんだ言って「7日滝行」も残りわずか。いつもの3分の1ですから。今日は今月2回目の山登りと滝行。山に登ってから滝に行ったので、とても気持ちがよかったです。滝で汗を流すのもなんですが。明日も山登りして、月3回ノルマ達成です。とにかく宝満山だけは今後どんなに忙しくなっても月3回登り続けたいですね。それから今日は今週末のセミナーの懇親会のお店の予約をしました。週末は金土日と3連続で飲み会が続きます。しかし、、飲み会のない人生なんて、、と思いますが、実は今はあまりお酒飲めないんですよね。飲み会の雰囲気が好きなのです。

 ところで今日の夕方頃、何とも、オモロー!なニュースが飛び込んできました。と言うか、絶対問題になると思い、容易に予想できた事態です。これです。


学級崩壊!? ナベアツ人気で小学校教員が悲鳴(6月23日10時0分配信 日刊ゲンダイ)

 3の倍数と3がつく数字の時だけアホに――。このネタで一躍ブレークしたお笑い芸人の“世界のナベアツ”。
 ところが人気の急上昇と比例するように、教育現場から悲鳴が上がり始めている。
 埼玉県の公立小学校で2年生のクラスを受け持つ女性教員(35)が疲れ切った表情で語る。
「国語の授業で教科書を朗読させると、数字が出てくるたびに子供たちが“アホ”になる。最悪なのが算数の時間です」
 小学校低学年では“倍数”の概念がないため、1から100までどの数字でも全部アホ。算数はまったく授業にならないというのだ。
「単純な芸は子供がすぐ真似をする。ちょっと前は小島よしお。何か注意されても“そんなの関係ねえ!”と口ごたえする子供に辟易(へきえき)しましたが、ナベアツには完全にお手上げ。クラス全員がアホになって騒いでいる授業風景を想像してください。まるで悪夢ですよ」(前出の教員)
 それはそれで“オモロー”な光景にも思えるが、当の先生たちにとっては深刻な問題。同じ悩みを持つ小学校教員は多いという。小学生の子を持つ親も、こんな現状を知れば不安になるだろう。
 でも心配は無用。お笑い芸人のブームは去るのが早い。半年後には子供たちの“アホ”も収まってますって!



 現場の教師は大変だな、と思います。そう言えば私が小学生の頃、「ひょうきん族」で山田邦子が「まんまるちゃんの歌」を流行らせて、我々も音楽の時間、当然のようにその箇所に来ると大合唱したものです。で、ある日、短大生が教育実習に来て、「まんまるちゃんの歌」でその実習生を泣かしたことがありました。その時は「先生が泣くなんて~!」とびっくりしたものですが、今考えると、短大の実習生なんて20歳かそこらなんですね。言っては悪いですが、私から見ると「女の子」ですし、実際、年齢的には私よりも小学生の方が近いんですよね。それでも児童にとっては先生は先生。泣いたのは驚きでした。

 それにしても予想通りの事態。号令などかけられないのは、ナベアツが出た時から分かっていましたが、「1から100までどの数字でも全部アホ」はさすがにきついでしょうね。運動会もきついでしょう。しかしなぜにこの「芸」がこんなにウケるのでしょうか。確かに面白いは面白いです。出てきた時から、「これはブレイクする!」と確信しました。ちなみに私が好きなのは「クールポコ」です。「クールポコ」と言ってすぐにわかる人はあまりいないと思いますが、「餅つきで『なぁ~にぃ~』っていうコンビ」と言えばわかる人は多いです。ただしこれ以上は売れようもなさそうですが。

 で、ナベアツですが、いつかも書いたと思いますが、「江戸はるみ」と同じく、「ギャップ」に面白さを感じるのでしょうが(江戸はるみはビジュアルと芸のギャップ、ナベアツはシブい顔とアホのギャップ)、とりわけナベアツが子どもの心をつかむ根源的な要素は「アホ」にあると思っています。

 そもそも人間には「アホ」に対する本能的な欲求があるように思います。誰でも「赤ちゃん」の頃は「アホ」です。しかし赤ちゃんはアホだから可愛いのです。そして赤ちゃんもアホでいる方が楽なのです。しかしながら、大人になっても「アホ」だったら、仕事もできませんし、社会不適合の烙印を押されます。なので「アホ」から脱却するよう、躾けや学習によって「アホ」を覆い隠すような「条件づけ」をするわけです。そして物心つく頃には、子ども既に「アホ」ではなくなり、時々いる「アホ」は揶揄の対象にされます。「あいつはアホや」と言われて。

