ちょっと振り返る 2004.8.17
2004年 08月 17日
今日も仲良しのメンバーと飲んだのですが、「なんでそんな話知ってるねん!」という話題をふられ、不思議に思っていたら、数日前に日記に書いた内容でした。どっかで書いたかもしれませんが、ホームページを公開してから、ほんといろんなことが起こっています。まず、文章を書くのが早くなりました。思考のスピードも速くなりました。読書のスピードも速くなり、新書程度なら、合間の時間で一日2冊は読めるようになりました。友達も増えました。でも、何より自分をPRするための簡単なツールが出来ました。ちょっと踏み込んだ客先にはアドレスを教え、興味を持ってもらえたらこっちのもんです。仕事がしやすくなります。
思えば昔は文章を書くとことはおろか、読書なんかも全くしない学生だったのです。唯一、モーツアルトに関する本だけは読んでいました。そんな私を変えたのが、他ならぬ河合塾の現代文講師である牧野剛氏でした。彼に会ったのは大学受験に失敗して浪人したのがきっかけですが、もしもあの時現役で大学に受かっていたら牧野氏に会うこともありませんでした。となると、今よりももっと平凡な面白味のない人間になっていたことでしょうか。なんせ、彼が「文化人類学」という言葉を発したら、その日は大阪の紀伊国屋書店で中公新書を立ち読みしたものでした。あの時期は、そんなこんなで哲学、文学、歴史学、経済学、社会学、心理学などの入門書(岩波新書など)を手当たりしだい読んでいました。その時の読書ノートを見ると、よくもこんなに読んでいたものだと感心してしまいます。
最近になって思うのですが、「人生って生まれた時から決まっている」ような気がしてなりません。浪人して牧野氏に会うのも、大阪から福岡くんだりまで来るのも、なにかのきっかけで放浪の旅に出るのも、そして多くの人たちと出会うのも、生まれる前からプログラミングされているような気がしてなりません。そうなると、私に出来ることは一つひとつの物事に対して「感謝」すること以外にありません。
そして「感謝」して生きていると、物事が本当に上手く運ばれるのです。そういった事態を私は最近、「ツイてる」とよんでいます。
広大な宇宙や歴史の中から見ると「私」という存在は本当にちっぽけなものです。不平や不満を思うということは、実は「宇宙」や「歴史」に対して喧嘩を売るということに他ならず、そうなると負けてしまうのは日を見るより明らかです。「宇宙」や「歴史」によって「私」という存在が生かされている以上、直面する事態の全てに感謝して生きていく方が「楽」な気がします。
人間の一生というのはストレス(摩擦)がなければ150年を与えられていると聞いたことがあります。宇宙・歴史レベルで見ると、プログラミングされた150年の間に、本来ある状態(=使命を果たす)に落ち着くものだと考えています。しかし、多くの人は「楽」に生きない、つまり「感謝」が少なくなることで、150年という歳月が100年に、80年に、60年に、ややもすると30年に縮められ、宇宙と歴史が与えた本来の「使命」をまっとうせずに絶えていくのだと考えてしまいます。その積み残しが来世へと引き継がれていくのではないでしょうか。
実は、今年の3月にある友人の奥さんから、「あなたの前世はチベットの僧侶で、その時になしえなかった使命を果たすために、今のあなたがいるのですよ」、といわれたことがあります。「前世が僧侶」と言うのはそのときに始まったことではなく、去年の8月にスリランカで、10月に行きつけのジャズ屋で言われ、さらに身近な友人の息子(2歳程度)からも、指さされて「お坊さん」と言われたことがあります。
前世がなんであるかは別として、人には全て短い一生のうちに果たすべき使命があり、それを全うすることが、究極的な生きる目的だと考えています。その「使命」が具体的に何なのかは今の段階では分かりません。しかし、身に与えられたことに対して「感謝」することが、その「使命」に近づくための最良の方法であると、最近何となく考えています。
しかし私はまだまだ全てのことに「感謝」して生きるまでは達していません。しかし、今日のところは、私の現段階での「人生哲学」として書き残しておきたいと思います。
(キュウジです、今日の写真はありません!!)