walk my talk!! 2007.8.2

 いろんなことがちゃくちゃくと進行しています。まず、引越し。入居先も確定し、今日は引越しの見積もとりました。私は平日に動けるので、週末のほぼ半額で済みそうです。あとは細々とした生活品(冷蔵庫等)を見に行くとともに、家にある不要なものを処分していく必要があります。今日はゴミ出しの日だったので、ちょっとばかし捨てました。昔来ていた「皮ジャン」も捨てました。取ってても仕方ないですからね。あと、本を20冊ほどまとめてブックオフに持っていきましたが、1,000円ほどで売れました。一冊50円ですか。程度のいいものはアマゾンやヤフオクで売るのがいいのですが、手間のことを考えたらブックオフが便利ですよね。気持ちがいいのでどんどん捨てようと思います。とりあえず今日は学生時代に使っていた経済学や社会学の専門書を売りました。アンダーライン引きまくりなので、値段が安くなるのは仕方ないです。あと、ちょっとした思い出もあるのですが、私は経済学者でも社会学者でもないので、そんな思い出は一掃します。もし必要になれば買えばいいだけ。余談ですが、昔、ソシュールの「一般言語学講義」という古本屋で手に入れた本が、ヤフオクでかなり高く売れたことがあります。絶版になって手に入りにくいからでしょうが、落札された方から、かなり感謝されちゃいました。日焼けしてるものの、程度は良かったですし。あと洋書の類も高く売れます。今はまったく必要ないものであっても、猛烈に必要とする人はどこかにいるものです。そういったニーズのマッチングが簡単にできるのは、インターネット時代の素晴らしさですね。

 私は何だかんだ言って、世の中は素晴らしくなっていると思っています。よく、日本はダメだとか、地球はお終いだとか言う人がいますが、私は決してそうではないと思っています。見方によってはダメな部分もあるかもしれませんが、よくなっている部分も多いはずです。例えば地球がダメだと言うことの根拠としては、環境問題や自然災害による被害が言われます。私は環境の専門家ではないので、明確なことは言えないのですが、本当に環境が悪くなっているのかは、いろんな見識があります。ダメだダメだと言いながら、生活環境で言えば、格段に良くなっていますよね。環境に目を向けることは、確かに大切だとは思いますが、あんまり悲観的にダメだダメだというのも違和感があります。

 ただ、できることから始めようというのには大賛成です。私は割り箸をどんどん使う方が今のところは環境に貢献しているという立場を支持してますので「マイ箸運動」はしませんが、ゴミ拾い程度ならやっています。「マイバック」は時々ですが、必要なビニール袋はもらうようにしています。いい悪いの話ではなく、自分にできることしかできないのですから。私の関心事で言えば「竹林問題」が深刻だと思っています。昔の人は山に入ってタケノコやらを取り、育った竹もいろんなことに活用していて、人と自然との調和が図られていたのですが(「里山」という考え方)、今は放置されまくりです。竹が育ちすぎると、山の養分やら日光やらが遮られて、本来育つはずの植生が犠牲になります。なので、そういった竹林を効率的に採取・活用するためのシステムを構築することが、私の関心内での環境問題です。

 誰もが専門家にはなれないので、まずは自分の関心事について目を向けることがスタートでしょう。竹林問題に関しては、私一人ではどうにもならないので、いつかビジネスチャンスも見越して取り組んで行きたいテーマではあります。それから「自然災害」について、いろんな悲観的な意見を言う人もいます。地球が怒っているとかなんとか。ただ、自然災害ってのは有史以前から何度も経験してきているはずです。日本の歴史上最大の被害として「関東大震災」があげられますが、その当時に「地球が怒っている」なんて言った人がいたでしょうか。ちなみに死者行方不明の数だけ言えば、阪神淡路大震災の約5000人に対して、関東大震災は10万人ですから、被害としては桁違いです。もちろん関東大震災では時間帯とかいろんな悪条件が重なったのもありますが、死者の数だけで見れば、近年の震災はぐっと少なくなっています。一つには地震に対する個々の備えや、地震に対応したインフラの充実などがあるからだと思っています。自然災害は起こって当然なのです。その前提で具体的な備えをしておくことが重要だと私は思っています。

