今年二回目の21日行が始まりました 2007.3.31
2007年 03月 31日
今さらですが、なぜ、「行」をするのかというと、何かを目指してとか、特別な理由があるわけでもなく、何となくしたほうがいいような気がするから、、、としか言いようがない気持ちです。ただ、「行」によって自らに何某かの負荷を与えることで、確実に何かが動く実感があるんです。それは具体的な状況の変化であったり、大いなる気づきであったり。結局、私は「行」が好きだから、、、ということになるのでしょうか。ま、一般的な言い方での利点をあげれば、生活に「リズム」をもたらすことができるわけです。人生はリズム、生活はリズムだと思っています。そしてその「リズム」は自ら積極的に作っていくものであるべきだと思っています。ややもすると、流される生活、自分次第ではない生活になりがちなところ、自らの意志でリズムを生み出すのです。その手段が私にとっては「行」であるだけなのです。人によっては趣味であったり、資格をとることであったり、仕事上の集中的なプロジェクトであったりするわけです。何がよくて何が悪いというわけでもありません。ただ、私の場合は、何かの「縁」によって「行」ができる環境にあり、それを選択しているだけなのでしょう。
そんなことで、今日からまた21日行が始まるわけです。私のポリシーはとにかく「楽しく」ですね。で、今日は初日の滝に入りました。畑観音で滝行のメンバーと一緒です。私が最初に入りました。とっても気持ちのいいエネルギッシュな滝です。春のエネルギー、生命が復活する時の大いなるエネルギーを全身に浴びます。ダイナミックな自然や宇宙との一体感を感じます。今日の滝によって、21日間の方針が決まります。それを見るのは導師です。私はいつものように、禊ぎの祓い、般若心経3巻、各々の真言を唱えてから出ました。滝着から私服に着替えると導師からよばれました。
私の守護佛は知恵を司る「文殊菩薩」であることは、私が初めて滝に入ってから言われていることです。三人寄れば文殊の知恵の「文殊菩薩」で、知恵の仏様であり、とりわけ「コミュニケーション」の達人としての仏様であるとモノの本には紹介されています。その様子は「維摩経」というお経の中で物語られています。在家のお釈迦様の弟子である維摩居士は、とにかく問答の達人で、誰もが彼には論破されるため、出家したお釈迦様の弟子たちは、維摩居士と会うのを嫌がっていました。その中で唯一「文殊菩薩」だけが自ら名乗りをあげ、維摩居士と対等に渡り合ったとされています。最後は維摩居士を沈黙させたのですが、それさえも文殊菩薩は「究極の真理」として維摩居士をたてたと言われています。この一連のストーリーからも、文殊菩薩がいかに卓越したコミュニケーション能力を持っているのかが伺えるわけです。ちなみに私の守護佛が「文殊菩薩」であると知らされてから、コーチングやNLPを始めとした、様々なコミュニケーションのツールが私の元に引き寄せられてきたのも、単なる偶然では片付けられない気持ちがあります。
で、今日、導師に呼ばれたのは、その「文殊菩薩」に関わることです。通常、文殊菩薩は獅子の台座に座って、像の台座に座る普賢菩薩とともに、お釈迦様の脇を固めてきます。それは釈迦三尊像としてよく知られています。で、今日、私が滝に打たれている間に現れたものは、主人のいない獅子が飛び跳ねているというものだったそうです。つまり、本来、座っているはずの文殊菩薩が不在で、その台座である獅子だけが、勢いよく飛び跳ねているという様子だったそうです。こういうケースは導師にとっても初めてのようで、何かの「意味」はあるのでしょうが、それはまだはっきりしていない状況です。おそらく今回の「行」における、神仏的な意味合いはその辺にあるのでしょう。つまり、文殊菩薩不在の獅子の様子が何を意味するのか。。。それをこの21日間で解明することも、今回の「行」の目的の一つなのかもしれません。
とりあえず、今回は全体を通して「文殊菩薩真言」を21巻をあげ、最後の7日間は「観音経」をあげることになりました。まずは坦々と毎日の行を楽しんでいきたいと思います。何かがわかれば、可能な限り、こちらでご報告したいとは思います。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今日の順位は・・・♪
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【21日滝行日誌 1日目 曇り後雨】
初日。滝行は一週間ぶり。畑観音は2ヶ月ぶり。水に足をつけると引き締まった。滝の前で作法をしている時は身体が震えたが、滝に入ると、それは気持ちのいい滝だった。