 ただ、繰り返し言うように、人間の本質は「アホ」なのです。「アホ」の上にいろんなベールを被せられるのですが、歳を取れば程度の差こそあれ、誰もが「アホ」に回帰するもの。問題発言ですか。でもいいです。つまり人間は「アホに始まりアホに終わる」のです。言い換えると「アホ」こそが人間の本質です。ですので、大人になっても酒を飲んだりして、時々、「アホ」になりますが、これは「酒が美味しい」から飲むのではなく、「アホ」になりたいから飲むのです。酒を飲むことによってDNAに組み込まれた「アホ欲求」を満たそうとするのです。

 そして「アホ」は社会的に揶揄の対象と言われながら、実は多くの大人も「アホ」が羨ましいと思っています。「アホ」とは「揶揄」と「羨望」の両義性を備えた概念だと言えます。では、どういうケースで「アホ」が羨まれるのか。実は多くの成功者は「アホ」です。ソフトバンクの孫正義は会社を設立する時、2人の従業員の前で、みかん箱の上に立ち「我が社はいずれ世界的企業になる!」と演説をこいたそうですが、それを聞いたアルバイトは「こいつはアホや」と思ってすぐに辞めて行ったそうです。しかし本当にアホ(と言うよりバカ)なのはそのアルバイト。その時、孫正義の「アホ」を理解していたら、今は凄いことになっていたのに。孫正義はその演説通り、会社を世界的規模にまで成長させました。なぜできたのか。やはり「アホ」だからできたのだと思います。

 身近な人で言えば、私の崇拝する加賀田晃先生もやっぱり「アホ」だと思います。勉強が嫌いと言って中学を辞めて、肉体労働に従事しますが、その時点では世間的には「アホ」。23歳でセールスの世界に入るのですが、初日から100%の契約でトップ。その後もセールスの世界で大成功するわけですが、話を聞けば聞くほど、「この人は、、、アホか・・・」と思ってしまうエピソードが満載です。そもそも原野商法の営業なんて「アホ」やないとできません。そう言う意味では、成功する営業マンはみんな「アホ」だと思います。加賀田先生も言っていたのですが、優れた営業マンとそうでない営業マンの違いは何か。その一つに「照れ」があるかどうか、があると言います。「照れ」がある営業マンは当然、「悪い営業マン」です。と言うか、加賀田先生流に言うと、そんなのは「カス」で営業マンとも言えないのです。「男にとって照れや羞恥心は不要!羞恥心が役に立つのは女性が夜の営みにのぞむ時だけ!」と、非常にシビレル発言をされますが、まさしくその通り。

 ではその「照れ・羞恥心」をなくすにはどうすればいいのか。簡単。「アホ」にあればいいのです。「アホ」になってしまえば怖いものはありません。お客さんも「アホ」にはかないません。「アホ」になりきれず、どこかカッコつけようとするところに「隙」ができ、そこを突っ込まれるのです。アホに敵なし。これ、座右の銘にしたいと思います。お客さんのところに行く際、ドアを開けた瞬間、アホになって「ごめんください!」とありったけの声を出します。そして万面の笑みで「おはようございます!お忙しいところ恐れ入ります!誠に失礼ですが社長様はいらっしゃいますでしょうか!」と言います。ここで営業が決まるかどうかが分かれます。その基準は「アホ」かどうか。アホなら勝つ。そうやなかったら負ける。

 ナベアツの話に戻りますが、なぜナベアツがウケるのか。まさしく世間は「アホ」を欲しているからです。そして願わくば自分も「アホ」になりたいからこそ、ナベアツを見てしまうのです。とりわけ純粋な子どもはより本能的に「アホ」をキャッチしてモデリングします。一方、臭くて汚いシャツをたくさん着込んでいる大人は、、アホをバカにして、そしてその他大勢に甘んじてしまいます。課長島耕作に出てくる中沢喜一(元社長)も「アホ」な人物の代表として描かれています。だからこそ取締役の末席からごぼう抜きで社長になれたのです。もちろんあれはフィクションですが、極めて忠実に現実を再現したフィクションだと思います。

 やっぱり「アホ」が成功するのです。私も世間的見ればいくらか「アホ」かもしれませんが、もっともっと「アホ」になりたいと思います。まずは今週末29日の東京のセミナー。とことん目指します。アホを。そしてこれからもどんどん「アホ」を極めていこうと思います。皆さんも「アホ」になりましょう!「アホ」になって楽しい人生を送りましょう!それではまた!

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by katamich | 2008-06-23 23:44 | ■人生哲学 | Comments(0)