津留さんが早くに亡くなったわけ 2006.5.18

津留さんが早くに亡くなったわけ 2006.5.18_b0002156_11191191.jpgさてさて、福岡は今日も雨。午前中はいい天気だったのすが、夕方から降ってきました。もう梅雨に入ったような天候ですよね、ここは。午後はNPOの事務所に行き、夕方からの会議が終わったのが9時前。自転車で来ていたので、事務所で傘を借りて、さしながら帰りました。帰り道、久々にタワーレコードに寄ってCDを2枚買いました。両方ともジャズのCDで、一枚はケイ赤城さんの新譜「ライブ-シェイプス・イン・タイム」、もう一枚は本田竹広さんの「紀尾井ホール ピアノリサイタル」です。ケイ赤城さんのCDは思えば毎年買っています。何度かライブに足を運んでは、毎回、ぶっ飛んでしまうのでその勢いで思わずCDにも手を出してしまうのです。ピアノもすごいのですが、声がもうめちゃくちゃカッコイイのです。ライブに行かないと聞けない声ですが、おそらく地球上で最も声のいい男性の一人だと思います。アメリカにずっと住んでいるので当然英語もペラペラ。それが生きてなのか、子音が美しい分、日本語もとってもきれいに聞こえるのです。もちろんCDの内容も素晴らしいものです。もう一枚の本田竹広さんは今年の1月に亡くなりましたが、これまで闘病生活を繰り返しては復活し、ここ数年間は週に3回透析を受けながらライブ活動をしていたそうです。その本田さんが昨年「クラシックを弾く」という企画の元、開かれたリサイタルなんですが、その直前に指や肩を骨折したりして、とてもじゃないけどベートーベンを3楽章弾くコンディションではなかったそうなんです。で、「月光」の一楽章とあとはオリジナルという内容なんですが、どうでしょう、というのが感想。もうちょっと聴き込まないと分からないかもしれませんね。


近頃、ジャズの話ばかりで興味のない人には恐縮なんですが、この本田竹広氏、今年還暦だったそうです。還暦というと、人生80年の今日日もう一仕事してもいい年齢で、ミュージシャンにとっては一番熟した時期なのかとも思います。言わば早死になんですが、先日、紹介したミシェル・ペトルチアーニは35歳、モダンジャズの開祖チャーリー・パーカーも35歳、不世出の天才トランペッター、クリフォード・ブラウンなどは26歳で亡くなっています。今年、生誕250年のモーツァルトも35歳で亡くなっています。天才や美人は薄命と言われますが、残された我々にとっては非常に残念な思いがしてなりません。手塚治虫も60歳くらいでしたっけ。彼なんてまだ途中の原稿を残して亡くなっているので、ファンにとっては生殺しです。そんなことを考えていて、ふと、頭に飛び込んできたのが、津留晃一という方のことです。私のブログに始めて登場する名前ですが、読者の方の中にはよくご存知の方も少なくないと思います。実は私、津留氏の著作を一冊も読んだ事がありません。昨日もみんなのメンターとして紹介した「実現くん」における願望実現の源のような人なのですが、当然、前々から知っておきながら、著作を手に取ることはありませんでした。私は人から勧められた本などはすぐに手を出す性質なんですが、津留さんの著作には一回も手を出そうとした事がありませんでした。理由はおそらく、既に亡くなった人だから、、、だと思います。斎藤一人さんにしても、小林正観さんにしても今生きているから読もうと言うのであって、亡くなった人、しかも一般よりも早くに亡くなった人の本をどうしても読もうとは思わなかったのです。芸術家はいつ死のうが問題ないのですが、「人の幸せ」や「成功」を説く人が早くに亡くなっているなんて、私の喩えでは病人が健康食品を勧めるようなものだと思っていたのです。そういう理屈でジェームズ・アレンの本も読んだ事がありません。


津留氏が若年死したことに関して、「実現くん」の「津留晃一さんのこと」のコメント欄にある読者から次のような質問がなされていました。


精神的指導者の中には、津留晃一さんやジェームズ・アレン氏のように若年死される方が時々いらっしゃいます。宇宙の法則に従い人生を歩んでいるはずの彼らが、生物としての生を何故全うできないのか?
私は思想は実践により証明されると考えますし、例えば高名な方でも不幸ばかりの人生だと、その思想に眉唾をつけてしまいます。
しかし津留氏やアレン氏の思想には何か根本的なものが欠けていたり過ちが含まれているようには思えない。
にも関わらず、何故老年を待たずしてお亡くなりになったのか?私にはどうしても納得できないのです。
“実現くん”氏はこの事実とどう折り合いをつけていらっしゃるのでしょうか?



