ホンキで生きる! 2007.9.25

 今日も5時に目覚ましをかけ、起床。しばらくはパソコンでメールの返信などをして、6時に家を出ます。車で不入道まで。そして21日目の滝行を終え、そのまま宝満山に行きます。9時過ぎに到着して、猛烈に眠くなったので、ちょっとの間仮眠。車のドアを開けていたので、とても涼しい風が吹いてきて、秋だな~と改めて感じ入りました。ちょうど一ヶ月前も山には登ったのですが、その時はめちゃくちゃ暑かったですしね。で、今日も順調に往復できましたが、涼しい分、楽に感じました。これで宝満山も21回目。いつもすれ違う人の顔もちらほら覚えるようになり、「また、お会いしましたね、いつも登られてるのですか?」、なんて会話も交わすようになりました。そのうちお友達もできそうです。

 家に帰ると、旅行会社から書類が届いていました。11月に合同ハネムーンで行くバリ島ツアーの書類です。開けて見ると、申込金の振込み期限はなんと明日まで。一緒に行く友達夫婦の彼の方に、「申込金立替ときますね~」と電話。4人分を振り込んだので、また一歩前進した感じです。7月に何気に一緒に食事することになり、そこでたまたまその夫婦から旅行のことでアドバイスを求められたのがきっかけ。どうせなら一緒に行こうか、ということで、ほとんど思いつきのように進んだ話が徐々に実現化しつつあります。またまた楽しくなってきました。

 夜、外に出るとお月様がきれいでした。そう言えば中秋の名月ですね。9月の月は特別にきれいな感じがします。そして明後日は満月。21日行の満行は明日ですので、もう一つのところでビンゴを逃した感じですが、振り返ってみると、今年の21日行はことごとく満行日と満月とか重なっています。私のスケジュールの合間を縫って決めた21日行なんですが、偶然か必然か、満行と満月とがなぜか重なっています。これはある意味、私のバイオリズムが月と調和している、、と考えても楽しいですね。ともあれ、21日行は明朝の滝で終了し、宝満山も21回目を数え、私のとっての一章が幕を閉じるわけです。明日からまた新しい幕開けと考えられますね。

 ところで、今日、久々に石井裕之さんのブログを開いて見ると、いつのまにかいろいろ更新されていました。石井さんという人は、一見、クールに装っているようですが、内面はとても熱いものを感じさせますね。最近の記事の中でとりわけ興味深かったのが、まず、9月22日の「たまごの気味みたいな」というエントリー。短いので転載しますと、、、


【たまごの黄身みたいな】

セラピーとかというと、それこそ、駆け引きのようなものだと思っている人が多い。あらゆる裏読みをして相手の真意を探り、あらゆる小賢しい技を使ってメッセージを伝える。

こりゃあ、まず、見た目上、かっこよく見える。セラピーしてます、って感じにもなる。

でも、最終的にクライアントがよくなるのは、セラピストもクライアントも、駆け引きの技を使い果たして、お互いがホンネでぶつかり合ったときなんだ。

「クライアントの幸せ」というひとつの目標に向かって、お互いがホンキで魂をぶつけたときなんだ。

仕事でも恋愛でも同じ。

ちょっと触ればすぐにも破れそうな卵の黄身の薄膜のような魂をさらしあって、生々しい人間としてのギリギリの接点をもたなくては、ホンモノは産まれてこない。

駆け引きがあるうちは、まだまだダメだ。

昨日の夜中、長い長いメールを打ち、でも、やっぱり送らずに捨てた――

チキショー。魂のこもったホンキの言葉で、語り合いてぇなあ……。


(以上)

 私もセラピーというかコーチングというかをさせて頂いておりますが、石井さんの言う「クライアントの幸せ」をどこまで「ホンキで」考えているか、改めて考えさせられるきっかけとなりました。もちろん「クライアントの幸せ」が第一です。セッション中の一時間は、誰にためでもなくクライアントさんだけのための時間です。極端な話、クライアントさんが私に死ぬように言ったとしても、それを尊重するだけの気持ちが必要です。もちろんそんなことを言う人は今のところはいませんが。クライアントさんの発する言葉の一つ一つ、息遣い、呼吸、タイム感覚、姿勢、、、すべてに意味があり、命があると思っています。思っています。ただ、それがホンキのなのかどうか、、自分では知りようがありませんが、常に省察的な姿勢で取り組むことは重要だと感じています。

