コーチングにとってスピリチュアルは必要か? 2007.3.21

 今日は祭日でした。春分の日ですね。これからさらにどんどん日が長くなり、ワクワクする季節になっていきますね。私はそろそろまた21日の「行」に入ろうかと思っていますが、春のエネルギーを身体いっぱいに浴びれる季節でもあります。素晴らしいですね。

 今日は午前中、ベランダに鳩防止ネットの設置工事が入りました。私のマンションのベランダの一つに鳩が住み着いて、開けられない状況になっていたので、待望の工事でもあったわけです。鳩君には悪いけど、森の方にでもお引越ししてください、というところです。昼からはちょっと出かけました。大分県日田市のおひな様祭りに行こうと思ったのですが、えらい車の混みようで、途中で引き返して、近場をドライブしました。ふらっと立ち寄ったスポーツ用品店に元南海ホークスのドカベン香川選手がトークショーと公開バッティングコーチをしていたので、ちょっとだけ見ていました。話はともかく、すごい太りようですね。どうでもいいですが(^^)。で、夜は久々に焼肉屋に行ってきました。たまに行くと美味しいです。行に入ると肉が食べられなくなるので、たまにはいいものですね。

 ところで、昨日の話の続きみたいになるかもしれませんが、「コーチングにおいてスピリチュアルは必要か」という命題に対して、今日、何となく考えていました。結論から言うと、「必要である」と考えるのですが、そうなると結局は「スピリチュアルとは何ぞや?」という話に戻ってしまうわけなんですよね。今まで何度も書いてきたと思いますが、私はスピリチュアルとサイキック、スピリチュアルとオカルトは完全に区別して考えております。詳しくはリンク先を読んで頂ければわかりますが、スピリチュアルとは「心の置き方、姿勢」であるのに対し、サイキックは「方法論、超能力」のことを指しているのだと考えています。となると、スピリチュアルとは小さい頃から道徳的、倫理的に教えられてきたことに過ぎないとも考えられます。例えば、、、


人に会ったらきちんと挨拶する
人に何かしてもらったら「ありがとう」と言う
人に迷惑かけたら「ごめんなさい・すいません」と言う
コツコツした努力はいつかむくわれる(可能性が高い)
人には迷惑をかけない方がいい
正直であれ
整理整頓
早寝早起き
腹八分目
食事の前は手を洗う
・・・・



などなど、こういうのは小さい頃から家庭や幼稚園、保育園で教えられてきたことです。なぜこういうことを教えるのかと言うと、その方が、生きていく上で「いい」から他なりません。これは道義的というより経験上の話かもしれません。この「いい」というのは様々に解釈できます。ただ、大人になるにつれて「欲」というのが目の前にぶら下がり、教えられてきたことを忘れる傾向があるようです。例えば多少のウソをついてでも、利益を追求するなんて考えはまさしくそうです。建設業界の談合などもそうですよね(私もかつては建設業界にいましたが・・・)。小さい頃から教えられてきた「いい」ことに反するのを、目先の「欲」のために「必要悪」なものとして正当化してしまうわけです。しかし全体的、巨視的に見ると、「いい」ことを続けていたほうが、結果としてうまくいくわけです。企業で言うと、目先の「欲」に惑わされたのが「雪印」や「不二家」やその他諸々、全体として「いい」ことを続けて真に成功してるのが「トヨタ」や「ホンダ」や「京セラ・KDDI」などです(もちろん今のところです)。

