スピリチュアルとサイキック 2006.9.20
2006年 09月 20日
ところで最近、どうも説教臭い文章が続いていますよね。表面的には何となく「アンチ精神世界」みたいな感じを受ける人がいるかもしれません。そんな文書を読んでか、「近頃、スピリチュアルな方向に流れているようで、ヤバイでしょうか?」というメールまで頂きました。結論から言うとヤバクとも何ともないし、もちろん「アンチ精神世界」でもなければ、むしろ「精神世界(スピリチュアル)」大好きに変わりありません。私がヤバイと思っているのが、スピリチュアルではなく「サイキック」、またはスピリチュアル的な「方法論」のみに頼って願望を実現させようとする風潮についてです。この主張はずっと前から一貫しています。私の主張とは、昨日も書きましたが、「成功」するためには、何はともあれコツコツ、コツコツと努力していくことにつきます。ただし、どんなに努力しても、頑張っても思うように「成功」に到達しない人は、「潜在意識」がどこかでブレーキをかけている可能性があります。「成功法則」とはそういったブレーキを取り除き、努力に対するスムーズな成果をもたらすためにあるものと思っています。先日、ブログにコメントを下さった「願望実現の予習/復習ノート」さんが、このことを端的にまとめて下さってます。一部、引用させて頂きますと、、、
詩を書かない詩人が成功を夢見る…
ミュージシャン志望なのに楽器の練習をしない…
最近私はこういう「リアルな準備」をしないタイプが今の人の特徴なんだなと思います。
マーフィーの時代は逆だったのでしょう。
毎日努力して頑張っているのに成功しない。
それはいったい何故かと言うと潜在意識があなたの成功を肯定してないからだよ、だからイメトレしましょうよ、と言っておられたのだと思います。
現在のアメリカと違ってピューリタンの名残がありそうだから「勤勉、質素、倹約」が美徳という気風がマーフィーが生きていたアメリカ人の集団意識に残っていたのかもしれません。
だけどとにかく努力をする習慣があるのに成功しない、その解決の糸口を示したのがマーフィーではないかと…
しかし、今の日本は安易なプラス思考と週刊誌的な誇大広告その他様々な文明の利器によって良くも悪くも下世話な欲求が叶えられやすいということもあって、とにかく早く楽に成功するかのような思い込みが今の人にあるように思えるのです。
なるほど、そうですね。マーフィーを始めとする「成功法則」は「毎日努力して頑張っているのに成功しない人」に絶大な効果をもたらすものであって、何の努力もしない人には当然、何の効果もないものなのです。マーフィーに多大なる影響を受けたと言われる斎藤一人氏にしても、「ツイてる、ツイてる」だけ言って、成功したのでは決してありません。中学卒業から丁稚奉公のような仕事で、懸命に努力してきたのです。私自身はブライアン・トレーシーの成功法則に傾倒していますが、本質はマーフィーも、ナポレオン・ヒルも、ポール・J・マイヤーも一緒だと思います。要するに潜在意識に「成功」をインプットさせることです。これらの「成功法則」は紛れもなく「スピリチュアル」です。精神、心の置き方を非常に重視されています。
しかしながら、ここでの「方法論」だけが独り歩きして、何となく「楽して成功させる」みたいな風潮のみをありがたがって実践している人が多くなっているような気がします。私はそれを「スピリチュアルな成功法則」ではなく、「サイキックな成功法則」と区別するようにしています。「スピリチュアル」と「サイキック」は混合されやすいのですが、前者が「心の置き方、姿勢」を重視しているのに対し、後者は「方法論、超能力」として区別できると思います(スピリチュアルとサイキックの違いについてはこちらが参考になります→ひとみ研究所)。私はいわゆるスピリチュアルと呼ばれる話が大好きです。密教、風水、クレンジング、PMA、言霊、シンクロニシティ、波動、グラウンディング、、、、などなど。風水などは方法論っぽくはありますが、要するに「きれいにしろ」と言うことであるし、言霊やシンクロニシティなどはまさしく心の置き方の問題です。こういうものの、いわゆる「方法論、能力」の部分だけを取り出したものが、「サイキック」であると考えています。「西に黄色で金が貯まる」なんてのは本来何の理屈もないサイキックな法則であるし、「のうぼうなんとか・・・」と唱えるだけで願望実現できるなんてのもサイキックそのものです。私が実践している密教などもサイキックな雰囲気がありますが、修行の目的は神通力を身に付けることではなく、想いを捨てる、感情をコントロールする、生けとし生けるものに感謝する、、、といった、まさしく「心の置き方」を目指すものです。確かに神通力を身に付けるとか、アカシックレコードにアクセスするとか、サイキック目的で修行する人も少なくないのですが、そういう人は続かないか、命を取られるケースが多いようです(導師談)。
