今日はなんだか・・・ 2006.12.16

 昨日までベトナムにいたのが嘘のようです。あれは一体なんだったのでしょうか。一つだけ確実に言えることは「過去は現在ではない」ということです。私という人間は、まさしく「現在そのもの」に違いありません。でも日記を読んでみると、私は確かにベトナムに行っていたようです。今回の旅はあまりにも「順調」でした。順調すぎて物足りないとまで言えるような順調さでした。その順調な中で私が得られたものは何だったのでしょうか。今、「確かさ」という言葉が頭に浮かんできました。

「確かさ」

どういう意味かわかりません。でも、今、確かに頭に浮かんできました。はっきりとした口調で言われたようです。今回の旅の意味は「確かさ」であると。この言葉は今まさにスポンタニアス(spontaneous)に浮かんできました。ちょっとチャネって聞いてみます。


Q:今、「確かさ」と言われましたが、どういう意味なんですか?(←これを書いた瞬間、頭が熱くなってきました!!)

itness:あなたは今回のベトナム旅行で初めて「確かさ」を得ました。

Q:だから、その「確かさ」とはどういう意味なんですか?

itness:それはこれから徐々にわかってくることなので、私が教えることではありません。


 以上でチャネリングが終わりました。早っ!。これから徐々にわかってくるそうなので、そういうことにしておきます。そう言えば、私はいつからこんなに旅に魅せられたのでしょうか。少なくとも中学や高校の時はまったく興味なかったように思います。もしあれば、社会科は世界史を選択していたでしょう。私は文系だったので必須の日本史に加えて政治経済を選択していました。日本史の成績はぼろぼろでした。政治経済は覚えることが少なそうだという理由で選択したものです。ちなみに私が中学の頃、社会のテストの点が悪かったので居残りを課せられたことがしばしばありました。その時の社会担当は30前後の女性の先生だったと思います。私はある居残りを意図的にサボって、部活(吹奏楽)に行ってしまいました。するとその先生は部活の先生に私を呼ぶように言われました。そして居残りを忘れてた振りして職員室に行くと、その社会の先生が怖い形相で座っておられました。近寄っていくと、その先生の横で正座させられ説教が始まりました。ちなみに私の父親は同じ学校の数学教師だったのですが、なんとその社会の先生の横の席が私の父親の席でした。「くるなよ~」とか念じていたのですが、間もなく職員室の入口に私の父親の姿が見え、一瞬目が合ったと思ったら、父親はそのままUターンして職員室から消えました。そして私は一人で教室に行って、居残りの課題を済ませたのでありました。

 それほど私は社会が嫌いでありました。中学の頃のその女の先生とウマが合わなかったのもあるでしょう。そう言えば、高校の日本史の先生ともウマが合いませんでした。その先生はじいさんだったのですが、なぜか左腕がありませんでした。戦争かなんかで失ったのでしょうか。そして学者さんでもあったようで、日本史の専門書を書いていました。今なら「おまえの教え方が悪い」と言えるのですが、当時は羊のような従順な性格でしたので、日本史の成績が悪いことはそのままに甘受してしまいました。ちなみに政治経済の先生もヘンでした。私は当時視力が2.0でした。しかし父親と兄貴がメガネをかけている、ただそれだけの理由で、私を前に座らせようとしていました。偏見も甚だしいのですが、私の視力が低下して今、メガネをかけているのは、その先生に催眠をかけられたままであるからだと思っています。ちなみにその先生だけが私を当時から「Qちゃん」と呼んでいました。催眠とは恐ろしいものです。

 中学、高校の時は旅に興味がなかったという話をしたかっただけなのに、こんなに話を展開するなよ~と、今、自分にツッコミを入れました。蛇足ですが、私は高校の時、常にクラスで5番以内に入っていました。もちろん後ろから数えてです。そう言えば、当時は活字もほとんど読んでいませんでした。しかし、唯一、モーツァルトに関する文献だけはよく読んでいました。小林秀雄の「モオツアルト」に始まり、海老沢敏(国立音楽大学学長)やアルフレート・アインシュタイン(世界的モーツァルト学者)、井上太郎(文芸評論家)、高橋英夫(フランス文学者)などによるモーツァルト評をよく読んでいました。でもそのおかげで、当時の時代背景のことは勉強できたし、何より「活字」を読む上での基礎作りをしていたのかもしれません。今日は旅の話しようと思っていたのですが、ついでに私のライフヒストリーを続けますね。

