「天使の呪文」と「悪魔の呪文」 2007.10.10

 昨日は2時まで飲んでしまい、久々にフラフラになりました。二件目の店で急ピッチで泡盛を飲んだのが結構ききました。で、今日も早起きしようと目覚ましは5時にセットしたのですが、一度は目が覚めたものの、目覚ましを止めてから、再び寝入ってしまいました。これで「人生を変える奇跡の早起き」の開始後、初の早起き失敗です。ただ、こういう日があってもいいものです。管理人が頑張り過ぎて、毎日起きていたら、他の方にプレッシャーになるかもしれませんので。こういう、都合のよい解釈がうまくいくコツなのです。

 今日の福岡はすごい雨が降っていました。窓をピッチリ閉めないと、部屋の中がずぶ濡れになる程の横殴りの雨でした。これで今年は水不足の心配もないのでしょうが、そろそろ晴れてもらえれば嬉しい今日この頃です。夏は海にバーベキューにと、楽しいことが目白押しです。宝満山も今月はまだ一度も登っていません。今週中に一度は登りたいと考えています。できれば暗いうちに起きて、頂上でご来光もいいかもですね。

 ところで、話は変わりますが、最近、私のコーチングが好調かもしれません。特にクライアントさんの調子がいいのです。恋人ができたり、試験に合格したりなど目に見える結果もあるのですが、何よりも精神状態がコーチングを受ける以前と格段によくなったと、皆さん、おっしゃって頂けます。精神状態がよくなれば、目の前の現実もよくなるのは当然のことです。前にも言った通り、私はいわゆるコーチングの認定資格を持っていません。専門機関でのトレーニングも受けたことがありません。もっともNLPはマスタープラクティショナーまで進んでいますので、考え方によっては、そこで必要なスキルは網羅されているのかもしれません。かと言って、NLPを受講すれば誰もがコーチングができるかと言うと、決してそうではないでしょう。プロコーチを目指すのであれば、まずはコーチングの認定資格を目指すか、専門のトレーニングを受けるのが妥当だと思われます。

 そういう意味では、コーチング協会の認定資格を持たずして、仕事としてコーチングをしていることは、非常に例外的だと思われます。ただ、最近は、いわゆる認定資格を持ったプロコーチからもコーチングを依頼されることありますので、自分としてもビックリな状況だと思っています。最初はプロコーチに対するコーチングなど滅相もない、と思っていたのですが、考えようによっては、いわゆる専門トレーニングを受けた人にはないリソースがあり、そこに期待されてるのかもしれません。となると、誰であろうと、自然体でコーチングをすればそれでいいわけです。もしそこで良好なパフォーマンスが得られなくても、そこでダメコーチの烙印を押されるわけでもありませんから。相手が誰であろうと、資格を持っていようがいまいが、結局のところは「人間対人間」のコミュニケーションに尽きるのです。「コミュニケーションに失敗はない、あるのはフィードバックだけだ」、というのは、やはり真実だと思いますので、それを考えると、ま、気は楽ですね。

 とまあ、このような話がしたかったのではなく、そろそろ本題に入りますが、私がコーチングをしていて、「なぜ、この人はうまくいくのか、なぜ、この人はうまくいかないのか」と言うのは、私にとっても今一番関心のあることです。もっとも、「うまいくかない」ということは「ありえない」と思っているのですが、短期的には結果に結びつかないこともあります。ですので、正確に言えば「なぜ、この人はすぐにうまくいくのか、なぜ、この人はすぐにはうまくいかないのか」と考えるのが正しいとは思います。しかし、あまり「すぐに」に拘る必要もないと思います。まさしくコーチングを受けているリアルタイムに結果を出していく方もいらっしゃれば、コーチングが終わって、忘れた頃に結果が出る方もいらっしゃいます。例えば、私のコーチングでは毎回、フィードバックのためのシートをお渡しして、それに記入してもらうのですが、初回に書いたシートの目標が、振り返ってみれば、恐ろしいほど正確に叶っていた、、、なんてことは普通にあります。

 そもそもからして、願いは紙に書けば叶うのです。これは神田昌典さんも力説してますよね。でも、人はなぜか紙に書かないのです。それをコーチングによって極当たり前に書いてもらい、それプラスアルファとして、毎回のセッションが加わるので、願いは叶わない方が逆におかしいのです。もう一度言いますが、願いは叶わない方がおかしいのです。

 で、本題に入ります。なぜ、すぐにうまくいく人と、いかない人がいるのか。もっと正確に言いますと、「なぜ、うまくいかない人がいるのか」ということです。私の中では人はすべてうまくいくのです。願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。何度も書きますね。

願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。
願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。
願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。
願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。
願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。
願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。
願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前。


なんです。この前提で言うと、願いが叶わない人が例外、夢が実現しない人が例外なのです。で、ここではっきりと申し上げます。うまくいく人と、うまくいかない人との違いを。「願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前」ではなく、「願いが叶わない人が例外、夢が実現しない人が例外」と聞いたとき、「うまくいかない人」は、、、こう考えます。

「あ、それ私のことだ」

と。「うまくいかない人」はなぜかネガティブな呪文に即座に反応してしまうのです。それがいかに例外でマイノリティだと言っても、「うまくいかない人」は自分こそがその例外であり、マイノリティだと思ってしまうのです。宝くじに高額当選する人は例外、と言っても、そこには反応しないのです。ただ、「うまくいかないことが例外」、と言うと、途端に反応してしまいます。「あ、それ私のことだ」、と。

