不安の解消方法その2 2007.10.3

 今日は水曜日なので山登りの日です。今月は水曜日が5回あるので、2回は休めるわけですが、月末はいろいろ忙しいので、早めに登っておこうと思っています。で、家を出て郵便ポストを見ると、なんと素晴らしい贈り物が入っているではないですか。嬉しくって何となくそのまま家に戻ってしまいました(笑)。その贈り物については、明日の話題としたいと思いますが、お蔭さまで今日一日、めちゃくちゃハッピーな気分で過ごすことができました。ところで、沢尻エリカちゃん、どうしちゃったんでしょうね。例の舞台挨拶を見たとき、最初は「ネタ」と思って笑ってしまったのですが、思いのほか、大げさな事態に発展してしまっています。今回の事件は、主催者側の演出で、いわゆる「亀田手法」の一つだと思っていたんですけど。つまり、本人の意図とは別にヒール役を演じることで、一気に注目を浴びせよう、という手法です。沢尻については、今回の件で、かなり知名度が上がったと思います。おそらく「別に・・」も巷で流行るんじゃないかと、思われています。流行語大賞にノミネートされたりして。しかし、一年間の謹慎説も流れてるなど、想定外の雰囲気もありますね。沢尻がなぜ、あのような態度を取ったかの理由として考えられるのは、、「主催者側の演出(既述)」「疲れ過ぎて頭がパニック」「生理二日目で普通に不機嫌」「そろそろ女優業を休業したい」「妊娠してる」などなど。意外と最後に書いたのが正解だったりして。。。

不安の解消方法その2 2007.10.3_b0002156_8403332.jpg それはともかく亀田です。今度は本当に笑ってしまいました。今月の11日にフライ級世界チャンピオン内藤大助と次男の大毅がタイトルをかけて闘うのですが、三男和毅が新兵器として謎の覆面ボクサーを連れてきたとか。内藤大助に体格、スタイルともに酷似しているそうです。一部で「興毅説」も浮上したそうですが、ここまで来ると本当に茶番ですね。一体誰がこんな演出考えるんでしょうかね。梶原プロか。何で覆面にせなあかんねん。おそらくセコンドにも覆面のまま付くのかもしれませんね。それはそれで盛り上がりを見せそうですが、今まで真面目に頑張ってきた内藤大助もさすがに苦笑するでしょう。ただ、内藤大助のテーマソング「ロマンティックは止まらない」も世界戦に似つかわしくない、と言えばそうですが。あ、でも、内藤側も是非覆面の人を連れてきて欲しいものです。それか内藤自身が覆面で登場するとか。彼はシャレの分かる人間みたいなので、それもありかも。近頃、亀田の試合にはまったく興味がなくなっていたのですが、今回ばかりは真面目に楽しみです。ただ、それがボクシング以外のところで、というのが複雑ですけど。その日は私のセミナーの2日前ですが、セミナー中にボクシングの話しないように気をつけなくっちゃ。。。ただ、セミナーの内容に関係してくれば、それはそれでいいかな、と思います。

 ところで、先日、コーチングをしていて突然、あることに気が付きました。人はなぜ「不安」を抱くのか、という話です。できれば「不安」のない人生を送ってみたいとは誰もが思うはずです。しかし「不安」のない人生って、実は「期待」もないことがわかったのです。例えば、「思考は現実化する」の中の7つの不安によると、「貧困」「批判」「病気」「失恋」「不自由」「老い」「死」ってのがあるようですが、まず「貧困」の不安を抱えているということは、一方で「富」への期待もあるということです。アラブのお金持ちみたいに、おそらくは「貧困」に対する「不安」がないであろう人たちは、同時に「富」に対する期待もないか、少ないことが推測できます。もっともっと頑張って金稼ぐぞ、というワクワクした気持ちはほとんど抱いてないのでは、と思います。なぜなら穴を掘れば石油(金)が出てくるのですから。その穴を掘ってる人自体も別の国の労働者だったりしますし。