 という訳で、私はあまり日本がダメとか地球がダメとかは言わずに、いろんな問題もあるけど、「地球は大丈夫、地球はますますよくなっている」と考えるようにしています。地球を日本に置き換えてもいいです。別にアメリカでもいいです。確かに良くない問題もあります。それに対しては決して目をそらすことなく、自分のできることから始めることが大切だと考えています。それにしてもですよ、私が生きてるこの30数年を考えても、格段に生活レベルは上がっていますよね。もし今から30年前の生活スタイルに戻れと言われても難しいでしょう。

 余談ですが、昔、まちづくりコンサルの仕事をしている時、環境問題となると現れる特定の人がいました。我々は「キ○ガイ教授」と呼んでいたのですが、その方は環境保全の専門化であり、いろんな審議会とかに顔出すのですが、話を一切聞かずに、「開発ダメ!」の一点張りを通すのです。ダム建設、宅地開発、幹線道路の拡充など、政治や住民ニーズなど一切考えずに「NO」を押し通します。ただ、その手の話と言うのは、最初からすることが決まってから審議会などが開かれるので、その教授の言うことは結果的に通りません。言わば強行採決に近い形になるのですが、その前にその教授は必ず辞任します。理想論はあると思いますが、ダメ!ダメ!の一点張りじゃあ、人は付いてきませんよ、、と言ってやりたかったです。コンサルの立場からは難しいのですけど。ただ、発注者側(お役所)からすれば、それこそがコンサルの仕事だ、と言われるので、それはそうかと思いながらも、現実難しい話でした。板挟みというやつですね。今なら、その教授に対して「じゃあ、あんた、洞窟に住め!」と言いたい気分ですが、波風立てるのは私の主義ではないので、わざわざ言いには行きませんけど(笑)。

 ただ、似たり寄ったりのことは誰にでもあるとは思います。以前、車社会から環境共生社会へと切り替えるための提言なり研究なりをしていながら、徒歩10分の距離を車で通学している大学院生がいましたが、そんなのは極端としても、誰しもが言ってることとやってることの矛盾は持っていると思います。人間なんて矛盾を抱える生き物ですから。ただ、その矛盾をよしとせず、何も発言しない、何もしない、、、ってのは一番問題だとは思います。以前、私が所属していたあるサークルで、運営のための会議を開いていました。遅刻や無断欠席をどうするかとか、レベルアップのためには何をすればいいのか、、、などの話をするのですが、そうなると、決まって出てくる言葉ありました。それは、「自分もできてないのに、人に対して言うことはできない」という台詞です。この台詞は一見もっともらしいのですが、極めて破壊的なフレーズですよね。

 論理的に結びつけると、

「自分もできてないのに、人に対して言うことはできない」

だから、、

「人には言わないし、自分もしなくていい」

となりますので。後者のフレーズは口に出しては言わなくても、「潜在意識」の世界では論理的に続きを導きますので、実は強烈なフレーズとして潜在意識に入ってしまいます。この理屈わかりますよね。例えばセールスマンが何かを売ろうとした時に、お客さんが、「いいとは思うのだけど・・」と言ってしまえば、これは「買わない」の意思表示になります。どんなに利点をアピールしても買ってはもらえません。その場合は、多少はケチのつく部分を残しておいた方がいいかもしれません。例えばデザインや色合いなど。あえて一つのデザインだけでプレゼンしてみるのです。そしてお客さんが、「ちょっと色合いがどうもねえ・・」と言えば、これは「買う」のサインとなります。そうなれば、「実はこのようなデザインもございます、AとBではどちらがお好みでしょうか?」と言えば、これで決まったも同然です。相手のニーズを満たすとともに、ダブルバインドというセールス話法も含まれていますので。

