私と本 2008.2.3
2008年 02月 03日
ところで、今、新しいパソコンからこれを書いています。とりあえず一通りセッティングとデータの移動も終えました。さすがにサクサクでストレスはほとんど感じません。強いて言うなら、まだ、私の文字癖に慣れてないので、漢字変換で少しラグが生じるくらいでしょうか。ただ、これは使っているうちにすぐに克服できるもの。これからますますハッピーなパソコンライフが始まります。パソコンライフと言えば、そう言えば、私のパソコン歴は割と長いと思います。私の実家にはNECのPC8801がありました。データはカセットテープで保存。ディスプレイは単色(緑色)。そんなのが家にあり、兄弟で競ってごりごりやってました。私はゲーム専門ですが。今から見ると、非常にチープな内容で、知る人ぞ知る「森田のバトルフィールド」というゲームとかを飽きもせずにやっていました。そして当時「神童」と言われた私の兄貴はプログラムの組み方を本を読んで覚えてしまい、パソコンを買ってもらう前からノートとかにプログラムを書いて遊んでいました。さすがに不憫に思われたのでしょうか、いつの間にかパソコンが家にやってきてました。私が小学校の4年か5年くらいの時に。そして私は兄貴にゲームを作らせてそれで遊びます。で、なぜか兄貴がプログラムを組むのを横で見ていた弟も組み方を覚えてしまい、間もなく、自分でも簡単なゲームを作るようになったのです。そして作ったゲームを投稿してみよう、ということになり、「ベーシックマガジン」という雑誌に投稿しました。カセットテープにプログラムを書き込んで。するとそれがちゃんと雑誌に掲載され、1万円の印税を貰ったのです。プログラムはただ送るだけではだめで、その説明やらエピソードなどを添える必要がありました。で、プログラムを組んだのは小学1年の弟、文章を書いたのは小学5年の私でした。今思うと大したものでしょう。普通の大人、大学生、高校生くらいが投稿する雑誌に小学生のが掲載されたのですから。しかも、確か編集者からは「16進数をきちんと使っててエライ」みたいな評があったと思います。単純なパズルゲームだったと思いますが。で、考えてみると、「私の文章」が初めて世に出たのもそれが最初だということですね。その後は大人になってからちょこちょこと雑誌とかに掲載される程度です。ただ、この先はきちんと「本」という形で世に出て、華々しくデビューしますので、どうぞよろしくお願いします。
考えてみると、私は小学校の時はほとんど「本」というものを読まなかったし、中学でも同様。高校でも似たようなものですが、ことモーツァルトに関する書物だけは、一般書から専門書に至るまでたくさん読んだものです。中でも私が大好きで何度も何度も読んだのが井上太郎という文芸評論家が書いた「モーツァルトのいる部屋」という本でした。私がとりわけこの本が好きだったのは、著者の井上太郎氏が溺愛的にまでモーツアルトに入れ込んで、その心情やらを余すとこなく書きまくっていたところでしょうか。つまりその当時の私の大好き加減と波長が合っていたのでしょう。何度もセロテープで補強しながら読んだものです。今思うと、私の文章を書くときの癖やら、言葉加減なんかは、この本がベースになっているのかもしれません。
その後、大学受験に失敗して浪人したのですが、そこで出会った現代文講師にめちゃくちゃ影響されてしまい、そこから一気に「本」にはまってしまいました。ちなみにその講師は牧野剛という人物であり、ウィキによると教え子の人に国会議員の辻本清美がおり、多大なる影響を与えたそうな。その牧野という講師は、とにかく小さい頃から活字中毒であったそうで、まさしく活字に触れなければ手が震えてたとか言ってました。当時、10代の私は「活字がないと手が震える」という言い方に妙な憧れをもち、とりあえずその「フリ」だけはしていました。買う本がマンガや音楽の本から、人文社会科学系になり、予備校の授業が終わったら自習をせずに紀伊国屋に行き、新書などを一冊立ち読みするような日々がありました。