 一方でインドやアフリカの貧困層の人たちって、貧困に対する不安を持っているかと言うと、それは現実の苦しみがあるのみで、不安と呼べるものではありません。同時に彼らの多くは富に対する期待も持ち合わせていないでしょう。どうにかして、今日、生き延びることに必死なのですから。それ考えると貧困に対する「不安」があるということは、同時に富に対する「期待」もあるわけですね。期待があるということは可能性があるということです。つまり「不安」と「期待」とは表裏一体で、重要なのは我々がどちらを選択するか、ということに尽きるのです。多くの人は「不安」の側を無意識のうちに選択してしまいますが、まずは「不安」と「期待」が表裏一体であることを認識して、意識的に「期待」を選択するようにすればいいのです。これはリフレーミングというスキルであったりします。

 例えば、仕事を失うのではないか、という不安は、別のもっといい仕事に就けるのではないか、という期待にもなるのです。生活が苦しくなるのでは、という不安は、その分、生活をよくするための力を養うことができるのでは、という期待にもなるのです。別の要素も考えてみましょうか。

 2番目の「批判」については、どうでしょう。批判されることへの不安を持っているということは、まず、相手にされていることの確認にもなります。無視されるほど辛いこともないですから。そして、批判されるということは、成長のための課題が目の前にあるということです。

 3番目の「病気」については、自らの身体へのシグナルをキャッチしていることへの証となります。私は先日、突然、お腹が痛くなって病院に行きましたが、それを機に食事に対する配慮がいっそう促されました。ラッキーだと思います。突然おかしくなるよりも、ちょっとぐらい不安を思ってケアできる方が、余程いいです。ますます健康になれる可能性があるわけですから。

 4番目の「失恋」については、もっと魅力的な人間になれる可能性があることを示します。別の観点から言うと、もっと素敵な恋人と巡りあえる可能性があるわけです。さらに言うと、失恋の不安があるということ自体、「恋」をしている証ではないですか。どんな形であるにせよ、恋をしたことがない人よりも、苦しみながらも恋してる人間の方が何倍も幸せだと思いませんか。

 5番目の「不自由」については、イコール、今が自由であることの証です。世の中には不自由な人はたくさんいます。少なくともこれを読んでいる多くの人は、牢獄に入れられてるわけではありません。仮に牢屋に入ってたとしても、出て自由になる期待があるわけです。私は昔、寮生活をしていましたが、普通の高校生よりははるかに不自由な生活をしていました。しかしその分、帰省できる夏休みが楽しみでした。昔、エジプトで半日ほど牢屋に入れられたことがありますが(クフ王のピラミッドに登ったため)、出てきたときは、とってもさわやかな気分になりました。

 6番目の「老い」については、同様に今が若いことの証です。人はどんなになっても、人生の中で今が一番若いわけですから。

 7番目の「死」について、、「死」があるからこそ「生」があるわけです。人間なんて統計学的に100%死ぬことが分かってるわけですから、そんなのを恐れても仕方ありません。若くして死ぬ人もいますが、それはそれで、3次元の使命をまずは果たしたからだと思えばいいです。こう考える私ってドライすぎますか? あなたは悲しみを知らないからだ、と思う人もいるかもしれませんが、悲しみを知らない人間がこんなこと考えると思いますか?

 それはさておき、ようするに「不安」と「期待」は表裏一体なわけで、「不安」を抱いているということは、その裏には「期待」が必ずあることを知ることが重要です。「期待」のない「不安」など存在しません。いや、それでも私は絶望なんです、と思われる人もいるかもしれませんが、絶望と思っている限りは、まだ絶望の状態ではありません。隠れて見えにくくなってるかもしれませんが、必ずどこかに「期待」があるはずです。まずはそれを探す努力をしてから、絶望を味わってみてはどうでしょうか。一方で、「期待」を抱いていることは「不安」も必ず内包しているわけです。好きな人といい感じになってきて、次回、5回目のデートなので、きちんと告白しようと期待している裏には、それでも「やっぱふられたらどうしよう・・」と不安も抱いてしまうものです。であったにしても、期待の方が大きいし、デートは楽しいものです。でも、時々いるかもしれませんね。もう完全にいい感じになって、いつの間にか手もつなぐようになって、一つの飲み物を普通にシェアしたりして、傍から見たらどう考えても恋人同士なのに、直前で不安がもたげて、逃げてしまう人とか。「付き合うようになっても、もし、私の嫌なとことか見られて、ふられちゃったらどしよう・・」とか変な不安を持っていたりして。嫌なところ見せて、それを受け止められないような相手は、それだけのこと。ふられてよかったのです。

