「本当の自分」と「演技してる自分」 2008.2.18

 一週間が始まります。2月ももう後半。早いですね。今月は正直、滝行の月で、大きな動きはありません。とにかくインプットの期間だと思っています。大きな動きはないと言いながらも、「読書箱」を始めたり、英語の勉強や、コーチングのセミナーなどに参加したりなど、それなりに活動はしているみたいですね。ただ、今日一日は何となくぼんやりした一日だったような気がします。花粉もまだみたいです。このまま乗り切ればいいのだけど。そう言えば毎月登っている宝満山ですが、初めて登ったのが昨年の3月1日。あの日は、私にとって花粉症のピークに近い時期でした。と言うことは、まだまだこれからなんでしょうかね。乗り切りましょう。

 ところで、昨日のブログで後半、自分でも何書いてるのかわからなくなっきて、途中で逃げましたが、「本当の自分」と「そうでない自分」ということで、思うことがあります。若者特有のテーマの一つに「自分探し」ってのがありますよね。最近では若者に限られたことではないのかもしれませんが。お試しコーチングなどをすると、「自分探し」をテーマとする人が比較的多いようですし、そもそも、コーチングなどを学ぼうとする人のほとんどは「自分探し」が大きなテーマとなっているように思います。私も含めて。ただし、今の私は「自分探し」というテーマは手放してはいますけど(意識の上では)。

 しかし「自分探し」ってのは永遠のテーマだと思います。ゴールに達するのは難しいし、ある意味、何がゴールかを規定するのも困難です。考え方としては「わくわく」とか「フィットしている」とか「楽しい」とかの状況を言うのでしょうが、人によっては「わくわく」していると思っていても、それは表面的であり、本当に意味での「わくわく」かどうかわからない、などと言う人もいます。ほとんど禅問答の世界ですが、コーチングの勉強会などに行くと、何かにつけて「自分探し」が出てきますし、あの手この手を使って自分を解明しようとします。その一つの手法として、コミュニケーションの「タイプ分け」と言うのがあります。4つのタイプに分けられ、それぞれこのような特徴があります。


○コントローラー(controller):人や物事を支配していく

行動的でエネルギッシュ。思い通りにしたがる。他人の不正や偽善を暴露することを使命と考える。正直であけっぴろげ。過剰に快感を求め、依存しやすい。自分の内面に目を向けるのは苦手。

○プロモーター(promoter):人や物事を促進していく

アイディアが豊富で創造力がある。楽しいことが好き。計画を立てるのは苦手。悪く言えばあきっぽく、良く言えば変化への順応性が高い。包括的な仮説を立てる才能がある。アイディアは成り行き任せで非現実的だが、新しい可能性を見つける。仕切るのが好きで、得意でもある。

○サポーター(supporter):全体を支持していく

人を援助したがる。温かく、穏やか。職場では協調性が高く、意欲もある。計画や目標を立てることに関心がない。決断には時間がかかる。人の心を読むのが得意。直感力がある。感情に基づいて判断する。

○アナライザー(Analyzer):分析や戦略を立てていく

物事に取り組むとき、データに基づく分析から始める。計画を立て、粘り強く、最後までやりとげる。変化や混乱には弱い。理解力や洞察力が高く、的確な意志決定ができる。明確で論理的な話し方をする。


 詳しくは「実践コーチング」にそれらの特徴と診断テストがあります。よかったら診断されてみてください。ちなみに私の診断結果は以下でタイプは「プロモーター」と出ます。

コントローラーの点数:1
プロモーターの点数:4
サポーターの点数:-2
アナライザーの点数:-4


もちろんこれは簡易チェックなので、正式な診断表に基づくと、もっと正確に出てくるでしょう。ただ、これでも傾向はつかめると思いますし、私自身「プロモーター」と診断されることに違和感はありません。しかしながら、完全なる「プロモーター」とは自分自身思えない部分も多いです。例えばコーチングの勉強会など行くと、ほとんどの場合、初対面では「アナライザー」と判断されますし、私もそういう要素は大いにあると思っています。実際、分析したりするのは好きです。私が初めてこの話を聞いた時、それを話してくれたプロのコーチからは「典型的なアナライザー」と言われたました。当時はまだ会社員で、仕事内容が調査分析だったので、そういう面もあるかな、と思いました(が、違和感はありました)。そしてまた、別のところでは「典型的なコントローラー」と言われたこともありますし、もちろん「典型的なプロモーター」とも言われたことがあります。言われなかったのでは「サポーター」だけです。私の場合は極端かもしれませんが、人は往々にしてすべての役割を持っているし、時と場合によって、違う役割を演じることはあります。むしろそれが普通です。

 ですので勉強会などでは、何かにつけて「私は○○タイプだから」と納得して了解しているスタンスには大いに違和感を感じます。ぶっちゃけ、「それでええんか~?」と思うわけです。確かに傾向はあると思います。しかし、普通はその傾向に当てはまらないところも多く、それに対して柔軟・寛容はスタンスを持っていないと、このタイプ分けは、コーチングをする上でも、普段のコミュニケーションにおいても危険だと思っています。むしろそのタイプ(傾向)に当てはまらない部分にこそ、その人の本質的な部分が見えることだってありうるわけです。このタイプ分けが無駄とは言いませんが、実際のコミュニケーションにおいては、これらのタイプ認識を忘れていることの方が、いいコミュニケーションになると思われます。忘れると言っても、潜在意識では知ってるわけですから、きちんと潜在意識を信頼した上で、コミュニケーションにのぞむべきかな、と思いますし、私はそうしています。