この問いに対して「実現くん」は「わからない」と答えています。ニュアンス的には「わからなくてもいい」という考えのようでもあり、私もそれ以上追及する気はありませんでした。そしてこの読者の問いの「私は思想は実践により証明されると考えますし、例えば高名な方でも不幸ばかりの人生だと、その思想に眉唾をつけてしまいます。」には100%同意しながらも、実は最近、この「折り合い」についてなんとなく私の中で諒解すべき何かが出てきたように思うのです。


先日、ご紹介した衛藤信之氏のセミナーの中でこんなエピソードが紹介されてありました。詳細は忘れましたが、ある小児病棟で、早くに小児ガンを宣告されて幼くして長く生きられない少年がいました。彼のガンは顔面に転移して、顔半分を失うような手術をしました。当然、二目と見られぬ顔になってしまい、彼を傷つけてはいけないと、その病室から鏡という鏡をすべて取り払ったそうなのです。当然、窓ガラスも映らないものに取り替えたのだと思われます。少年は自分の顔、そして少ない余命のことを知らずに、「退院したらみんなといっぱい遊んで、いっぱい勉強して・・・」ということ楽しげに語っていたのです。そんなあるとき、若い看護士さんが少年の病室に入ってきた時、少年は看護士さんの胸ポケットに小さな手鏡を見つけたのです。何も知らない若い看護士さんは少年の「その鏡見せて」という言葉に素直に従い、手渡してしまいました。少年は手術後初めて自分の顔を見て愕然となりました。その時、少年はこう言いました。


 「ボクが鏡を見たこと、お母さんには内緒にしといてね・・・」


と。衛藤氏はその言葉を聞いて気が狂いそうになったそうです。自分が鏡を見て愕然としたことを母親が知ったらどんなに悲しむだろうか、、、余命幾ばくもない幼い少年はそんな気遣いをしたのです。「どうしてこんなに優しい、心の美しい少年の命を、、、神様はそんなに早く奪ってしまうのか・・・」、衛藤氏は文字通り気が狂いそうになったそうです。しかし、「すべてに意味がある」と考えることでその心が救われることになります。その少年は無駄に早死にしたのではなく、人に「優しさ」を教え、現にこうやって今、彼の教えた「優しさ」を伝えているではないか、と。仏教の世界では「この世は修行」という考え方をして、きちんと修行を全うした人は(まんぎょうマン)、文字通り「大往生」して、再び修行の地に戻ることはないのです。「老年を待たずして」というのは、「この世」という不自由な修行の場から見た浅薄な思い込みであって、全宇宙レベルで見たとき、この修行の期間が80年であろうと5年であろうと関係ないのです。少年は未だ修行中の我々に「優しさ」を教えて天に召され、高い次元から我々に向かって微笑んでいることでしょう。


津留晃一さんが若年死した理由もここにあると考えれば、なんとなく合点がいきます。モーツァルトやチャーリー・パーカーのような真の天才が35年という短い生涯を閉じたのは、我々凡人が何世代に渡ってもなし得ない偉業を、その期間になし得、十分な修行を終えたからだと考えられます。私の3世代前の祖父が何を残したのか分かりませんが、モーツァルトの音楽は250年経た今でも多くの人の耳に感動を与えています。レオナルドダビンチ、エジソン、アインシュタイン、ゴッホ、マザーテレサ、、、天命を全うした人もいれば若くに亡くなった人もいますが、彼らはみな、今の私たちにかけがえのない財産を残していきました。津留さんが何を残したのか私はまだ知りません。ただ、多くの人に「幸せ」や「成功」のエッセンスを残し、多くの人が「この世の修行」にそのエッセンスを取り入れています。結局、実現くんの「わからない」は「すべてに意味がある」という答えに収斂されてしまうのかもしれません。


