判断しない・・ 2008.2.9

 今日は寝坊してしまいました。5時前に起きるはずが、目が覚めて、無意識的に目覚ましを止めてしまったようで、起きたのは7時過ぎ。8時からコーチングでした。今日は全国的に大雪だそうで、さぞかし寒いと思うのですが、福岡はいいお天気で、寒さもさほどではありませんでした。しかし滝の中は、、、さすがに冷たい。。。

 しかし滝行も今年で4回目の冬を越すことになります。一回目は会社員時代。あの時はとにかく無我夢中でした。5時に起きて滝に行き、7時には家に戻ってそこから会社に行く準備。しかも繁忙期でもあったので、2~3日は徹夜状態で滝に行き、そこから現場に直行なんてこともありました。午前の会議終わって駐車場でしばし仮眠をとって、そこから事務所に戻り徹夜に近い作業。今思うと、何も考えてなかったように思います。そしてその翌年は100日行。1月から4月までの100日間毎日滝に打たれるのです。あれはあれでまたよくやったものだと思います。今は100日もずっと福岡にいることは難しいので、これから数年は100日は難しいと思いますが、ある意味、忙しくなる前に100日ができてよかったです。それが終わってから、何かと動くようになりました。そして去年。去年から年に5回の21日行をスタートさせ、今年もそのつもりです。21日間ならば、なんとか福岡に居続けることも可能です。ただ、最近ではほとんどがわずかの合間を縫ってという形になっています。それでも今年も何とか5回の行をやるつもりです。

 それにしても4回目の冬越しと言うこともあり、最初の年に比べて、滝の入り方は幾分上手になったかと思います。そもそも上手下手ってはないのかもしれませんが、導師の言うように「想いを捨てる」ことに滝のあり方があるのだとすれば、少しは上達したかと思います。とにかく楽に入るためには想いを捨てる以外に方法はないと感じています。滝の冷たいとか寒いなんてのは、入る人間の「想い」に過ぎず、滝はただそこに在るだけ。確かに夏は気持ちがよくて、冬は辛い。しかしそんなの滝からすれば大きなお世話であって、滝は私が生まれるずっと以前から、滝場を開いた弘法大師が来る以前から、ただそこに在るだけ。そこに勝手にあとからずかずかと入ってきて、冷たいだの寒いだの言うのは、それこそ何様のつもりってとこかもしれません。

 今日の夜、ディーパック・チョプラの「富と成功をもたらす7つの法則」を読んでいたのですが、その第一章「純粋な可能性の法則」の中に「判断しない」と言うのがあります。実はここから先に進んでないのです。とりあえず、全体を一読はしたのですが、難し過ぎて理解できないんです。で、今2回目を読んでいるのですが、理解しようとすれば先に進みません。そもそもこの本はいったい何が言いたいのかさえわかりません。「富と成功」をもたらすことが目的であれば、そういう目的意識を持つこと自体がある種の「判断」であるとも言えます。何が富で、何が成功か。それを考える時点で既に「判断」が入っています。それをして初っ端から「判断するな」ですから、どうしてもつまづくわけです。実はこの本は「くそ」なのかと思うことさえあるのですが、ディーパック・チョプラの本が「くそ」であるはずはない、と権威に負けて決め込んでしまっている自分がいるので、とりあえず分かる範囲で読んで実践してみようと思っているわけです。

 ただ、先ほど、この「判断しない」の箇所を読んでいて、なんとなく気づくこともありました。滝の中ってのは、まさしく「判断しない」ことがあるような気がするのです。単に入って出る。それだけ。でも人はその中で冷たいとか苦しいとか楽になったとか、いろいろ滝に対して判断してしまっています。そうする限りでは、心は苦しさに煮詰まってしまいます。そこを「単に入って出るだけ」と無判断で対置することができれば、どれだけ楽だろうか。いや、「楽と」いう概念さえないかもしれません。ただ、少なくとも苦しくはない。今思うと、最初の年に比べると、確かに苦しさは減ってきているし、自分がお経を唱えていることを忘れるくらいに没頭することさえあります。そういう時って確かに「判断」してないです。

 しかしながら日常での私は、もう、判断しまくりの毎日。批判だってする。「判断しない」というのは言葉では理解できても、それを実感することは難しいです。ただ、滝の中だけは、自己防衛と言う意味でも「判断しない」ことが重要であり、もしかすると、私が滝に連れてこられた意味は、そこにもあるかもしれません。つまり判断しまくりの毎日からの脱却。そもそもコーチングの前提には「判断しないこと」があります。クライアントに対して判断しないこと。これがまっとうできれば私のコーチングもより良いものになるかもしれません。こんなところでも滝行とコーチングが結びついているように感じます(←いい気づきや!)。チョプラの本もそろそろ次の章に進んでみようかと思います。次は「与える法則」。こちらは少しはわかりやすそうです。そのうち「読書箱」でも取り上げたいとは思っていますが、いつになることやら。。。

 ところで、今、「判断しない」とか言っておきながら、本日アップの書評はまた判断しまくり。なかなか表だって書きにくいことを「書評」と言う形を借りて書いてみました。ちなみにミクシイではこれに関する裏日記もあります。危険なのでマイミク限定にしていますが。ところで今日もテレビを付けたら出ていましたね。いい加減、終わってくれ~、公共の電波に流さないでくれ~と思うのですが、その願いはそろそろ叶えられそうです。数字が勝つか、良識が勝つか、日本の将来が問われると言っても過言ではありません。

 そんなわけで、21日行もまだまだ始まったばかりですが、この先、自分がどう変化できるのか楽しみではあります。少しでも判断しない自分になればいいのですが・・・がんばります。。。
 
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Commented by いってつ at 2008-02-12 00:39 x
判断をしない

いってつの理解では
判断をしないというのは不可能なので
「出てきた判断をキャッチして脇に置く」
という風に認識しています。

もちろんコーチングでクライアントと向き合う際のことですが。

判断は脇に置いておいて
ただ、クライアントに集中する
一緒にいるという感覚です。

で、興味関心からポンッと質問する。
次にあれを質問してやろうとか
何を質問しようかなって考えながらコーチングしているということは

クライアントではなくて
自分に集中しているということになってしまいますものね。



日常生活では判断し続けなくては
危険すぎます。

赤信号だということに気がついても
判断せずに進んだら事故にあってしまいます。

それはそれでOKなんではないでしょうか。
Commented by katamich at 2008-02-12 19:29
■いってつさん!
「出てきた判断をキャッチして脇に置く」、、いい方法ですね。
「しない」というのは、何事も難しいものです。
山口百恵の「マイクを置く」を思い出しました(^^)
正直言ってあの本は難し過ぎてよくわかりません、、、
いつか分かればいいのですが、わからなくてもいいかな、とは思っています。
by katamich | 2008-02-09 23:38 | ■精神世界 | Comments(2)