死を意識しながら生活する 2007.7.15
2007年 07月 15日
ところで、7月28日の福岡セミナーですが、どしどし参加申し込み頂いています。当日まで2週間を切っていますが、順調な感じです。定員の20名に達したら嬉しいですね(まだまだではありますが)。「28日の福岡セミナーに20名の参加者が来られました。感謝します!」って言うと、ほぼ間違いなく叶ってしまうのです。だからいつもは言いません。ここぞの時だけ言うようにしています。よくよく考えると、私にとっては初の有料単独セミナーであり、それも地元福岡。ここでも伝説のセミナーにしたいと思います。って言うか、これから先は一回一回が伝説となるような意気込みが大切だと思います。石井裕之さんの「『心のDNA』の育て方」に付属している講演CDってのがすごいのですが、彼も一回一回がラストだと思って話していると言っています。そしてそのCDの最後の方で、奇妙なことを言っているのですが、彼は30代前半の頃、もうすぐ死ぬと思っていたそうです。詳しい理由は言われませんが、1ヵ月後にはリアルに死ぬことになっていたそうです。そしてその1ヶ月が人生で一番充実していたのだとか。あらゆることが愛おしく、あらゆることに感謝の毎日。この野良犬一匹いなくても、今の自分はいなかったであろう、、、と心の底から感謝した数日間だったそうです。しかし結果としては死なずに済んでいるのですが、その日々ほど愛に溢れて充実した時期はなかったのだとか。もちろん死ぬことを前提として毎日生きるわけにはいきませんが、可能性で考えると、誰もがいつだって死ぬ可能性はあるのです。それは明日かもしれないし、一時間後かもしれない。50年後かもしれないし、80年後かもしれない。それでも人は100%死ぬわけですし、可能性で考えれば、常に死と隣り合わせなわけです。
死ぬことが決して悪いこととは言いませんし、「死」を意識することで、「生」が充実するという側面は確かにあるかもしれません。私のコーチングなんかでも、ごくたまに「もしも仮に3ヵ月後に死ぬことが決まっていたら、今、何をしたいですか?」と質問することがあります。この質問をすると大体2通りの答えが返ってきます。一つは「持っているお金を全部使って好きなことして贅沢に暮らしたい」という答えで、もう一つは「今まで通りに普通に暮らしたい」という答えです。私ならば一度は前者の答えをしそうですが、実際には後者かもしれません。もちろんなけなしの財産でできる贅沢など限られていることもあるでしょう。もしそうなれば、有り金全部で「座敷わらびーちゃん」を買って、孤児院や老人ホームなどに配って歩きたいですね。そしてできれば、一時間ほど私の講演会を開いてくれれば本望です。あ、それがいいですね。「死まで残り○○日!文字通り命を削る!わくわく講演会!」なんて盛り上がりそうですね。そう考えると「余命」を知らされるって、実はとても幸せなことなのでは、と思ってしまいます。ある種の特権のようにも思えます。「夜回り先生」の水谷氏なども、ガンで死の宣告を受けているそうですが、だからこそあのような捨て身に見える行動ができるんでしょうね。あと、捨て身と言えば、事故や病気で一度死にかけた人も強いですよね。「今の人生はオマケ」みたいな考えで、どんなことでも怖がらずにやってしまいます。彼らと同じメンタリティを持て、と言われても容易ではないでしょうが、ある意味「もし仮に3ヵ月後に死ぬことが決まっていたら・・・」という質問は、ちょっとばかりはそのメンタリティに近づける手段なのかもしれません。
そう言えば、以前、NLPのワークで「死のタイムライン(←私がそう呼んでいます)」というのをやり、そこで、私の臨終を見てきました。それなりの老齢になっており、「ツレの顔」と「黄色いおにぎり」が見えたのですが、あの時は妙に泣けましたね。深いトランスに入ってしまうと、過去も未来もなくなってしまいます。現在において過去と未来を同時に見れる、、、何てことが「タイムライン」では可能になります。そんなオカルトなスキルもNLPの魅力であったりするわけです。でもそのワークをやったことで、何かが変わったような気はします。一緒にワークをやっていた人には涙を浮かべていた人もいました。
ま、そんなワークでなくとも、「自分はいつか死ぬ」という前提で「今」を考えることは決して無意味なことではないと思います。人はいつか死ぬから何もしないのではなく、いつか死ぬからこそ今の生に感謝して一生懸命に生きること。いきなり話は変わりますが、今、小曽根真さんの「wizard of ozone」というアルバムを聴いているのですが、その最後に収録されている名曲「We're all alone」は素晴らしいバージョンです。今流れてきました。実はこの曲自体にはちょっとした思い出があります。以前、学生時代にある吹奏楽団に所属していたのですが、私のその楽団を退団する最後の定期演奏会のアンコールで演奏したのがこれでした。私のその吹奏楽団だけでなく、住んでいた土地に対しても、ものすごい思い入れ、思い出があったため、不覚にも演奏中に泣いてしまいました。私はコンサートマスターの一番目立つ席です。この曲が終わったら、もう、この土地で楽器を吹くことはないんだな、、、という思いがよぎった瞬間、やばくなったのです。なので、いつもではありませんが、この曲を聴くと、時々、その時の気持ちが蘇ることがあります。
で、今、たまたまこの曲を聴いてしまい、ちょっとばかり当時の気持ちがよぎりました。NLPでいうアンカリングですね。死ぬ、、わけではないのですが、ある意味、「お別れ」の思いがインプットされた曲です。でも「お別れ」は同時にスタートでもあります。終わりは始まり。死とは生の証。つまり「今」。このあまりにも有名で場所によってはベタでダサいこの曲を聴きながら、ふと、そんなことが頭をよぎりました。いつ死ぬかもしれない、いつ終わりになるかもしれない、、、だからこそ今を一生懸命に生きてみよう、、、なんてことが頭をよぎりました。で、なぜ、この曲があったかと言うと、結婚式の選曲の候補として昨日聴いていたからです。結婚ってのも、独身生活へのピリオドであり、新しい生活へのスタートでもあります。もしかしたら、私にとってピッタリの曲かもしれません。どっかで使おうかな。それはともかくこの小曽根さんの「We're all alone」はソロピアノでかなりいいです。
何となく今日もとりとめのない話になってしまいましたが、今後、行っていくセミナーでも「今」に最大の力を注ぎ込み、全力で皆さんの前に立ち続けたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。
最後に、蛇足かもしれませんが、こんな質問が来るかもしれません。そうやって「死」を意識していたら、潜在意識にインプットされて現実化しませんか、、、など。心配ないです。そこは顕在意識がブロックしますので。死ぬべき時は死にますし、そうでなければ、きちんと顕在意識がブロックしてくれます。そのブロックは大切にされるといいと思います。でも、同様に、望ましい願望イメージも顕在意識がブロックしてるんですけどね。その辺のブロック(ブレーキ)の外し方は私のセミナーのテーマでもあります。が、これに関しては、いろいろな説とか誤解とかがあるようですので、近々、無料オーディオセミナーでも語りたいと思います。本で読んだことばかりでなく、私自身やコーチングのクライアントさんが身をもって経験したこと事実からお話したいと思います。
てなわけで、またまた文章がとりとめもなくなりましたが、今度こそ、この辺で失礼致します。ありがとうございました。
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