そんなことで、私は今日、津留晃一氏の「幸せテクニック」という本を注文しました。どんな事が書かれてあるのか、楽しみでとってもワクワクします。私のこの世での修行に大いに役立ってくれればいいのですが(^^)。

 
それから最後にまたお知らせ。もう一ヶ月近く配信が止まっている「メルマガ」ですが、ようやく配信の方針が固まりました。今までのスタイルではどうも滞りがちだし、なんとなく義務感みたいなものが私を圧迫しているようで、どうにかせねばと思っていたのです。これまでとは方針をガラリと変えて、リニューアルした「週間!!『宇宙となかよし』」が再出発します。どうぞお楽しみに。ありがとうございました。

Commented by アトムカンフー at 2006-05-19 13:39
キリストなんかも短命ですよね。30才で開眼して33才でなくなった。その活動期間のなんと濃いことか、という話をよんだことがあります。
長生きって、日本一のお金持ちだから斎藤一人さんのお話を聞く、みたいな感じで現世的な、話を聞くきっかけでしかないような気がします。
何を残したか・・・。
誰もが忘れた時に本質的に現世的存在の死が訪れるとすると、津留晃一さんはまだ生きてますし、モーツァルトだって、お釈迦さまだって生きてますよね。
それは肉体のあるなしに関係なく、とてつもない長生きなんだと思います。
Commented by oonasu at 2006-05-19 13:47
Qさんが津留さんをとうとう読み始められるとのこと、今から楽しみです(^^)。
ボクは、津留さんがなぜよりによってガンで死んじゃったのかがとても疑問でした。
でも考えてみると、仏陀は毒キノコ食べて死んだし、キリストも磔にされたし、マホメットも高熱で死んでいるという、みんな様(さま)が良いとは決していえない死に方をしているということが分かりました。
Commented by oonasu at 2006-05-19 13:48
実現くんのコメントにも書かれていたと思いますが、一見、ふだんの教えと逆行するような死に方を見せ付けられることで、師の教えといったん訣別して、自分の頭で考えて生きていく、という選択がしやすくなるのかな、と思いました。
そっと目を閉じ、すーっと死んでいき、魂の光りが天へと召されていく、なんて死に方をされようものなら、依存度が高くなるように思いますので。
Commented by みお~な at 2006-05-19 19:32
私も今日一日、朝から【死】についてずっと考えていたので、Qさんのブログを拝見しシンクロにとても驚きました。

私がよく訪問しているサイトの身近な方(セラピストさんだったようです)が先日お亡くなりになったことを知ったり、友人から昨日プレゼントされたマンガ本が死を取り上げたものだったり・・・。

私などもこうして元気に何不自由なく過ごしていると、命に限りがあることをついつい忘れてしまっていることがあります。
(肉体的には)永遠に続かないことが分かっていながら。

こうして何気ないときに死について触れたとき、命の重みや尊さに改めて気づかされます。

どういう死に方が正しいとか、若くして亡くなって可哀想だとか・・・そういうこと自体がナンセンスなのかもしれませんね。
Commented by nonoka at 2006-05-19 21:11
Qさんのお話に同感です。

津留さんしかり、今でも影響力の衰えない短命の方たちは、人生の使命を全うしたからこそ、早くに天に召されたんじゃないかなぁ。と思います。
死ぬということは新しい始まりでもあるわけですしね。

Commented by ぶんちょこ at 2006-05-19 22:58
はじめまして。先日はすごペンありがとうございました。
今のところ吐き気や頭痛などの好転反応はこれといってないのですが、夢見が妙にリアルでうるさく感じ(笑)ちょっと眠りが浅い気がしています。

