思った時には親孝行 2007.2.8
2007年 02月 08日
3時頃に家に戻り、いろいろと片付けごとをします。「すぐする」で雑事をためていないお蔭が、スムーズにことが運ばれます。本やCDが散らばっているのを何とかしたいとは思いますが。夜はコーチング3件。なかなかに充実した日々ではあります。で、今日は何を書こうかな~と考えたのですが、両親が来た時、私の祖母の話が出てきたので、その話をします。ミクシィ日記に書いたのがベースです。どっかでも書いた内容かもしれませんが。
私の母方の祖母は、とにかくめちゃくちゃ気が強くて、見ていてハラハラするほどでした。いろんなエピソードがあります。例えば、、、
・外食すると必ずと言っていいほど、お店の人に「なんで小さい子(私たちのこと)待たせるねん! 先に持ってこなあかんやろ!」と文句を言っていたそうな。そうなるので、両親は祖母と外食するのを極力避けていました。
・冷やかしに初めて入ったパチンコ屋で、隣の人に「なんでそんなに玉出るねん?」と声かけてしまい、ちょっと不正をしていたのか「おばあちゃん、黙っててな・・・」と言って玉一箱もらってそのままお菓子に換えて、もって帰ってきました。
・宝くじ買うのに並んでて、いきなり横入りした男性に対して「そこのはげちゃびん!ちゃんとならばんかい!」と啖呵切ったそうな。一緒にいた親戚は他人のふり。
・母親と電車に乗ってるとき、向かいに座っている若い女性のことをさして「見てみ。ぶさいくやな~」と言った瞬間、周囲の音がやんで車内に「ぶさいくやな~」がこだましたとか。当然、私の母は他人のふり。
今思うと、めちゃくちゃな祖母だったのですが、人一倍情には厚かったようです。祖母がかつてお店を経営していた時、小さい子を連れていた若い女性が「すいませんが、何か食べさせてください。その分は働いてお返ししますから」と言ってきたのに対して、そのまま住み込みで働いてもらったとか。家を追い出されて、路頭に迷っている時に救われたとかで、未だに祖母に対しては足を向けて寝られないと言っていました。祖母が死んだとときもその方はいの一番に飛んできました。
そんな気性だったので、周りの人からは信頼され、好かれていました。祖父がガンで亡くなる数年は、たまたま知人からお店(喫茶店)を譲ってもらって、それが繁盛したおかげで、30数年前のお金で毎月30万円の医療費を賄っていたそうです。今考えると、めちゃくちゃ運が良かったみたいです。
それと同時に信心深かったです。毎朝、お不動さんの真言をあげていました。住まいがお不動さん所縁の土地だったからでしょうか。私は小さい頃、それを聞いて真似して馬鹿にしていました。それから20数年後に、私が毎日、その真言を唱えることになろうとは。。。祖母も今で言うスピリチュアルな人だったらしく、私にもそれが受け継がれているのかもしれませんね。
そんな祖母ですが、3人兄弟の中で私が一番可愛がられていました。次男だから不憫に感じていたそうです。私はスイカが大好きだったので、白いところまで食べていたのを見て、いつも母親に文句を言っていました。スイカぐらい満足に食べさしたり、と。私的にはスイカの白いところが好きなだけだったのですけどね。キュウリの味がして、二度おいしいとか言ってましたし。
それから私が小学生の頃、土曜日にはお世話に来ていたのですが、学校から帰ると、おにぎりと卵焼きが3人分作ってありました。私たち兄弟はそのおにぎりと卵焼きが大好きで、テレビを見ながらそれを食べるのが楽しみでした。
私が高校を卒業して浪人している時、祖母は私の実家で生活していたのですが、身体も弱ってきていました。そんな時、ふと「おにぎりと卵焼き」のことを思い出して、数年ぶりに作ってもらうよう頼みました。祖母は笑顔で「よっしゃ!」と言って作り始めたのですが、なんとそのおにぎりにはサランラップが巻かれていました。トイレによく行くから、そのまま握るのは嫌がるやろうと気遣ってのことでした。私はそのおにぎりを食べたとき、なぜか涙が出てきました。それから2~3年後くらいに祖母は亡くなりました。
2年前、私が初めての「21日滝行」をしたときですが、導師いわく、その亡き祖母が私を笑顔で見守っていたそうです。信心深い祖母が、私が滝行をしていることを喜んでいたそうです。それを聞いてまた涙が出てきたのを思い出しました。いつでもどこでも私の祖母は私を見守ってくれているのでしょう。そう考えると勇気付けられます。 ご先祖様はいつでも私の見方なんだな~と感謝の気持ちでいっぱいです。
とまあ、こんな話をミクシィ日記に書くと、皆さん、「おばあちゃん」系の話には涙腺を刺激されるようで、コメントがたくさんつきました。おばあちゃんだけでなく、両親、祖父母、ご先祖様には誰一人例外なく世話になっていると同時に、死に目に会えたり会えなかったりなど、誰もが一度や二度は悲しい思いを経験しているものです。「親孝行 思った時には 親はなし」という言葉はいつの時代にもあるようですが、私に関しては、両親も健在ですので、できる限りの親孝行をしていきたいな~とか思いました。ちなみに、昔からよく「親孝行をすれば運が開けてくる」なんて言いますが、開運のために親孝行をするとなれば、それもおかしな話ですね。いずれにしても、親孝行や先祖供養は、生きているものの勤めだと思いますので、感謝の心を忘れずに、励んで行きたいと思います。
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