死ぬる体験、そして・・ 2007.10.10

 さて、今日は水曜日。いろいろとすることがあります。昨日は遅くに帰ってきて、風呂にも入らずに寝てしまったので、今朝、シャワーを浴びます。そして雑用関係を一気に済ませてから、家を出ます。今月一回目の「宝満山」に登るためです。前回の21日行の最終日に登って以来なので、2週間ぶりとなります。途中、定食屋で昼食をとり、2時前から登り始めます。8月と違って随分と涼しくなっていますので、楽に感じます。が、きついことはきついので、途中何度か休憩。7合目に広場みたいなところがあり、そこでベンチに座って休憩することが多いのですが、地面を見ると蟻が働いているのを発見しました。小さな幼虫みたいなのを必死で運んでいるのです。じっくり観察していると、実際に運んでいる蟻って限られてるんですね。数匹の蟻が一所懸命に働き、その周辺に何もせずにうろうろしてるだけの蟻とかがいます。その蟻たちは決して運ぶのに加担しようとはしません。ただ、うろうろしてるだけです。運んでいる蟻が幼虫から離れたな、と思ったら、すぐにポジションを変えて再び運び始めます。人間の場合、多少の個人差はあれ、働く時はきちんと役割分担をしながら働きますが、本能に従うと、くっきりと働く蟻と装でない蟻とが分かれるものなのでしょう。

 以前こんな話を聞いたことがあります。80対20の法則にも似ていますが、どの組織においても、上位2割、中位6割、下位2割に分けられるようで、つまりものすごく優秀な上位2割に対して、中程度の働きをするのが6割、そして働きの悪い下位の2割ってのが存在するようです。組織としては下位の2割は必要ないはずですが、いざ、その2割をなくしてしまっても、残った成員からまた「2対6対2」の分布ができるそうなんです。面白い話ですね。要するにウロウロしているだけの蟻もそれなりに組織としての役割を果たしているのでしょう。

 そんな観察をしていたら、時間がどんどん過ぎてしまうので、再び登り始めます。7合目から上は岩場が多くなるものの、気持ちの上で楽になります。そして間もなく頂上。さすがに頂上は肌寒いのですが、いい感じに汗が吹き飛び気持ちがいいです。岩のベンチに腰掛け、ぼんやりと景色を眺めていたら、ふと思い出したことがあります。


「あ、おれ、昨日の晩、死ぬ夢みたんやった・・」


と。死ぬ夢ってのは別に珍しくもありません。長生きの象徴とか生まれ変わりの萌しとか言われます。ただ、昨日見た夢は今までとちょっと違います。今までは自分が死ぬ夢でも「HE(彼)」として自分を見てたんですよね。そう、まさしく幽体離脱で抜け出て自分を見る感じです。でも昨日のは「I(私)」として死ぬ瞬間を味わったのです。魂が肉体から完全に出てる状態ではなく、肉体の感覚を残しながら、焼かれて土に帰る雰囲気です。肉体が完全になくなってから目が覚めたのですが、しばらくリアリティをつかめずに、文字通り「ほっぺをつねったり」しました。夢だと気づくのに2~3分はかかったかもしれません。

 この夢のことを山の上で思い出したのですが、それと同時にいろんなことが思い出されます。実は途中までミクシィ日記でメモ程度に書いたのですが、この先はさらに詳しく書こうと思います。今から書くのは、夢の中で体験したリアルな感触、そして山の上で怒涛のように閃いた断片的なフレーズを元に書くことであり、まったくの主観的な話です。くれぐれもこれをして「真実」だとは判断されぬようお願いいたします。