ただし、書いている内容はわからず、そのスタイルだけが私にとってカッコよかったのです。ただ、そうこうしていると、ちょっとずつ意味もわかってきて、「哲学」ならその独特の言葉づかいが美しく感じられたり、たった一文の深さを味わったりするようになりました。当然、言葉の意味がわからないので、そこは講談社現代新書から出ていた「哲学辞典」を常に鞄の中に入れ、自習室や自宅でもそれをひたすら読んでいました。そのうち、自分でも文章を書きたくなって、400字詰めの原稿用紙にわけのわからない文章をよく書いていたものです。勉強もせずに。授業で取っていた小論文でも哲学的な文章ばかり書いていて、それを添削する大学院生らしき人と添削上で語り合ったりなんてこともありました。「君の各文章は好きになるか嫌いになるかどちらかなので、答案としてはいいものではないが、私は好きだ」みたいなコメントがあり嬉しく思ったものです。おそらく変な浪人生がいるな~とでも思われてたのでしょう。
その後大学に入学してからも一年間は友達も作らずに勉強ばかりしていました。ある時、夜中に大学に忍び込んで、暗い中、なんかの哲学書を英語訳で読んでいました。フッサールだったと思います。すると電器がついているので警備員がやってきて、怒られるのですが、なぜか無駄に熱い私は「大学は勉強するところやろ!なんであかんねん!」とか言い返す始末。かと思ったら、大学祭で酔っ払って空の一升瓶を次々と叩き割って周囲をドン引きさせて学生課から呼ばれたり。ある時は下宿に友達が大勢来て、夜中の3時に外で万歳三唱。近所の住民から大学に苦情がきてまた学生課行き。学長名で注意の貼り紙が学内に貼られました。またある時は学内でバーベキューをして、なぜか大学の新聞受けに使っていた木の箱を燃やしてしまい、またまた学生課行き。それなりに青春していたんですね。
で、大学4年では途中で就職活動を辞めてしまい、工場でバイト。卒業後は放浪。その放浪中もまた本が手放せなくなりましたね。で、それから紆余曲折して会社に入り、そして辞めて独立。今に至るわけです。考えてみると、私と本ってのは、これまでずっと微妙な関係にありました。決して読書家ではないのですが、読み方がなんだかちょと変、といった感じで。しかも本が私の人生の岐路においてものすごい役割をはたしていたり。思えば私が会社を辞めたのも、斎藤一人さんの本などに影響を受けたのが大きいです。もし斎藤一人の本を読んでなかったら、会社や辞めてなかったでしょう。そして今もないでしょう。
そんなところで、本にはこれもまで何かとお世話になってきました。今度は私が書く番。そういう意味でも本に恩返しができるような本を書くのが一番の願いかもしれません。そしてなぜか「100日ブログ」で毎日書評を書くのを始めたりして。これも単なる思いつきなんですが、やっぱ何か意味があるのかもしれません。それは100日たってからわかることでしょう。そんなわけで、明日もまた早朝に起きてブログ書きます。夜は「宇宙となかよし」、朝は「Qの成功読書箱」というパターンを定着させます。そして昼は時間を見つけて「音声セミナー」。すべてパソコンが必要ですよね。そういう意味では、本だけでなく、パソコンにも昔からお世話になってきたものです。改めて感謝したいと思います。ありがとうございます。てなわけで、今日はこの辺で。ではでは。
心温かいクリックに感謝します
↓ ↓

人気blogランキング
○「天使企画第一弾 100日ブログ」はこちらです
○メルマガ「週刊!!『宇宙となかよし』」の登録・解除はこちらです
○ミクシィにも「マイミク限定日記」を書いてますので、読者の皆さんのマイミク、大歓迎です♪
○夢を叶える「パワーアップ・コーチング」はこちらまで
○「噂のペンダント」はこちら

わたしキャプテンのOP「君は何かができる」
大っ好きでした!!!!!
「♪若い日はみな何かを目指せ~
秘めた力自分じゃ分からない~よ~・・・」
マイベストアニソンのTOP5に入ってます(笑)


おもしろそうなのでさっそく読んでみます!
おもしろかったですよ。