滝の中で降りてきたもの 2007.4.14

 6時起床。自分の車で北九州の畑観音まで行きます。「21日行」も最後の7日に入ります。今までもそうでしたが、ラスト7日ってのは「行」もクライマックスを迎えます。それまで14日間の「圧縮」が一気に噴出す感じです。今日から滝の中で「観音経」を唱えます。「念彼観音力」という「呪文?」がいいリズムになっている、覚えるにはちょっと長めのお経です。そして私の大好きなお経でもあります。観音様はどこへでもお救いになって頂けますよ、という内容なんですが、唱えているだけでトランスに入ったような状態になります。

 最近、思うのですが、私にとっての「滝行」とは修行と言うより「趣味」のようなものです。今日はたまたまお参りに来られていた見知らぬ男性から「若いのに大したものですね~」なんて声をかけられましたが、そう言われることに非常に違和感を感じてしまいます。滝行というのは春夏秋冬を通じて、非常に気持ちがいいものです。夏はさっぱりするし、冬は身が引き締まります。その気持ち良さは、まるでスポーツのようでもあります。ですので私にとっての滝行とは、草野球やマラソン、テニスのようなものです。ただし、「真剣」さは大切です。他のいかなるスポーツもそうですが、真剣にやらねば事故を起こします。しかし真剣にやれば、それだけ気持ちがいいし、満足感も大きいものです。

 前も言ったと思いますが、滝行を体験しにくる人は多いです。そして7割くらいの人が「これからも続ける」と言います。しかし実際に続く人は結局1割もいません。滝行をしに来る人の多くは、精神世界や神秘体験に興味があったり、何か特別なものを求めて来るようですが、そういう人に限って続きません。おそらくは「何も得られない」ことを知るからでしょう。今でも続いている人は、皆さん、何も求めず淡々と楽しまれています。滝の後の一杯のお茶やビールを楽しみに来られている感じです。

 とは言うものの、滝行を通じて、得られるものも確かにあるとは思います。一つは「健康」です。滝行が直接健康にいいかどうかは分かりませんが、毎週、滝に来れるということ自体が健康の証でもあります。それから精神的な満足感です。これは理屈ではありません。あとは寒さに強くなる。これは物理的にそうだと思います。私は今年の冬も家の中では上着二枚、外に行く時だけダウンを着ていました。暖房も洗濯物を乾かす時だけつけました。そういう意味では経済的な身体になったとも言えます。では、よく言われるような「神通力」とかサイキックな能力はどうかと言えば、私の見たところでは身に付いた人はいないです。そもそも、それらを求め始めたところから滝行が苦しくなるようです。

 私もそんなことを初期には思わないでもなかったのですが、今では正直に全然関心がなくなっています。霊を見ることに固執した時期もありましたが(実際に見ましたが)、実際には話のネタになるくらいで、私自身に何の変化ももたらさないことを知りました。なので今は関心ありません。と、言いながらも、、、実は今日の滝では非常に素晴らしい瞬間を味わったのも事実です。そのことを書きます。

 私の今回の21日行は初日に「文殊菩薩不在」の状況から始まりました。文殊菩薩は私の守護佛と言われています。これは霊能力がある導師が「見た」範囲での話ですので、私には分からないことです。ただ、自分に見えないからと言って、疑うことに何の意味も感じないので、一応、そういうことで受け取っています。誰が言ったのか忘れましたが、ある密教系のお坊さんだったと思います。人から神や仏のことについてたずねられたとき、「そんなものはあってもなくてもいい。だったらあってもいいじゃないか。神や仏なんてそんなものです」と答えたそうです。私もそんな考えに共感します。ですので、私の守護佛が文殊菩薩であると言われたら、それを信じようが信じまいとどちらでもいいことです。だったら信じてもいいわけだし、ゆえにそうしているということです。

 そうそう、文殊菩薩不在の話でしたが、「不在」とは言うものの、文殊菩薩が座している「獅子」だけは残っており、私の周りを飛び跳ねていたそうです。暴れるというより、飛び跳ねている、、、そういう状況だったとか。「獅子」も御神様の御遣いには違いないので、一概によくない兆候とも言えず、とりあえず様子を見ることになりました。とりあえずは滝の中では文殊菩薩のご真言(をんあらはしゃのう)を21偏唱えることになりました。その「現象」そのものが何の意味を持つのかは、これからの私に運命によって明らかになることです。

 さて、今日も皆さんが滝に入った最後に入りました。禊ぎの祓い、般若心経、観音経、各々の真言などを唱えます。途中、観音経が飛んでしまったので、唱えなおします。そしていつの瞬間だったか、、、何かが「すと~ん」と降りてきた感覚を得たのです。その時、ここ数日間、ずっと考え続けてきた「著作のモチーフ」が出てきたのです。とにかく私としては年内に一冊目を出すことを今年の目標として、何としてでも実現しようと決意したのですが、肝心の「何を書くか」については、はっきりとしていない状況でした。書きたいことはたくさんあるのですが、それが果たして「本」として出版するに足りるものか分かりませんし、頭の中での整理も全然ついていない状況でした。それが突然、滝の中で「すと~ん」と降りてきたのです。何を書きたいのか、どう表現するのか、そして書けるかどうか、、、そんなことが瞬時に降りてきたのです。滝の中で歓喜に震えていました。そのまま滝からでて、更衣室で着替えるのですが、身体が小刻みに震えています。決して寒いからではなく、まさしく歓喜に震えていたのです。ああ~これか~と思いました。もしかしたら「文殊の智慧」かも。

 その後、導師にも報告しました。確かの今回の21日行を始めてから、急に「出版」の話にリアルティが出始め、意識がそれにフォーカスするようになってきたのです。私にとってはものすごいチャンスであり変化です。そしてラスト7日の初日に突然降りてきたのです。この一連のことが「滝行」によるものかどうかはわかりません。因果関係を証明することは不可能ですが、私としては主観的にであれ、滝を通じて授かったものだと思うようにしています。なぜならそう思うことのほうが、私にとって自然だからです。今回の「文殊菩薩不在」のスタートも、もしかしたらこの「出版」のことと関係あるではと思っています。そう思うことの方が私にとって自然なのです。

 正直言います。今年中に著作を出版することは可能です。いや、むしろ潜在意識のレベルでは既に出版を果たしたものと同じです。あとは滝の中で出てきたモチーフに字を埋めていくだけです。もちろんこれから企画書を書いたり、出版社とやり取りしたり、実際に原稿を書いていく作業など、することはたくさんありますが、私の中では既にリアルティとして目の前に著作があります。どんな著作にするかは追々発表していきたいと思います。

 そんなわけで今日はまた非常に大きな前進のあった日でした。心より感謝申し上げます。


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【21日滝行日誌 15日目 晴れ】
畑観音での滝行。身体全体が自然度100%の滝に包まれる。気持ちがいい。夜はインドカレー。肉なしで食べられるインドカレーはありがたい。
by katamich | 2007-04-14 11:29 | ■精神世界 | Comments(0)