選挙 2004.10.17
2004年 10月 17日
久山町は福岡市に隣接した町であるにもかかわらず、昔から奥座敷のようなところで、どうにも謎に包まれた雰囲気がありました。もとは、小早川町長(故人)という全国的に有名な町長がおり、町内の97%を調整区域として残すなど、当時としては革新的な町政を行っていました。ただ、あまりにもワンマンなリーダーであったため、亡き後は弊害だけが受け継がれ、なんとも胡散臭い町になっていたのです。
そして12年間選挙が行われなかったのですが、今回、現職が引退するに伴い、久山町の改革に向けて、町在住者が適任者を探していたところ、政策の実績や人望の面で申し分のない私の元上司K氏に白羽の矢が立ったのです。最初はK氏も渋っていたのですが、推薦者達の情熱にほだされ今回、立候補に踏み切ったと言うわけです。
しかし、結果は。残念ながら敗北に終わってしまいました。新しい久山町の日の出は未来に持ち越されてしまいました。
対立候補側は既得権や利権を守るために立てられたようなもので、実際の政策論争には決して加わらず、「勝つ」ためだけの選挙戦を繰り広げていたようです。当初は組織的な強さから大きく構えていたのが、選挙5日前の告示後、K氏の追い上げを察してか、様々な策謀を繰り広げてきました。事実無根の黒い噂を流したり、自作自演で行った事務所嵐の犯人に祭り上げられたり。
一方、K氏は最後の最後まで真正面から正々堂々と戦っていました。私も昨日は応援に顔を出したのですが、寒い中、軽トラに乗って、堂々と選挙公約を演説し、町民の一人ひとりに声をかけるなど、あまりにもカッコいい姿を見せられていました。
組織力ではなく、人間対人間で戦った場合、どちらが「勝ちに相応しい」かわかるはずです。しかし、結果は敗北でした。今回は選挙に負けたのではなく、民意不在の組織に負けたのです。
最後に今日のドキュメントです。私が事務所に駆けつけたのが、投票が終了した9時頃。開票の第一声が10時にあり、その時は600対600と互角でした。30分後の途中系化でも1400対1400とまだ勝負はつかず。電話が鳴るたびに固唾を飲んでしまいます。
しかし、その30分後の11時ジャスト、命運を分ける最後の電話がかかってきました。私は思わず電話を取った人の横に駆け寄ってしまいました。その人が、「数字は!!」と言った瞬間、「負けた」と思いました。場内が落胆の波動に包まれた瞬間です。しかし、その電話の30秒前に、いきなり「アルコールは禁止だから下げろ!」との命があった時点で誰もが「負け」を予感したのだと思います。
長い一日が終わりました。元上司のK氏は本当に良く戦ったと思います。町外出身の不利に加え、難しい地域の選挙戦によくぞここまで戦ったものです。なんと年齢は67歳なんですが、今回のどの候補者よりも若々しく、精力的に活動を繰り広げていました。
私事ですが、実はK氏は私の人生の恩人でもあります。K氏がいなかったら、今、私はどうなっているかわかりません。その理由はこの中に書いてあります。
なんにせよ選挙は終わりました。本当にお疲れさまでした。しばらくはゆっくりと休養を取られてください。そして、ちょっと生活が物足りなくなってきたら、またスナックにでも連れてってください(そう言えば、昔、K氏の行きつけのスナックで酔って暴れて、つまみ出されたことがあります)。そしてまた生グレイを聴かせてください。今度は私が勘定を持ちますので。本当にお疲れさまでした。
(写真は関係ないですが「滝」)