 昨日、小倉からバスで福岡に戻り、そこから最終の深夜バスに乗って家に着いたのが1時半頃でした。それからパソコンを立ち上げ、メールの返信などをしてたら、いつの間にか2時半。いつも早起きをしているので、急いで寝ます。ですが何か寝付けません。窓を開けたり締めたり、布団の上からフローリングに移動したり戻ったり、いろいろします。ですが、どうも寝付けません。身体は疲れているのに。そしてこんな夢を見ました。私は明らかに死んでいるのです。そして肉体が焼かれます。が、もちろん熱さなどは感じません。肉体として意識を残したままに、どんどん肉体が焼かれ、そして灰になり、土に帰るような感じを「体感」として味わうのです。よく言われるように、魂(意識)だけが抜け出して、天井から自分の姿を見る、という感じではなく、自分の肉体、自分の目線として「死」の過程を体感しているのです。そして肉体が土に帰り、なくなった瞬間、、目が覚めました。時間は3時か4時頃だったと思います。2~3分はリアリティをつかめずにいて、文字通りほっぺたをつねったりしてました。夢かと気づくと、なぜか猛烈に感動してしまい、再び興奮状態で眠れなくなります。ですが、そのうちに寝てしまい、次は5時半の目覚ましで起きます。とりあえず起きるのですが、身体がだるく、まだ眠い状態だったので、今日は素直に二度寝することにしました。そして7時半にはスッキリと目覚めることになります。

 で、山の頂上でいろいろ閃いた話ですが、今日の夢の中の体感によりと、「肉体(身体)」と「魂(意識)」ってのは、一つのようでいて、結局は分化されたものだということ。肉体がなくなれば、魂もなくなるのか、と言われれば、それは「NO」だということです。夢の中で味わった死ぬ瞬間によると、意識は身体がなくなっていくことをきちんと意識しているようです。そしてそれを一つのプロセスとして味わっています。その感じと言うのは、快とも不快とも言えず、ただ淡々と肉体が消えていく、土に帰っていく感じです。ただし、「魂(意識)」だけははっきりと残っているのです。じゃ、その先はどうなるのか。それは私の閃きの話に過ぎませんので、一つのファンタジーとして聞いて頂ければと思います。

 まず、肉体を失った魂は天に帰って行きます。肉体は土に、魂は天に、です。そして一つの「裁き」を受けます。それは頂いた「肉体」の「カルマ」をどの程度解消できたか、という裁きです。その程度によって、ある魂はより高次元の宇宙エネルギーとしての使命を与えられます。いわゆる地球星からの卒業です。しかし、大多数の魂は卒業には至らず、新たな「肉体」を授けられます。そしてそれまでの意識をいったんリセットされた上で、新たな肉体に宿ることになり、再び地球星の一員として生を受けることになります。ここで重要なのは、魂のレベルに応じた肉体が用意されることになり、その肉体にはあらかじめ「カルマ」が宿っているということです。そこで再び地球星に生を受けることの使命が与えられます。それは「与えられる肉体に宿ったカルマを、その肉体ある限り解消する」という使命です。

 ではどのようにすれば、肉体のカルマを解消することができるのでしょうか。それはただ一つ。肉体を使い続けるということです。ご存知のように、生まれもって肉体には個人差があります。その後の成長によって大きくなる人もいれば、そうでない人もいますが、ほとんどの情報はすでに生まれた時に持っていると言えます。つまりDNAですね。大きい人、小さい人、黒い人、白い人、黄色い人、身体能力の優れた人、劣った人、健康な人、障害を持って生まれてくる人、など。それぞれの肉体というのは、前世で解消したカルマの程度によって与えられます。(※カルマにはもちろん「善」と「悪」のカルマがありますが、ここでは善悪の価値判断は問わないことにし、魂の浄化においては、一義的にカルマの解消を要するものとします)

 重要なのは、それぞれの肉体に応じた使い方あり、生涯をかけて、その使い方を全うすることです。世の中には生まれ持って障害のある人もいますが、その人がそうでない健常な人と同じような肉体の使い方をするには限度があります。障害を持つ人は持つ人としての使い方があるわけです。ただ、ここで一つ言っておかねばならないことは、どちらが優れててどちらが劣っているということではありません。魂の純度においては、健常であろうが、障害を持とうがあまり関係ないと思われます。つまりは与えられたカルマに応じた肉体の使い方をすることが重要であり、それ以上でも以下でもないということです。もし3次元的な判断で、身体能力の優れた人の方が魂の純度が高いことになると、スポーツ選手は皆、魂の純度が高いことになります。が、必ずしもそうでないことは感覚的に理解できると思います。