 一方でサイキックやオカルトの類は、そういう「心の置き方・姿勢」はともかくとして、「方法論・超能力」を駆使して、楽にうまくいくことを志すものだと考えます。もちろんサイキックやオカルトが悪いと断定するものではありません。それはそれとして存在している以上、何かの意義があるとは思うのですが、あくまでスピリチュアルとの区別の上でそう考えているわけです。となると、スピリチュアルは「絶対善」なのか、、、という話になるかもしれませんが、それはそれで議論は必要でしょう。私の考えとしては、「心の置き方・姿勢」としてスピリチュアル、「方法論・超能力」としてサイキックは、それぞれ違ったアプローチの一つの「器」であり、それ自体はニュートラルなものです。その「器」に「善」を入れるか「悪」を入れるのかは、個々人の志向であるので、場合によっては「悪のスピリチュアル」「善のサイキック」という考え方も成り立つわけです。ただ、私としては、うまくいく、成功するには全体的・巨視的に考えて「いい(善)」の方が良いと考えるので、たまたま私の考える「スピリチュアル」が道徳的・倫理的なものに近いというだけです。

 で、「コーチングにおいてスピリチュアルは必要か?」という命題について、私は「必要である」と考えるわけですが、私のコーチングは別に道徳や倫理を教えるわけでもありません。私のコーチングにおける信念としては、「うまくいく習慣や考え方、行動力を身につける」ということに限定しています。例えば「すぐする」ことや「続ける」ことの効果、「ピンチに対して前向きに考える」ことの重要性を体感し腑に落ちるまでには、一定期間が必要であり、その点に関してサポートさせて頂くというスタンスをとっています。時にはセッションにおいて「笑い」や「泣き」などの感情を導入することもあります。その方がうまくいく場合があるからです。その時、「潜在意識」という考え方を取り入れた方が、スムーズにことが運ぶ場合が多いのです。

 例えば「すぐする」については、「潜在意識が常に必要なメッセージを発している」から「すぐする」方がうまくいきやすいと考えた方が、スムーズに行動にできるわけです。多くの成功本には「先延ばしの害悪」が説かれていますが「確かにそうだ」とは考えられても、それがすぐ行動に移るとは限りません。その時、人によっては「潜在意識の存在」を前提にした方が、うまくいくことが多いのです。

 「続ける」ことについても、あらゆる成功者がその利得を説いていますが、普通の人にはそれがなかなかできないわけです。その時に「続けられない」のは「潜在意識が現状をキープしようとしている」、だから「やめたいと思ったときは、潜在意識の抵抗に打ち克つ」よう「意識」できるわけです。もしも「潜在意識は現状をキープする」という性質を意識していなければ、何をするにしても長続きしないところ、先の潜在意識の性質を意識するだけで、継続性が増すわけです。このことはクライアントさんを始め、既に幾人の人から聞いています。もちろん「潜在意識は現状をキープする」という論文があるわけではありません。ただ、そう考えた方がうまくいく可能性が高まるというだけです。

 また、「ピンチに対して前向きに考える」というのも成功者の常套フレーズです。多くの人が「その通りだ」と考えられても、目先のことになるとそうはいきません。そこでNLPの「リフレーミング」というスキルを使えば、前向きに考える言葉が出てきて、結果として目先の世界さえもがかわってしまうわけです。
 
 そのような事実において、コーチングにとって「スピリチュアルという心の置き方・姿勢」は重要だと考えるのです。その際、「潜在意識」という存在を前提にした方が、うまくいくことが多いわけです。単なる「どうしますか?」「何をしますか?」「いつまでにしますか?」という教条的・教科書的コーチングでは限界があるところを、「潜在意識」というアプローチが行き詰まりを解放することもあるわけです。

 例えばあるコーチングでクライアントさんが「第一歩として毎日日記を付けます」とコミットメントしたとします。ただし、続かないことも多いわけです。教科書的コーチングでは「続けるためにはどうしたらいいですか?」なんてなぞなぞ的質問をしてしまうわけです。そんな質問を繰り返されたらクライアントはめげてしまいます。「私の意志がもっと強ければいいのですが・・・」とか言って、「だけど・・・」なんて言い訳を考え始めます。私ならこう言います。