 「自分探し」の話に戻りますが、この種のタイプ分けをして、「本当の自分」が発見できるものとは思いませんし、誰もそうは思っていないでしょう。ただ、この手のタイプ分けが「本当の自分」を見つける際の手がかりになるいう認識はあるでしょう。それでは、本当の「本当の自分」に出会うことはできるのでしょうか。結論から言うとできます。それは「現在の自分」こそが「本当の自分」だと認めることです。

 昨日の勉強会の時、グループに分かれて、話し合ったりするのですが、私に対するフィードバックとして興味深い発言がありました。多くは「エネルギッシュだ」とか「自分に自信を持っている」とか「表現が豊かだ」と言われるのですが、一方で「それは演技にも見える」とも言われました。一見物静かで内向きに見える第一印象に比べて、実際に話すとあまりにもギャップがあり過ぎるから、と言うのです。そう言うフィードバックがあること自体は否定しませんし、確かにそういう部分もあると思います。

 しかし仮にそれが「演技」であったとしても、演技できるということ自体が、その人そのものであるわけです。「自分探し」という文脈において、「演技」と言う言葉には若干の皮肉が感じられなくもないです。つまり「本当の自分」を隠して、「うその自分」を演じている、といったような。理想的な姿と言うのは、本質的な「本当の自分」と、現象として現れる「目に見える自分」とのギャップが少ないことであり、内と外の自分が調和・統合されていることだと、考えられるかもしれません。となると「演技」せねばならない状況と言うのは、自分の中での「不調和・不統合」が生じることにつながり、どこかで歪みが生じるのでは、と懸念されるわけです。

 例えば、本来は人見知りがちで口数少ない性格であったのに、リーダーみたいな役割を与えられ、否が応でも人前で積極的な姿を見せなければならない、などの場合、会社では肩を張って頑張っているのに、家に帰ると疲れで何もできなくなり、単に寝るだけになってしまうとか。そしてそれを続けると、身体壊してしまったり、うつになったり。技術職で入った社員が、年数を経るにつれ管理職になった場合などは、こういうこともあるでしょう。だからこそ「本当の自分」を知って、表向きの自分との調和を図る必要があり、その不調和・不統合を起こさないためにも「自分探し」の意義はあるのでしょう。

 ただし、私は必ずしも「演技」が悪いとは思っていません。悪いと思うのは「演技はよくない」と思うことそのものだと考えます。どんなにストレスを感じたとしても、「演技」できることは、その人の本質の一部であるし、そもそも「演技」せざるを得ない状況になったのも、その人にとっての必然なのかもしれません。

 今の状況は違う、違う、違う、、、演技に疲れた、、と思うこと自体が、その人に不調和・不統合をもたらすものだと考えます。むしろ「今日はどんな演技をしてやろうか!」と前向きに思うことにより、不調和は避けられ、最終的に「演技してる自分」が、「本当の自分」に取り込まれることがあるかもしれせん。先ほど例に出した、技術者としての本当の自分が、管理職としての役割を与えられた時、「自分は技術者なので管理は苦手だ、でもしなければならない」と考えるより「管理職という役割が与えられた以上、とりあえず上手に演技してみようか」と考える方が、健康的だと思われます。

 そもそも、、、人は誰も「演技」からスタートするものなのです。例えば私は3年前は会社員でしたが、会社を辞め、独立するとき、「それでもやっていける」と演技することからスタートしました。元々は会社員として安定した状況が身についているわけです。それでも、もっと理想的な人生を目指すために、精一杯にそういう自分を演じることからスタートしました。結果としてもはや会社員には戻れない状況にはなっていますが、演技したおかげで、最終的に自分自身を変えることだってできたわけです。演技するためにもいろいろ工夫をしました。セミナーなどで実演する「KAGATA式」もその一つです。確かに客観的には「無理してる」「演技してる」と思われるところもあったかもしれませんが、幸運にも私の中には「演技は素晴らしいことだ」という思い込みがあったため、身体を壊すこともなく、順調に理想的な自分に近づいているわけです。

 「自分探し」もいいかもしれません。しかし、本当に大切なのは「なりたい自分」になることだと思います。よくわからない「自分」を探して、延々といろいろなところを行脚するのではなく、「なりたい自分」を目指して、演技しながらでも、前進していく方が、私はいいと思っています。そもそも人は「演技している姿」を見て、そこを理解し、愛するわけです。「志村けん」というコメディアンがいますが、普段の彼はものすごく寡黙で気難しいと聞いたことがあります。しかし多くの人から愛されている「志村けん」という人間は、演技の上での面白くひょうきんな「志村けん」です。寡黙な「志村けん」ではありません。

 理想的な自分をイメージして、そのために一生懸命に「演技」をする。仮に人から「あなた演技してるでしょ?」と言われたら、「うん、そうかもしれないね。私の演技は何点?」と聞いてみればいいわけです。そこで90点と言われたら演技は成功だし、10点と言われたらもう少し演技力を磨けばいいだけです。しかし、、、演技し続けるとどうなるか、、、もうおわかりだと思います。演技していた自分が、演技でない自分に変化するわけです。そして、それだけ「理想的な自分」に近づいているわけです。

 つまり私の言いたいことは、もっと積極的に思い切って演技しちゃいましょう!「自分探し」みたいな根暗なことはどっかに置いといて、理想的な自分に向かって上手に演技しちゃいましょう!するといつかは、それが演技でない自分になるかもしれません。。。。そしてそこにこそ「本当の自分」があるのかもしれません。

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by katamich | 2008-02-18 23:56 | ■人生哲学 | Comments(0)