 いろいろ、ごちゃごちゃと言いましたが、一言で言うと、「できることをしっかりする」ことがカルマの解消において重要だということです。ちょっと批判的な話になると思いますが、インターネットを徘徊していると、しばしば「全カルマ除去のセラピー」とか「すべてのカルマを解消して幸せな人生を」みたいなサイトが散見されます。どうなんでしょう。カルマというものは、自らの意思と自らの力によって生涯をかけて解消していくものだとすれば、幾ばくかのお金を払って、他人に自らのコアな部分を委ねてしまうのは、非常に違和感を感じます。ややもすると、それはカルマ解消という人生の使命を放棄したことにもなりかねません。そこで何らかの意味があるとすれば、もともと必要のなかったお金(エネルギー)を手放すことの効用くらいでしょうか。しかし、本来ならばもっと有用に使えるはずのエネルギー(お金)を、人生の使命の放棄のために使うことになれば、私は違和感を感じます。

 ついで言いますと、よく「潜在意識」という言葉が精神世界や願望実現の中で使われますが、私は「潜在意識」こそが「カルマ」であると思っています。先ほど言ったように、死するとき、肉体は土に、魂は天に帰りますが、魂には「潜在意識」という深いエネルギーが宿っています。そして(顕在)意識の部分だけリセットされ、新たにカルマの宿った肉体を与えられて、そこに魂が埋め込まれるのですが、その時、魂のもつ「潜在意識」というエネルギーと肉体の持つ「カルマ」とが融合するものと考えます。そして肉体のカルマを解消するには、潜在意識を上手く活用することが必要となるのです。では、どのようにして潜在意識を活用することができるのでしょか。これは私の持論の一つでもあるのですが、やはり「肉体」を使うことに尽きると思われます。もしも野球選手になりたければ、ひたすら野球の練習をして肉体を使うしか、それに近づくことはできません。巷でよく聞かれる様な潜在意識のワークだけをしてて、決して野球選手にはなれません。

 実はここで重大なことを言いたいと思います。野球選手には実は野球選手としての一つの共通点があります。ピアニストであれば、ピアニストとしての一つの共通点があります。会社経営者には会社経営者としての一つの共通点があります。成功者には成功者としての一つの共通点があります。幸せな結婚をする人には幸せな結婚をする人としての一つの共通点があります。さらに言うと、不幸な人には不幸な人としての一つの共通点があります。私はその「共通点」について、あるエピソードを聞いて閃きをもらいました。そのエピソードは、ある精神障害に関する研究所の話です。その研究所では「うつ」を専門として、日夜、教授から学生まで共に研究に従事していました。ある時、ある研究員が「大発見!」と言って研究所に駆け込んできたのです。実は「うつ」には「うつ」としての、一つの共通点があることがわかったのです、と。私はその話を聞いて閃きました。それはすべてに言える、普遍的なエッセンスであることがわかったのです。

 そのことが、実は肉体を使ってカルマを解消することと密接に関連してきます。しかし今日のところはブログでは控えておきます。今週の土日にコミュニケーションに関するセミナーをしますが、以前、予告していた通り、ニューロロジカルレベルにおける「スピリチュアル」に関する話をするのですが、そこにちょうど当てはまる話なのです。ですので、この続きはセミナー後のブログにて書いていこうと思います。肉体を使うということがいかに重要なことなのか。そして潜在意識に直結する肉体の使い方とは。。。そんな話もしていこうと思います。

 てなわけで、昨日は珍しい夢を見たという話です。そこからいろんな気づきを得たことは事実ですが、「夢」としての私に対する「意味」はなんなのでしょうか。文字通り「生まれ変わり」なのか、または「死ぬ気でもっとものごとに取り組め」という叱咤激励なのか。その両方かもしれませんが。ま、私については、今月末についに結婚してしまいますので、生活様式は多少は変わるかもしれません。それもカルマレベル、潜在意識レベルにおいて必要なプロセスであると考えています。そしてこの週末。大阪と名古屋。また、何かが起こりそうな予感です。ありがとうございました。

 あ、そうそう、明日(今日か!)は、ついに因縁の対決ですね。内藤大助と亀田大毅のWBC世界フライ級タイトルマッチです。これは見逃せません。明日のブログはこの話がメインになりそうな予感。。。カルマだのなんだのって言ってられないですね。そんなわけで、ではでは。

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by katamich | 2007-10-10 23:33 | ■精神世界 | Comments(0)