また、自分自身はサイキックな能力を目指していなくとも、何かあるごとに占い師みたいな人に依存しきって、自分で考えることを放棄してしまう人などは、決してスピリチュアルではなく、ヤバイ意味でのサイキックです。コツコツと努力する事を放棄して、何とか楽して願望を実現させたいのです。昨日も書いた通り、コツコツ、コツコツと努力した結果、いわゆる「神=指導霊」が宿って、魂と現実とが深い部分からつながっているような状態はまさしくスピリチュアルです。「匠」とか「名人」とか「天才」と呼ばれる人は、ある意味、皆、スピリチュアルかもしれません。一方、最初から「神=指導霊」を宿らせようと、日々の努力をせずに、目に見えない世界からのメッセージを受け取ろうと、ひたすら祈ったり瞑想したりしているのはサイキックです。
ここで「スピリチュアル」と「サイキック」について図で示してみたいと思います。私が書いた「のび太並みに下手な絵」で恥ずかしいのですが、まずは「スピリチュアル」です。「成功」に向かって努力するのですが、ゴールに向けての道筋が絡まった糸のように複雑に入り組んでいます。進もうにも、複雑すぎてひっくり返ったり、絡まったり、落っこちたりしています。この複雑さは「潜在意識」と「成功」とがしっかりと結びついてない状態であり、要するに「潜在意識」が「成功」を肯定していないのです。このとき、スピリチュアルな心のおき方、つまり「潜在意識」と「成功」との回路をまっすぐにつなぐことによって複雑さは解消され、後はその道筋に沿ってコツコツと努力するだけです。マーフィー、ナポレオン・ヒル、ブライアン・トレーシーなどはまさしく「潜在意識」と「成功」との回路をまっすぐにつなぐ役目を果たすのです。(斎藤一人、小林正観、津留晃一なども同様)
一方の「サイキック」の図においては、まずはゴールまでの道筋は複雑なんですが、何らかの方法で、その複雑さを通り越して、つまりワープしてゴールまで行こうとするやり方です。これ自体はもしかしたらうまくいかないとも限らないのですが、この場合、自らの力ではなく、「キツネ」のイタズラとしてゴールに導かれたのかもしれません。その「キツネ」をある人は「観音様」と間違えて、有頂天になっていたのですが、最初は成功していたものの、今はよくない輩に追われて、奈落の底に突き落とされています。要するにキツネに化かされたのです。(それにしても、絵下手だなあ・・)
何度も言いますが、絵が下手すぎです。のび太を馬鹿に出来ません(→こちら)。でも、何となくイメージはつかんでいただけたでしょうか。要するにスピリチュアルとサイキックを混合してはならず、スピリチュアルと言うからには、「コツコツとした努力」を決して忘れてはならないのです。努力のあとにはもしかしたら「神=指導霊」が宿るかもしれませんが、努力せずにワープして成功しようものなら、コンコンとキツネさんに取り憑かれるのがオチなのです(キツネに取り憑かれてもいいから成功した~いという人もいるかもしれませんが・・・)。私はやっぱり「スピリチュアル」で行きたいと思います。かと言って、「サイキック」も全否定するわけではなく、開運の印契とか満月に通帳ヒラヒラとか、人に迷惑かけず、金もかからないようなものは楽しんで実践したいとは思います。ちなみに「ヒーリング」とか「レイキ」とか「すごペン」とかムーンさんの「ハーモニーベル」などは、スピリチュアルでもサイキックでもなく、科学的に説明のつくものです。要するにスピリチュアルっぽい「サイエンス」なんですが、スピリチュアルとはやや区別されるものでもあるんですね。とまあ、こんなところでいったんは「説教ブログ」は終了にしたいと思います。お付き合い頂き、ありがとうございました。
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【21日滝行日誌 5日目】