 話がそれそうですね。元に戻します。「自分もできてないのに、人に対して言うことはできない」というフレーズは、後に「(だから)人には言わないし、自分もしなくていい」という言葉が続くのです。そもそも、「できる」とはどういう基準なのでしょうか。そのサークルは音楽関係だったのですが、プロ並に演奏できることを言うのでしょうか。演奏面でなくても、完全無遅刻無欠席の厳しい人間になることでしょうか。客観的に「できる」を示すのは不可能です。だからこの場合、重要なのは「できる」ではなく、「言う」ことなのです。

 「できるまで言わない」では、いつまでたってもできません。ただし、言ってしまえば、その瞬間から「できる」に近づきます。アンソニー・ロビンズだったかの言葉に「walk my talk!!」ってのがあります。彼の本業はコーチでありセミナー講師であります。そこでは当然、成功や人生をよりよく導くための様々な提案やら導きをしていきます。ただ、彼がそれを「言った」時点で、それをすべてできているのでしょうか。決してそうではありません。

 実は、、と言わなくてもいいのでしょうが、私もトニー・ロビンズと同じような仕事をしています。その中で、いろんな提案やらコーチングやらをさせてもらっています。ただ、そこで言ったことのすべてを私ができているかと言えば、実は決してそうではありません。「オレができてるんだから、オマエにもできる!」なんてのは、かっこいいかもしれませんが、現実はそうではありません。早起き(2度寝しない)、部屋の片付け、時間管理、ブートキャンプ、すぐする、、、など私にもいろんな課題はあります。それを承知でコーチングなどしているので、厚かましいと思われるでしょうが、それでもすることに意義はあります。自分が完璧になってからコーチングを始めよう、、なんて言ってれば、一生できないでしょう。コーチングに限ったことではありません。会社員でも部下を一人でも持った瞬間から、手本になることを強いられます。「私は手本になれないので、平で結構です、、、」なんて言ってしまえば、その人はそれまでです。

 「Walk my talk!!」とはまず「言う」こと。そして言った事のように人生を「歩む」ことなのです。かの、アンソニー・ロビンズでもそう言っているのですから、私にだって言っていいはずです。という訳で、部屋は片付けます。

 今日もいつものように、話がそれまくって、行き当たりばったりのお話になってしまいました。が、何だかいい話もできたような気がします。てなわけで、また明日。


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Commented by オレンジ at 2007-08-03 17:14 x
はじめまして、こんにちは。
目からうろこが落ちたような、爽快な気分です。

僕は理想が高く、身の回りの矛盾を見つけては直したくなる気持ちになるのですが、
「自分だってできてないのに、こんなこと言えないよな・・・」と、いつも口をつぐんでいました。
しかし、「できるまで言わない」ように意識してから、なぜか、いろいろなことができなくなったように思います。
一番できなくなったのは、人とのコミュニケーションです。

「自分もできてないのに・・・」と思うことで、はっきりと意識したことはありませんが、
>「私は手本になれないので、平で結構です、、、」
こんなふうに自分を小さくまとめてしまったような気がします。

でもこの思考のロジックを知った今、この状況から抜け出せそうな気がしています。
掲示板やブログのコメントにさえ気軽に書き込むことができませんでしたが、
これからはできる範囲で言い、行動していこうと思います。
まずはここに宣言です。
いい記事を、ありがとうございました。
Commented by katamich at 2007-08-03 20:36
■オレンジさん!
コメントありがとうございます!!
できてないとわかっていながら「言う」のは勇気ありますよね!
でも、そこで言う人間だけが、理想を現実にするものだと思っています。
本文に付け足すと、
「私は手本になれないので、平で結構です、、、」
ってのは、謙虚なようでいて、実はかなり横柄だと思います。
仕事ってのは、常にレベルアップしていくことが使命なのに、
それを放棄しているのだから、いいようによっては、仕事はテキトーしますけど給料はください、、と言っているようなもの。
オレンジさんはそうではないと思いますが、私が社長だったら、そんな人はその場でクビにします。
オレンジさんのこれからのご活躍を心から応援申し上げます!!
私もまだまだもがいている最中ですので、ともに頑張っていきましょう!
by katamich | 2007-08-02 11:15 | ■人生哲学 | Comments(2)