 コーチングのセッションのことではないのですが、実はちょっと反省することがありました。先日、一年ぶりに「日本コーチ協会福岡支部」の定例会に出たときのことです。その日はいつもよりも人数が少ないようで、さらに参加された面々は実際にフィーをとってコーチングを実践されている人が大半でした。なので相当に濃い定例会になるかと思ったのですが、正直なところ、手ごたえを感じませんでした。こういうと非常に偉そうに聞こえるかもしれませんが、事実、心が動くような定例会ではありませんでした。今後の福岡支部のあり方を考えるワークショップがその内容でしたが、いわゆる「熱さ」を感じなかったのです。何となく常識的な話、既存の枠内での話に終始しており、もう一度言いますが、「熱さ」を感じなかったのです。もっとも今回はそういうテーマだから仕方ない、、、と言われればそれまでですが、なにか物足りなさを感じたのも事実です。その時に漠然と感じていたのが、この石井さんのブログに書かれてあるような「クライアントの幸せ」へのフォーカスのなさでした。そんなことは大前提なので議論に出ること自体がおかしいと、もしかしたら言われるかもしれません。ただ、私は曲がりなりにも常に考えていることだったので、ほとんど議論に出なかったところに若干の温度差を感じました。

 一応、私としてはクライアントサイドの案も出してはいました。そのスローガンとして「コーチングはすべての人に必要、一部の人には特に必要」、「国民すべてがコーチをつけている社会」などを掲げていました。しかし、私の真意はちょっと曲げられて理解されていたように感じました。つまり、コーチがクライアントを獲得するためには、今以上のコーチングニーズが必要、、というような。ようするにコーチサイドからみた見解です。しかし、私の真意としては、少しでも多くの人が今以上にハッピーになるためには、優れたコーチングを受けることが必要、というものでした。多くの人が普通にコーチングを受けて、普通に生活の質を高めていけるような社会です。そのためには今以上に優れたコーチが出てくることが重要ですし、主婦が片手間でやるようなイメージは払拭させねばなりません。つまりは職業として魅力あるものになっていくことが必要だと考えるのです。私は団体の認定資格を持っていませんし、団体がどのようなトレーニングをしているのか知りません。ただ、聞くところによると、もはや資格商法の一端に成り下がっているとも聞きます。ある団体の認定資格を得るためには、その団体の資格を持っている人にコーチングを受けねばならない、、など、典型的な資格商法になろうとしています。そこで実力も定かでない認定コーチのセッションを受け、「相互コーチング紹介」などのサイトで数をこなすだけのクライアントをとり、それで何となく資格が取れてしまうわけです。そのコーチが、またその団体で資格を目指す人のコーチングをして、、、など、どんどん質が低下していくではありませんか。これでは真に実力あるコーチはなかなか現れませんし、職業としての魅力も低下していきます。そもそも、よくわからないコーチ資格を取るために、60万から100万近くの受講料が必要になるなど、正気の沙汰ではないと感じます。もしも本当にコーチング自体の質をボトムアップしていきたいのであれば、学校に入るならそのための入学試験も必要でしょうし、もちろん取得に際しても厳しい審査が必要だと思われます。さらに潜在的に優れたコーチを広く掘り起こすため、費用の低減も重要かもしれませんが、もちろんこれではいわゆる「資格商売」は成り立ちません。一人でも多く、コーチを目指す人を掘り起こし、間口は広く、ハードルは低く、そして確実に学費を納めてくれる人が必要になります。その意味では私がやってるNLPも同じです。出ただけで資格が取れるなんて、何の価値も感じさせません。

 ちょっと話がそれましたが、ようするにコーチングを受ける側、つまり「クライアントの幸せ」にどれだけフォーカスするか、が一番大切なのであり、そのためには時として命をかける必要があるかもしれません。コーチング業界でしばしば聞かれるとんでもない言葉があります。それは「アンコーチャブル」という言葉です。つまり、「あの人はコーチングできない」という意味です。もちろん相性もあるのでしょうが、ご縁の世界から見ると、そのコーチとクライアントが出会ったのもなんらかの意味があるはずです。それを単に相性が合わないとか、準備ができてない、という理由(言い訳)でアンコーチャブルのレッテルを貼ってしまうことは、果たしてプロと言えるのでしょうか、という疑問があります。もちろん私も誰もかれもというわけにも行きませんし、正直、ヤバイ人だっているでしょう。それでも「ご縁」の世界では、何らかの必然性があって出会いがあったのだと考えると、まずはホンキになってみることも重要かもしれません。ホンキが先か、アンコーチャブルが先か、の話であれば、プロである以上、ホンキを優先させるべきだというのが私の考えです。