久々に水曜日の一の滝に行く。ここんとこ、行けてなかったが、今日は行くべきだと感じた。導師も一緒だ。男滝に入る。観法(黙っているスタイル)で入り、気持ちはよかったが、目の前が明るくならなかった。滝から出ると、珍しく導師から九字を斬られる。私が入っている間、「キツネ」が今にも私に襲い掛かろうとしていたのだとか。観法は受け入れの態勢なので、飛び掛りやすいところ、導師がキツネに金縛りをかけて止めて下さっていたそうな。金縛りにかけると、今度は導師に牙をむいたとか。キツネの正体は、関西の葛城山系出身の中途半端な行者の成れの果て。私と一緒に行をしたがってるとか。しかし、もしそれに取り憑かれるると、私の目つきも変わり、金の亡者、そして最終的に堕落者になる可能性があるのだとか。確かに今、あまりにも多くの人と関わっており、「欲」とも常に隣り合わせの状態。近頃、ブログでもしきりに「キツネ」の話をしてきたのは、私自身がキツネに狙われていたからかもしれない。今回の「行」は特別なテーマはなく始まったそうだが、もしかしたら、そういう輩から身を守るためかもしれない。そう言えば、土曜日に畑観音に行った時も、数珠を持たずに入った私を見て、導師が「やっかいなのに取り憑かれるなよ」と心配されていた。「行」をしている以上は、変なのに取り憑かれることはないそうだが、常に魔物と隣り合わせであることを自覚して「行」に励みたい。とりあえず、今の私は変なのに取り憑かれていないので、ご心配なく。。。
その他の内容も、ものすごく同感です。
「サイキック」=「スピリチュアル」だとカンタンに考えている人には、本当のヒーリング能力も、本当のサイキック能力もつかないそうですね。(というか、それって動機がヘンですよね)
自分もコツコツ頑張ろうと思いま~す^^ ありがとうございます♪
ここからおなすさん、ジュネさん、きとりかさん…数々の方のブログに出会えて日々勉強させていただいてます!
今日のイラストを見て、思わず初コメントしてしまいました!!
Qさんて、めちゃ
陰陽師が昨年あたりから、長き封印を解いて回る行脚を実施しており、狐類が再び地上を徘徊し始めた……という話しもチラホラ……☆
blog、とても勉強させて頂いております。blogを通じて出逢うヒーラーさんとの出逢いに、最近ちょっと歓喜興奮気味の私ですが、
宜しくお願いします♪;;;
絵がとても分かりやすかったです。
>「潜在意識」と「成功」との回路をまっすぐにつなぐことによって複雑さは解消され・・・
この複雑化の解消のされ方の1つが、シンクロニティではないでしょうか。
最近、驚くようなシンクロがたくさんあり、そのあまりのタイミングのよさに感心しています。例えていうと、NEWスーパーマリオBrosで、マリオが上下動する地面を、立ち止まらずに一直線に走ったら、最短距離でゴールしてしまった、まさにそんな感じですかね。
潜在意識が全てを知っていて、ベストなタイミングになるように自分を操作してるんじゃないかと思うこの頃です。
絵を褒めてもらってありがとうございます(^^)
本物のサイキックな能力がある人も、実はその前にコツコツがあったりしますよね。導師なども元々そういう素質があったところ、九州一危険な「菅生の滝」で1000日の行をしたりしてますので。
でも安易なサイキックにはアンチでありたいですよね(^^)
いえいえ。文章のほとんどは私への自戒のつもりです。
人間、楽に、楽に考えてしまいがちですものね。
それがいけないとは言えないのですが、やっぱりコツコツの積み重ねによって得られる感動は変えがたいものがあります。
このために生きてるんだな、、、と。
はじめまして。コメントありがとうございます。
ヤッズさんのブログは何度か拝見させて頂いています。とっても分かりやすくておもしろいですね。
シンクロニシティ、、、そうですね。
これに気づくかどうかが成功の秘訣であるし、潜在意識の力なんだな~と思います。
マリオのたとえ、よくわかります(^^)
また、小さなことからコツコツと(by西川きよし元参議院議員)の大切さもよくわかりました。
私の場合は毎日の社労士の勉強と復習が今やるべきコツコツなのだろうと思います。
焦らず、くさらず、来年夏の試験目指してやっていきます。
いいお話と絵をありがとうございました。
自分を振り返って考えさせられます。
すごいなー(幼稚な感想ですが)
先のことばかり見てる自分が恥ずかしく思います。
まずはこつこつですね。
肝に銘じます!
そして「絵」分かりやすくてほのぼのしました(^^)
今回のスピリチュアルとサイキックの話、とても参考になりました。最近、私の義弟が「ラクして金儲けしたい」という理由で潜在意識にハマっているみたいで、「それは違うよ〜」と思いながらなんと説明していいか分からなかったんです。機会があれば、イラスト付きで彼に説明してあげたいなと思いました。
しなければならないことって、この世に存在しないと思っています。。。