「あるもの」と「ないもの」 2007.2.20
2007年 02月 20日
そう考えると、私のブログ毎日書きは10年前の世界一周から始まっているのですね。よく「潜在意識の現状維持メカニズム」って言いますが、旅に出てしまうと潜在意識も元に戻りようがないんですよね。なぜって、身体が日本ないため、考え方や習慣も修正するしかないわけです。てなこと書くと、「Qさんがブログを毎日書けるのは、旅したからなんだ~。ワタシ旅してないから無理だわ」なんて言う人が出てくるかもしれません。そういうのを「しないための言い訳」って言うのですね。他にも例えば、私は20歳前後のときに哲学の古典をよく読んでいたのですが、それを言うと、「やっぱり考える訓練をしてきたからでしょ。私は哲学読んでないから、考える力ないし」なんて言われたりします(実話)。あと、よくありがちなのは、「私の家ってさほど裕福じゃなかったら、私立に通うようないい教育受けてない」とか、そうかと思ったら、小さい頃貧しかったゆえにすごいハングリー精神で成功を手にした人の話などを聞くと、「私はそこまで貧しくなかったら、ハングリー精神が育たなかった」なんて言ったりするんですよね。
ようするに成功しない人って「ないもの」に焦点を当てすぎなんですよね。私なんかもまだまだ成功だなんた言えない状況ではあるけど、ま、このままいけば普通に成功する自信はあります。しかし「ないもの」だらけです。それでも私は「あるもの」に焦点を当てているので、不安なんかほとんどありません。「ないもの」探ししたらキリがないけど、「あるもの」探ししたら、出てくるは出てくるは。その「あるもの」のことをコーチングなんかでは「リソース(資源)」って言いますけど、リソースはすべての人に備わっているんですよね。仮に必要なリソースがなくても、そのリソースを身につけるためのリソースは誰にでもあるわけです。それでも「私にはない」って言うのであれば、「はいそうですか」と言ってバイバイするしかありません。本当は「ある」のにそれを目を向けないだけにもかかわらず、「ない」を言い張るのであれば、それ以上付き合う気はしません。仮にコーチングを受けていても、全額返済してバイバイするだけです(幸い有料化してからそういうクライアントさんは誰一人出会っていませんが)。
今日はそんな話するつもりじゃなかったのですが、ついでですので続けます。丸山浩路さんの「本気で行きよう!何かが変わる」って本、実は私のバイブルの一つでもあり、ことあるごとにこの中のエピソードを紹介したりします。以前にも書きました「バスガイド」の話もここからです。この本の中にこんなエピソードがありました。要約して紹介しますが、、、
丸山さんのある講演会の後、楽屋にある親子がたずねてきました。講演会にとても感動してそれを伝えに来たそうです。その母親が言いました。「私、こっちの耳が聞こえないんです」、と。丸山さんはその時なんて言ったでしょうか。
「お引取りいただけますか」
です。おそらく障害に関する内容の講演かなんかで、それを聞いた聴覚障害を持つ方が勇気付けられて楽屋に入ってきたのでしょう。そんな人に対して「お引取りいただけますか」です。おそらくその方は「あ~そうなんですか~、それはたいへんでしたね~、頑張りましたね~」とか言われたかったのでしょうか。そんな期待を見事に裏切り、「お引取りいただけますか」です。ひどいですよね。その聴覚障害を持った方も「理解ある方だと思ったのに、ひどいです」と抗議したそうです。長くなりますが、以下、引用します。
「ひどいのはあなたのほうですよ。なぜそんな言い方をするのですか」
「だって、こっちの耳が聞こえないんですから・・・」
「そっちの耳が聞こえない?じゃあ、もう片方の耳はどうなのですか?」
「聞こえます」
「では、なぜそれを先におっしゃらないのですか?『こっちの耳が聞こえない』とおっしゃったときのあなたの暗い表情。沈んだ眼差し。そのマイナスの気持ちを初対面の私にぶつけて、あなたはうれしいですか」