 で、そのような人とお話をしていると、非常に連発する言葉があります。前にも言ったかも知れませんが、それは「でも」という言葉です。それを私は「悪魔の呪文」と呼んでいます。例えばこんな調子。


「願いは叶って当たり前、夢は実現して当たり前、、、でも私は例外かもしれない」
「人は幸せになるために生まれてきている、それは分かるけど、、、でも私はそうじゃないかもしれない」
「人の悪口とか言ったら自分に返ってくる、、、でも言ってしまう気持ちもわかって欲しい」
「素敵な人と結婚して幸せになりたいとは思っている、、、でも私は○○だから無理だ」
「早起きは三文の得だというし、早起きすれば人生が変わる気もする、、、でも私は○○だからできない」


 あげだすとキリがないのですが、だからと言って「でも」が絶対悪かと言えばそうでもありません。要するにここで言われている「悪魔の呪文~でも~」は「プラスの言葉、でも、マイナスの言葉」に限られます。ですので、実はそれを逆にすれば「悪魔の呪文」も「天使の呪文」に変わってしまいます。つまり、「マイナスの言葉、でも、プラスの言葉」という感じに。例えばこんな風です。


「彼は本当にどうしようもない奴かもしれない、、、でも私は彼のことをとても愛してるから幸せ」
「宝くじなんかそんなに簡単に当たりっこないよ、、、でも買い続けるとそのうち当たるでしょ」
「結婚するとそれはそれで不自由なこともある、、、でも幸せを感じることの方が大きいので結婚したいなぁ」
「オレ、低血圧だから早起きできるか自信ない、、、でもその気になればできるだろうし、早起きできれば低血圧だって治っているよね」
「職場にめっちゃ嫌な奴がいる、できれば顔を合わしたくない、、、でも彼のいいところを見つけようと努力していけば、そのうちなんとかなるかもしれないね」


など。どうでしょう。前の「悪魔の呪文」の例文と「天使の呪文」の例文を比べてみると、「天使の呪文」の方がはるかに気持ちがいいでしょう。石井裕之さんの本に書いてあったと思うのですが、こんな場合もそうです。次の例文を見比べてください。

「素晴らしいセミナーだったと思います。しかし、時間配分にはまだまだ改善の余地がありますね」
「時間配分にはまだまだ改善の余地がありますね。しかし、素晴らしいセミナーだったと思います」

 どちらが気分がいいでしょうか。おそらく二つ目の方が気分がいいと思います。しかし、多くの人がやってしまうのが一つ目なんですよね。「イエス・バット方」なんてマニュアルにも書かれてありますし、最初にいいことを言った方が、言う際のストレスが少ないしですね。

 話がそれそうなので、元に戻しますが、ようするに「でも」も使い方次第で「悪魔」にでも「天使」にでもなるのです。しかしながら、「でも」を口ぐせにする人のほとんどはそれを「悪魔の呪文」として使ってしまうようです。なので、そういう癖がある人は、まず自分がどれだけ「でも」と言ってしまうかを認識して、言ってしまったら、一つの気づきとして成長の材料にすればいいと思います。それだけで、「悪魔の呪文」が減り、うまくいって当たり前の境地になるわけです。と、ここまで読んでみてもやはりこういう人もいるでしょう。

 「でも、『でも』って思わず言ってしまう気持ちもわかって欲しい」

と。はい、わかります。そしてあなたが「悪魔」とずっと付き合っていきたいということもわかります。わかりますけど、私は「悪魔」と付き合っている人とは付き合いたくないので、申し訳ないのですが、そこで距離を取らせて頂きます、、、と言わざるを得ません。

 しかし、私のコーチングのクライアントがその「悪魔の呪文」にはまってしまっている時は、何とかそこから脱出する手助けを全力でしたいと考えています。「悪魔の呪文」ってのは一種のウイルスみたいなものですので、どんなにいい情報が入ったところで、そのウイルスを抱えている以上、即座に汚染されてしまうのです。いかに素晴らしい本を読もうが、講演を聞こうが、パワーグッズを持とうが、カウンセリングやコーチングを受けようが、ウイルスを持っている以上、何をやってもうまくいかないです。カウンセラーやコーチの方は、クライアントの「ウイルス」をまずは認識して、それを除去する術を知るべきです。その術さえ知れば、セッションなんてすべてうまくいって当たり前なんです。ある意味、それで終了と言えるのですが、「ウイルス」を除去できれば、そこからさらに、もっとよくなりたいと考えると思うので、それ以降は面白いほどにセッションが上手く進行するものです。

 ではどうすれば「ウイルス」を除去できるのでしょうか。実はとても単純で簡単なことです。一言で言えるのですが、それを言ってしまうと、あまりにも簡単すぎて逆に効果がなくなりそうなので、申し訳ないのですが、ブログに書くのは控えたいと思います。もったいぶっているようですが、その方がベターなのです。ま、今回の文章の中にヒントがあるかもしれないので、まずは実践できることを実践されるといいと思います。とりあえずは「でも」に注意することです。

 てなところで、いつものように話が行ったり来たりで、とりとめのない文章になってしまいましたが、この辺で。ではでは。




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Commented by にょり at 2007-07-11 16:49
こんにちは!今日も強力な記事ありがとうございます。mixiのほうにも書いたのですが、一年前に日記に書いた願望が、実現しちゃってるんです。「書く」というのは凄い力があるみたいですね!
Commented by katamich at 2007-07-14 23:36
■にょりさん!
そうですね、「書く」ことはめちゃくちゃパワフルなんですが、簡単すぎるがゆえになかなか実行される人も少ないですね。
by katamich | 2007-07-10 10:24 | ■精神世界 | Comments(2)