「笑い」の本質とは・・ 2008.3.15

 セミナーまでついに一週間を切ってしまいました。今はまだ3月ですが、今年はすでに3回やってるんですよね。4月まで入れると7回のセミナーになるので、この調子で行けば、年間20回は行きそうです。ま、実際はもっと増える予定ではありますが。

 ところで今月から「神社ウォーキング」を日課にしているのですが、近くの神社まで片道徒歩20分ほどで、近頃、運動をしてなかったので、とってもいい気分転換になります。それに神社に行くと、何かすがすがしい気分になりますしね。花粉の方も鍼灸の効果か、かなり軽くなっています。生まれて初めて鍼灸に行ったのですが、こんなに効き目があるものだと、正直、思っていませんでした。初めて鍼灸に行く前日は、鼻が詰まって呼吸困難なほどだったのが、鍼を打った瞬間から、鼻の通りがよくなったのです。ある意味、魔法のようでした。人間の身体ってのは、本当に面白いものだな~と実感します。そんなわけで、まだまだ花粉は飛んでいるようですが、神社に歩いて行く時も、かなりマシになっています。鍼灸万歳ですね。ただ、個人差はあると思うので、行ったけど効き目がないと言って、苦情を寄こすのは勘弁してくださいね。そんな人はいないと思いますが。

「笑い」の本質とは・・ 2008.3.15_b0002156_1234619.jpg それにしても「ツボを突く」ってのは、よくできた表現のように思います。まさしく「ツボ」を突くことによって、心身の全体が変化するわけですから。「笑いのツボ」なんかもそうで、そこを突かれると、突然、ハッピーになるから不思議ですよね。ちなみに最近面白いと思うのが、「エド・はるみ」です。今までにないキャラ、というかキャリアの芸人で、吉本に入る前は会社の社長でマナー研修などをしていたとか。立ち振る舞いも言葉遣いもキレイですし、イヤミがないので、同性からも好感度は高いのでは、と思います。ギャグの質はともかくとして、テレビにエド・はるみが出てくるだけで笑ってしまいます。まさしく自己を解体してる、って感じですね。

 その他、私が面白いと思っているのが「世界のナベアツ」です。年末位に出てきて、お笑い界に衝撃が走ったそうです。私は最初のOAを見てなかったのですが、ツレが見ていたようで、しばらくその話ばかりしていました。ただ、見てない私には「伝わらない」のです。「3の時に変な顔になる!」とか言われても、見ないことにはわかりません。で、今年に入ってからついに見てしまったのですが、、、面白い。一見、ダンディなナベアツが「1、2、3、4、・・・」と号令をかけるのですが、3の倍数と3がつく数字の時だけ「アホ」になります。見たことない人は、「世界のナベアツ」で検索して、youtubeででもご覧になってください。

 で、このギャグは非常に斬新な雰囲気を与えるのですが、実を言うと、ある種「笑い」の王道を押えているものなんです。その王道とはなにか。それは「ギャップ」にあるわけです。つまり「世界のナベアツ」について言えば、「1、2」の時はカッコいいおじさんが渋い声で号令掛けているのに、「3」になった瞬間、とんでもない変顔と変声で「アホ」になってしまう、この「渋い」と「アホ」のギャップに人は笑うわけです。

 フランスの哲学者ベルクソンはこれを「価値の落差」と言っています。例えばお笑いタレントがバナナの皮で滑って転んでも、そこに面白さはあまり見られませんが、これがお高くとまった貴婦人だったり堅物の大学教授だったりしたら、なぜか笑ってしまうのです。笑っちゃいけない、、、と思うからこそ、笑えるのかもしれませんが、この「落差(ギャップ)」こそが、笑いの本質の一側面だと言えます。風刺画(カリカチュア)なんてのはそうですよね。真面目な政治家を面白おかしく描くことで、笑いの中にちょっとしたアイロニーを含ませるわけです。いかにも笑ってください的なタレントのカリカチュアなんて面白くも何ともありませんが、ジョージ・ブッシュや小沢一郎になると、なぜか笑ってしまうわけです。ここにも「価値の落差」があるわけです。

 チャップリンの笑いなどもこの典型です。高価な洋装に身を固めた資本家階級が滑稽な目に合うからこそ笑うのであって、これが労働者階級であれば、まったく笑えない代物になるどころか、嫌悪感さえ抱いてしまいます。ドリフにおけるいかりや長助の役割もそうです。普段はメンバーに対して威張り散らしているリーダーが(これは演技でも実際でもそうだったが)、顔面にゴムをぶつけられることで笑いが生じるわけです。東南アジアではドラえもんが人気ですが、子どもに一番受けているのは、話の内容や道具ではなく、「のび太のママ」なんだそうです。普段はのび太に対して威圧的な態度を取るママが、何かの道具によって窮地に追い込まれたり、弱々しくなったりする様子がおかしいのだそうです。東南アジアでの母親の役割ってのは、こうなのでしょうか。

 その意味で「世界のナベアツ」は「1、2」の時と「3」の時とではあまりにもギャップがあり過ぎるがゆえに、必然的に笑いが生じてしまうのです。となると「エド・はるみ」も同様であることがわかります。美しい風貌と華麗な身のこなし、丁寧な言葉づかい、そして女社長という実際のキャリアを持つ女性が、突然、「グーググーググー、グーググーググー、グーググーググー、コォー」と言うから笑えるのです。同じことを久本雅美や柴田理恵がやってもあまり面白くはないでしょう。

 その他、ギャル曽根が今ところ人気があるのは、可愛い風貌と大食いのギャップに基づきます。ハリセンボンや森三中が大食いであっても、まったく面白くありません。にしおかすみこの場合は普通にしてたら綺麗なのに、あえて下手なSM女王を演じることのギャップに基づきます。

 なのでナベアツにしてもエド・はるみにしてもギャル曽根にしてもにしおかにしても、その他の売れてる芸人にしても、最初は「ギャップ」を見せることで笑いをとり、うまくいけばブレイクすることもできるのです。しかし問題はそれからです。「ギャップ」が「ギャップ」でなくなった時、どう考えるか、です。エド・はるみは今だからこそギャップを楽しんでもらえるのでしょうが、そのうち、「エド・はるみ=笑い」という図式が定着してしまうと、必然的にギャップは薄くなり、同じネタで簡単には笑えなくなってしまいます。なので多くのお笑いタレントは、ブレイクした後は、看板番組や司会、コメンテーター、レポーターなどで、別の才能を見せなければ生き残れないのです。最近では今田耕司、爆笑問題、くりーむしちゅー、ロンドンブーツなどがそれに成功しており、タカアンドトシ、チュートリアルなどはそろそろ安全圏に入ったかな、と思われます。オリエンタルラジオは安全圏のように見えますが、何か脆さを感じさせるので、この先は分からないでしょう。

 てなわけで、鍼灸でツボを突く話から、なぜか「お笑い」の話になってしまいました。ちなみに「笑い」はある程度「人工的」に生み出せるものです。テレビでよく見られるのは「録音笑い」で、ここには「社会的証明」という法則が働きます。実は「読書箱」で「影響力の武器」をついに取り上げてしまいましたが、これは合理・非合理に関わらず、人間が取る固定的行動パターンを解き明かした名著です。と言うか、「魔の書」と言ってもいいでしょう。あまり読んで欲しくない本。なぜなら、、、すごすぎるから。読みたくなってきましたか?

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by katamich | 2008-03-15 10:27 | ■願望実現 | Comments(0)