「・・・・・・」
「なぜ失ったものを数えるのですか。どうして残ったものを素敵だとお思いにならないのですか。『こっちの耳が聞こえない』。そうあなたに言われて、私はどう答えればよいのでしょうか。かわいそうですね、お気の毒ですね、大変ですね・・・・・。そうお答えすればいいのですか」
「じゃあ、私、何と言えばよかったのでしょうか」
「『私、こっちの耳は聞こえるんです」。そうおっしゃってください。そうすれば、私だってこう答えられるじゃないですか。『ああ、それはよかったですね。どちらかの耳が聞こえれば、それで十分ですよ。そっちの耳が聞こえて本当によかったですね』と。そう言うことができれば、私だってハッピーな気持ちになれます。あなたと笑ってお話ができるじゃありませんか。あなたはこっちの耳が聞こえないのではない。こっちの耳は聞こえるんですよ」
う~ん、やばいっすね。私、こういう話弱いです。素直に勇気付けられちゃうのですが、続きがあります。その会話を聞いていたその女性の娘さんが、突然、声をあげたそうです。
「そうよ、ママ。こっちの耳は聞こえるのよ!」
何か新しいことを発見したかのように目を輝かせているお嬢さん。その言葉をかみ締めるように目を閉じていたご婦人。やがて、唇を震わせて小さな声でつぶやきました。
「丸山先生、私、こっちの耳は聞こえるんです・・・。こっちの耳は聞こえるんです・・・」
いや~、くっさい話ですよね。お涙頂戴の。でも私は素直にお涙あげちゃいますね。で、「こっちの耳は聞こえるんです」と言ったお母さんの表情は一変して明るくなり、娘に抱きついて声を上げて泣き出したという話です。それを見ていた丸山さんの胸にも熱いものがこみ上げてきた。詳しくは本書を買うなり借りるなりして読んでください。(ちなみに本書にはこんな話がたくさんです)
つまり人は「ないもの」に目を向けている限りマイナスの影に包まれているのですが、いったん「あるもの」に目を向けるとプラスの光に包まれ、自分自身を変えることができ、そればかりか周りの人間の心まで変えていくことができるのですね。
私もコーチングという仕事を通じて、いろんな人と接する毎日を送っています。基本的にコーチングという範疇ではその「あるもの」を一緒に見つけ出して、それを育てていくようなプロセスをとります。しかし、そこまで行かない人もいますので、「カウンセリング」や「セラピー」といった手法を取ることもしばしばあります。でも、最終的には「あるもの」に目を向ける必要があります。誰一人例外なく「あるもの」はあるのですから。しかし、多くの人はあまりにも「ないもの探し」に夢中になっています。私には恋人がいない、学歴がない、才能がない、かわいさがない、社交的でない、体力がない、持続力がない、強い遺伝子がない、強い守護霊がいない、先祖の徳がない、天使からのメッセージがない、宇宙からのサポートがない。キリがないわけです。仮にこちらから「あるもの」に目を向けても、「そんなのは誰にでもある、たいしたことない」とか言い出しちゃうのです。そういう人に一番ないのは「感謝」です。感謝がないのです。今「あるもの」に対する感謝がないのです。
ま、私がそんな偉そうなこと言えた義理ではありませんが、少なくとも私はもう「ないもの探し」はやめています。私は「あるもの」にしか興味がありません。もちろん他人をさして「あいつはこれがない、あれがない」なんてことも極力思わないようにしています。と言いながらも「感謝がない」なんて指摘している矛盾もあるのですが(^^;、少なくとも最初のベクトルは「あるもの」に向けています。いや、向けるようにしています。その方が相手も私も楽しくなります。
今日はこんなこと書く予定じゃなかったのですが、ま、これもまた必然ということで。書くつもりなかったことを書くのって、ちょっとチャネリングを感じたりします。自分で書いてて、自分の文章に妙に勇気付けられたりします。もしかしたら、「あるもの」探しが一番必要なのは私自身なのかもしれません。もちろんクライアントさんに対してもそうですが、私自身に対しても必要なのでしょう。そんなことに気づかせてくれた宇宙に感謝します。ありがとうございます。