 その意味で、先日の定例会には「熱さ」は「ホンキさ」がどこか感じられないところがありました。何となくコーチのためのコーチングというような。で、そう言いながらも私はどうだったのかというと、これが今日の本題で、つまり「反省」なのです。定例会の終盤、司会者の方が「石田さん、今度、何か報告してもらえますか」と私にふってきました。定例会では持ち回りで、何かテーマを決めて報告することが、会のスタイルとなっています。私は妙に覚めた気分になっていたので、「いや、私なんかまだまだですから・・」などと、心にもないことを言って遠慮してしまったのです。一言で言えば、斜に構えてしまったのです。

 ちょっとまてよ、、、斜に構えるって、私が一番嫌いとする姿勢ではないですか。つまり周囲に対して熱くないとか、ホンキでないとか言っておきながら、私が一番冷めてて、ホンキでないのではないだろうか。周囲を批判的な目で見ておきながら、内心では「オレがホンキでプレゼンしたら、みんなビックリするで・・」なんて偉そうに考えていたりするのです。だったらやれよ!なに斜に構えてるんだ!本当は物怖じしてるんじゃないのか!経験が浅いことに引け目を感じてるんじゃないか!実力がばれるのが怖いんじゃないか!いい加減にしろよ!

 そんな声が実は先ほどから聞こえてきたりするのです。実際、考えてみると、指名がかかるってすごいことかもしれません。もし、私にそれだけの力が丸っきりないのであれば、誰も相手になどしてくれないはずです。それが私よりキャリアも実力も上の方から指名されるなど、本当はめちゃくちゃ喜んでしかるべきなのです。それを妙に斜に構えたりして、なにカッコつけてるんでしょうかね。そんな反省をしてしまいました。そこで一つの目標です。今年の年末か来年の頭にはコーチ協会の定例会で私も何か必ず報告します。来られる方の大半はプロです。そこでこそ私の本当の実力や課題が浮き彫りにされるのでしょう。これは人のためにするのではありません。私のためにするのです。そして何より私の実力が上がることによって、クライアントさんに今以上の本当の幸せがもたらされる信じたいのです。頑張ります。

 ところで、石井さんのブログの他の記事も面白いですね。特に23日の「ろくなもんじゃねぇ」とか最高です。地下鉄に乗ってたら、中学生の男子二人が携帯を見せ合って、「何かいいことあった?」とか語っているシーンにいちゃもんつけてるのです。その携帯の壁紙が美輪明宏。中学生の男が美輪明宏です。そりゃ確かに気持ちが悪いです。美輪明宏を壁紙にすると何かいいことがあるんでしょうか。

 石井さんが中学の頃は巨乳タレントの写真を下敷きに挟んでいたそうですが、それはかなり健全です。私はちょっとイタクて、レコード芸術というクラシック雑誌から切り取った音楽家の写真を挟んでた時期もあります。でも高校になると、私の学校の上位の宗教法人の代表の写真を挟んだりしてたこともあります。ただし、エロ本のヌード写真にその代表(男)の顔を貼り込んだ、いわゆる「アイコラ」を自分で作ったやつです。信者からすると不敬罪ものですね。そしてその写真を何枚か作って、友達の年賀状にも貼って送りました。するとその友達の親も同じ宗教の信者なのですが、私の年賀状を見て「○○様(←代表の呼び名)にこんなことをしてもいいのか!」となぜか私の代わりに怒られたのだとか。ごめん、うし。でも君はギャグで受け取ってくれたけど、君と同じ苗字のコーゾーは真顔で怒ってきたよ。

 で、どうでもいいのですが、私は中三の頃、初めて無修正のエロ本をみたのですが、いわゆる秘密の局部だけを切り抜いて生徒手帳に入れてた時期がありました。何で入れてたのか不思議ですが、これが中学生の健全さと言えば健全さでしょう。石井さんは江原さんの壁紙でなくて救われたとか書いてますが、どっちもどっちな気がします。どっちにしても「男」ですから。

 ま、そんなとこで。明日は締めくくりの滝になりますので、遅刻しないように起きなくっちゃ。では、お休みなさいでございます。

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by katamich | 2007-09-25 23:32 | ■人生哲学 | Comments(0)