 そんな話はいくらでもできますね。「不安」と「期待」は表裏一体。「不安」のある人生なんて、なんと素晴らしいことじゃないですか。俺、もっと不安がろ~。そして期待しよ~。てなこと言うと、「不安思ってたら、それが現実化しませんか? 不安と期待が表裏一体というのは理屈ではわかるのですが、やっぱり不安の方にばかり目がいってしまうし、それが潜在意識に入って現実化したりしまんか?」、とか聞いてくる人がもしかしたらいるかもしれませんが、それは願望実現ブログの読みすぎです。どんな成功者だって不安くらいあるはずです。考えているよりももっと大きな不安を抱いているかもしれません。それでも期待の方に目を向ける努力をしているからこそ、成功者になれるのでしょう。そもそも、願望実現系のブログって、いいこと書いてる場合も多いとは思いますが、本当にうまくいってる人は救いを求めてブログ巡回などはしてないはずです。ま、参考程度にとか、この人おもしれ~くらいの感覚で読んでる程度でしょう。

 なので、私のブログを読むときも、くれぐれも救いを求めて読まないようにお願いしますね。時々います。Qさんのブログが救いだ、なんてメールくれたりする人が。それはそれで光栄に思うし、そう思って頂けるのは嬉しい気もしないわけではありません。でも「救い」って重いので、どっかで「笑い」くらいにして頂けるともっと嬉しいです。そもそも、このブログって私の日記なんだし。私としては、沢尻とか亀田の話の方が、興味あったりします。去年の一時期、亀田とか養老町の星 幸ちゃんの話ばかりして、しつこいと思われたこともありました。最近では「はだしのゲン」とかね。でも、これが私だし、こういうバカな話があるからいい、と言って頂ける人も多いので、それはそれで私にとって「救い」だったりします(^^)。私はコーチングなんかもしてますが、私のスタンス的には、「今よりもうちょっと楽しくなってもいいかな、、、あ、そうだ、Qさんのコーチングとか受けてみようかな」みたいな感じで、買い物カートにザクッと入れてもらうのがちょうどいいと思ってます。何としてでも、苦しみから解放されたいとか、どうしても(楽して)叶えたい願いがあるのです、、みたいな重苦しいのはちょっと勘弁ですね。愛がないですか?

 苦しいと思っている人はまだまだ苦しみ方が足りないと思います。石井裕之さんが言ってたと思うのですが、本当に苦しいと思っている人はブログなんか読んだりしてない、と。充分に苦しさを味わった果てに、どこかで気づいて、達観するような瞬間があって、そこで本当にポジティブな心が芽生えたりするものでしょう。本やブログで不安や苦しみに蓋をしても、必ずそれを開ける奴だって出てくるわけです。いい話して、不安に蓋をすることが愛ですか? 私自身の経験から言っても、ある時期、苦しんで、悩んで、どうしようもないとか思っていたとき、とにかく動こうと腰を上げて、それでも苦しんで、悔しい思いして、泣いて、そうしているうちに自らの天使(でもなんでもいいですが)みたいな存在が、すっとどこかに連れて行ってくれる瞬間があったりするのです。そのうち、そういう瞬間が来るから、今、思う存分に苦しみを楽しめ、と言う方が私にとっての愛に近いと思うのですが。
 
 話が脱線しそうですね。そんなわけで、「不安」と「期待」とは表裏一体。我々に与えられた選択は、どちらを見るか、だけなのです。「不安」ばかり見てたら、それは「不安」しか見えないでしょう。でも月の裏みたいに、普段は見えない「期待」だって必ずあるはずです。苦しんでも、傷ついても、悔しい思いしてもいいから、月の裏まで探索してみようよ、、ってのが、本当のカッコイイ奴だと思いますけど。そんなわけで、私のセミナーもきっと面白いし、カッコイイ奴の集まりだと思いますので、大阪・名古屋はあと10日きりました。まだまだお待ちしてます、という感じに、最後は宣伝で締めたいと思います。ありがとうございました。

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Commented by tazext at 2007-10-13 23:01 x
期待と不安は表裏一体。
確かにそうですね。
不安を和らげるヒントをもらったような気がします。
Commented by katamich at 2007-10-18 11:41
■tazext さん!
コメントありがとうございます!
by katamich | 2007-10-03 08:05 | ■人生哲学 | Comments(2)