 しかし私は高校を卒業してから急に活字を読むようになりました。浪人して予備校に行ったのが原因です。そこである現代文講師と出逢って、猛烈に影響を受けたのでありました。なんとなく小難しいことを面白く、そしてラディカルに展開するその姿に「かっこよさ」を覚えてしまい、予備校の授業が終わったら、自習もしないで本屋に行って、難しそうな本を一冊立ち読みするようになってしまったのです。そうやって意味もわからず、ファッションとして読んでいた本の中に、名前の響きがなんとなくカッコいいな~と思ったのが、哲学の一潮流である「現象学(げんしょうがく)」だったのです。「現象学」とは私なりの理解で簡単に言うと、それ以前の客観的科学が持つ自明たるあり方への判断を停止して、そのものを純粋にとらえようというアプローチだったかな、、、と思います。ようするに何でも「あたりまえ」と思わずに、物事をきちんと見ようよ、というアプローチということだったとしときます。そして私が大学に入って、遊びながら書いた卒業論文が「現象学的社会学について」でした。シュッツという人が始めたのですが、極論すると「人にはそれぞれいろんな世界観があるでしょ」というアプローチだったと思います。

 でも良く考えると、この時代の思想基盤が、現在の私の行動基盤になっているのです。現象学では目の前の現象を「もともとあるもの」とはとらえずに、むしろ、現象をそれぞれの人が主観的に作り出したもののような考え方をします。私が、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」をはじめ、成功哲学と呼ばれるものをすんなりと受け入れた背景と言えるかもしれません。小難しいの図式化しますと、、、

・近代科学における世界観=世界はもともと客観的に存在している

・現象学における世界観=世界は人々の主観によって作られている
                         ↓
                 思考によって世界は作られる→「思考は現実化する」

となるのです。もちろん「現象学」=「思考は現実化する」ではありませんが、考え方のライン上にあると考えてもいいとは思います。それからまた、私がはまっているNLPでは「地図は地理そのものではない」という考え方をするのですが、これも「人にはそれぞれのものの見方があるのですよ」、ということを言い表しています。 つまり、「世の中とはこうだ」と一元的に決め付けるのではなく、「いろんな世の中の見方がある」という多元的なとらえ方こそが、NLP的であり、また現象学的でもあるのです。

 うおお~、今日はいつも以上に面白くない話ばかりしてますね~。でもまあ、こういうときがあってもいいではありませんか。ついでですが、現象学では「現象」と「本質」をまったく切り離して考えます。現象学以前の近代科学では「現象」と「本質」を割りと近づけて考えています。例えば「りんごが落ちる」という「現象」は「万有引力」という「本質」によって説明されます。でも現象学では「りんごが落ちる」という現象は、「りんごが落ちていると単に思い込んでいるだけかもしれない」とか「実はりんごが落ちているのではなく、地面と木が上昇しているのかもしれない」など、「現象」そのものをその「本質」と切り離してみようとします。わけわからんですね(笑)。私が言いたいことは、今の私自身も「現象」と「本質」とは常に切り離して見ているということです。

 例えば「人に嫌われる」という現象に対して、多くの人は「私は嫌われ者だ」ということを本質としてとらえてしまいます。でも「人から嫌われる」というのは一つの現象に過ぎないのであって、自分が嫌われ者であることとは本質的に関係ない話なのです。でも多くの人はその二つを結びつけて考えてしまった苦しむわけです。この考え方はコーチングなんかでも役に立ちます。クライアントが「私は人から嫌われるんです」と言ってきたとしたら、私は「そうですか、人から嫌われるという現象(状況)があるのですね。ではその現象を異なった現象に変えるために、何か必要なことなどありますか?」と質問してみます。こう質問すると、クライアントは「え、私が嫌われ者だからじゃないの?、なにかその原因となるものがあるのかしら」と自分とは切り離して客観的に考えることができます。そう考えられると、その元となる原因を見つけ出し、結果として「嫌われる」という現象をも変えてしまうこともできるのです。

 う~ん、「三つ子の魂百まで」と言いますが、まさしく20歳前後に集中して叩き込んだ思想的基盤ってのは、後々の人間形成に大いに影響してくるのですね。おそらく私は今後、コーチングやNLPの分野でますます力をつけていき、確実に結果を出せるプロとして成長していくと思いますが、20歳前後で哲学や現象学などにはまったのも、そのための伏線だったのかもしれません。滝行を通して密教を学んでいることもNLPと関係あるし、また、ベトナムに行ったことも、NLPがベトナム戦争の復帰兵の治療に用いられたことに関係あるのかもしれません。そういう意味で、私自身がなにかしら「確かさ」の中で、きちんと生きているという実感を得る今日この頃なのであります。

 今日は話脱線しまくりで、わけわからんですが、こういうことにしておきます。ありがとうございました。

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Commented by ももまんじゅう at 2006-12-17 02:52
わけわからんくないですよー。

なんだか、点と点が線になった感じです。

おぉ!!そうかーって。(^^)
Commented by katamich at 2006-12-20 13:31
■ももまんじゅうさん!
わかっていただき、ありがとうございます(^^)
点と点が線になるって気持ちいですよね~。
by katamich | 2006-12-16 00:28 | ■人生哲学 | Comments(2)