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感謝するものが何も無いというソコのアナタ!こうして本を読んでる「目」があるし、なんであれ、体を包む服だって着てるじゃないですか!要は視点、ですよ、ってな事が書いてありました。目新しい事は何も無いですが(笑) 昨夜読んで、ほほう、と思って、今朝、Qさんの記事にシンクロを見たので、思わずコメントしています。あるものにフォーカスを当てて、「あるもの」の波動を拡大していく。Qさんとコンセプトが同じですね。ってか、これが宇宙の法則なんですね。
そうですよね、私には、健康な臓器があって、優しい両親がいる。
それだけで御の字です。
病気になったとき、凄く周りを恨んだけど、私はちゃんと生きています。
「お金がない」「社会に出たことがない」「恋人がない」「理想通りにならない」・・・そう嘆くのではなく、私が今こうしていられることに感謝しなければ・・・と思いました。
私をおいて、社会にお出た友達を見ているのが、つらくて、私は彼女たちと少しずつ距離を置くようになり、やがて関係を絶ってしまいました。
どんどん変わっていく彼女たちが眩しくて、つらかったのです。
でも今、叶うならもう一度話をしてみたい、と思いました。
彼女たちにしか得られなかったものがあるように、私にしか得られなかったものがあります。
それは、人の気持ちに敏感であり、それに優しくアドバイス出来ること。
自分で言うのもなんですが、気付いたのは最近です。
でも私が出来ること・・・それを誇りにしたいと思います。
ありがとう・・・感謝。
~今あるものにフォーカスする。~
私がもっとも落ち込んでた時
私のメンターである方から、最初にいただいた
アドバイスでした。
数えたら、本当にたくさんありましたね!
その時、感謝の気持ちがわーーっと湧き上がったんです。
私の気づきは、そこからはじまったのかも。
今日の日記で、そのことを思い出しました。
Qさん、いつもありがとう。
そうですね。あるものしかないのですからね。
感謝するものがないもないなんて、ものすごく恐ろしいことですね。
ほんと、あるものばかりで、感謝、感謝の毎日です。
いつかほわいといーぐるさんとこにも行きたいです~。
イエメンに行く途中に寄れるかな♪
どうも私は、子供の頃から「あるもの」にしか焦点あててなかったような気がします。根っからの負けず嫌いのなのでしょうね。
子供だし、大した家ではないので、ホント、くだらないものしかないのに、その中で一生懸命「あるもの」探ししては、好きな男の子の気を惹くとか。。。
「うちにこぉんなおっきい亀いるんだよ!」とかね。
そう考えると、子供なりの創意工夫があったんですねぇ~。。。
ちゃんと進むべき道に進み、気付くことに気付いているんだなーと背中を押された気分です。
最近、本当にいらない考え方、価値観がが明確になってきました。
気付きの連続だわ。
そう♪
彼女も「あるもの」にのみ焦点を当てているのです♪
彼女から「~がない」って言葉を聞いたことがないのです♪
そうかって思いました♪
私もあらためて「あるもの」を意識してみたら、「感謝」が出てきました♪
「あるもの」に感謝し、「あるもの」を活かして進みます♪
でも「欲しいもの」もちゃんと欲しいって宣言していきます(笑)♪
「あるもの」だけに焦点を当て続けるってすごいですよね。
すごくなる秘訣だと思います。
実は私の父親も「片方の耳があまり聞こえない」という衝撃の事実につい10日ほど前にはじめて知りました。
「ない」という観念がないのでしょう。私の父親はすごいと改めて思ったところです。
ほんと、喜びいっぱいの人生を歩んで行きたいものですね(^^)
他人の「あるもの」を認めてあげることがスタートだと思います。