C:あの~、日記付けるってこないだ言いましたが、忙しくって続けられてないんです・・
Q:(「続けるためにはどうすればいいですか?」とは言わずに・・・)おめでとうございます! 最初のハードルに出会うことが出来ましたね。最初は誰もが出会うのです。私もそうです。でもここで、「続けられない元の部分」があるとすれば、それを「修正」することで、続けられるようになるとは思いませんか?
C:え!!はい、思います。どうすれば修正できるのですか?
Q:その元の部分をあなたから切り放して考えてみてはどうでしょうか? 続けられないのはあなた自身ではなく、あなたとは切り放された「元の部分」という存在なのです。その存在があなたの足を引っ張ってるに過ぎません。そう考えると、ちょっとは楽になりませんか?
C:はい、なります。
Q:では、次に「忙しい」「身体がきつい」「面倒くさい」などのメッセージが来たら「あ、きたぞ!」と思って、それに打ち克とうとしてみませんか? でも、まずは「あ、きたぞ!」と思うだけで結構です。それは出来そうですか? 思うだけです。
C:はい、思うだけならできると思います。
Q:そう、できますね。では、これから一週間、やめたくなったら「あ、きたぞ!」と思ってください。思ったらやめてもらっても結構です。打ち克てるのなら打ち克って、続けてみてください。まずはそこからスタートしましょう。まだまだ先は長いわけですから。
C:はい、わかりました。



 いかがでしょうか。私ならこうします。人はできることしかできません。ならばできるところまでハードルを下げればいいわけです。「どうしたら続けられますか?」という質問は「どうすれば2メートルのハードルを飛ぶことができますか?」に近いわけです。となると潜在意識は「そんなことできっこないよ・・・」と思ってしまうので、意識は言い訳を探してしまうわけです。甘やかしているように聞こえるかもしれませんが、私ならまずはハードルを下げます。そして徐々にあげていきます。人はできることしかできないわけですから。   

 ま、私ならそういうセッションをするわけですが、上の例の「元の部分」ってのは、言うまでもなく「潜在意識」のことです。人によっては「潜在意識」と言ってもいいわけですが、最初は「元の部分」とか「もう一人の影の自分」とか言ったほうがわかりやすい場合は、そう言います。このように「どうしますか?」「何をしますか?」「いつまでにしますか?」という教科書的コーチングよりは、「潜在意識」の存在を前提にした方が、結果としてクライアントに良いパフォーマンスをもたらすことができるわけです。しかし、そういうアプローチが嫌なら私のクライアントにならなければいい。ただそれだけです。相性の問題です。ただ、私としてはトータルでうまくいくためには「潜在意識」の存在を認めておいたほうが、よりよいパフォーマンスが得られるという信念を持っています。昨日の日記の中の「四番目のスタイル」とは私にとってはこういうものです。決して「天使が・・」とか「前世が・・」なんて話はしません。地に足をつけながらも、うまくいくためには「目には見えないけどなにか」の存在をどこかで認めておいたほうがうまくいくケースが多いのです。その「目には見えないけどなにか」の存在を認める「心の置き方・姿勢」こそがスピリチュアルなのであって、それが人によっては道徳観や倫理観かもしれないし、宗教観かもしれないし、私の言う「潜在意識」かもしれない。場合によっては「守護霊」でも「守護天使」でも「ハイヤーセルフ」でもいいです。ただ、私としてはそういう言葉はフィットしないので、「潜在意識」という言葉を使いますし、直接的に使えない場合も「元の部分」とか「もう一人の自分」とかの言葉で言い換えたりはします。

 ま、そんなところで、私自身のスタンスや考え方も徐々に明らかになってきたのではないかな、、、と思います。この話はまだまだ途中なので、継続的に取り上げていきたいテーマではあります。が、まあ、今日はこんなところで。。。長い文章を読んで頂き、ありがとうございました。


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by katamich | 2007-03-21 23:49 | ■NLP・コーチング | Comments(0)