今日のQさんの津留さんへの考え方私も全く同じように思っていました。
(なので津留さんの本は読んだ事がないです)
でも最近ちょっと読んでみようかな~という気がふつふつと沸いてきた
ところ、今日のこの記事!
これもペンダントのシンクロ効果でしょうか(ココのところこんなの多いです)
Commented by katamich at 2006-05-19 23:01
■アトムさん!
そうなんですよね。
彼らはみな、とてつもなく長生きなんです。
だからこそ生まれ代わる必要もないんでしょう。
仮に生まれ変わっちゃったら、自分が2人いることにもなりましね(^^;
Commented by sakura358 at 2006-05-19 23:03
Qさん。はじめまして!こんにちは。

sakura358と申します。
津留晃一さんと聞いて、おもわずコメントしてしまいました!
私は、Qさんがおっしゃるとおり、「この世の修行(私は遊行と思っています)」に長い短いは全く関係ないと思います。
大切なのは、その期間をいかに自分らしく『うたし』に生きるかではないかと思う今日この頃です。
『幸せテクニック』は、私のお気に入りの本です。感想などをアップしてくだされば嬉しいです。^^
Commented by katamich at 2006-05-19 23:03
■おなすさん!
>そっと目を閉じ、すーっと死んでいき、魂の光りが天へと召されていく、なんて死に方をされようものなら、依存度が高くなるように思いますので。

なるほど。そうですね。フランダースの犬じゃあるまいし、死に方だけで神格化されちゃあ、残した遺産もかすむというものです(笑)
モーツァルトにしてもチャーリーパーカーにしても最後は悲惨な死に方だし、歴史に名を残す人ってすべからくそうなのかもしれませんね。
Commented by katamich at 2006-05-19 23:07
■みお~なさん!
人間は皆、瞬間瞬間、「死」に向かって生きているのですよね。普段忘れがちなんですが。
かと言ってあまり「死」を意識しすぎても辛いので、「生」の長い短いに関係なく今を生きるのが勝ちだと思っています。
最近、よくシンクロしますね~(^^)
Commented by katamich at 2006-05-19 23:09
■ののかさん!
そうですね、死は始まりだと思っています。
「生」と「死」を反意概念とするのでなく、私は単なる延長としか思っていません。って、悟ってどうすんねん(^^;
Commented by katamich at 2006-05-19 23:11
■ぶんちょこさん!
まさにすごペンのなせるシンクロでしょうか・・・(笑)
生の長い短い、その人格などにとらわれず、残されたものにきちんと向かい合って、自分にとってプラスになる部分があればそれでいいかな、と思っています。てなわけで、津留さんの本を読むのが楽しみです。ぶんちょこさんも是非一緒に読みましょう。
Commented by katamich at 2006-05-19 23:13
■sakura358 さん
はじめまして、、、と言うか、お名前はよく拝見させて頂いております(^^)
今度、、、お会いできるのかな・・・??
「幸せテクニック」、、、読んで何か感じる事があれば、是非、感想をアップしたいと思います。
Commented by みっさん at 2006-05-20 02:17
お久しぶりです。
生との対極はドーやっても死です。
向き合ってる以上
人はその間にはさまれてるのでしょうか・・・

個人的な100日行始めました!
今ジリ貧なのです・・(汗
Commented by katamich at 2006-05-22 22:46
■みっさん!
ほ~。100日行を開始しちゃいましたか!
私もなんだか100日行が恋しい今日この頃です。
応援しますので、頑張って下さいね!
Commented by たぬき at 2006-05-23 13:32
津留晃一さんは短命でなくなったこ、ガンで長期間苦しんで死んだこと(なぜガンであったか、即死ではなく?)、晩年女性問題ででバタバタしたこと、しかし多くの人が受け入れる思想があったことは別であった為に、亡くなった後でもこの記事になるのでしょうか。

確かに多くの人は、皆に受け入れられる思想の人は、神のように全てにおいて皆の手本であるような、うそもつかない、金を儲けない、皆にやさしい、奉仕の人等、、であることを思っているのではと思います。しかし実際は人間ですから、裏は幾つもあるでしょう。云えるのは鵜呑みにしないことなのかなあと思います。受け入れられることだけを受け入れればと思います。生き(死に)神様的に、盲信的に全てを崇め奉ることではなく、相容れる所を受け入れ役立てることなのかなあと勝手に思っています。
Commented by katamich at 2006-05-23 13:55
■たぬきさん!
コメントありがとうございます!

>受け入れられることだけを受け入れればと思います。

私も同感です。ようするに自分にプラスになる部分だけ、素直に取り入れられればいいのかなと思います。
Commented by ゆき at 2006-06-15 18:43
津留さんの本よく読んでいる者です。そして今日はじめて2chの津留さんに対する書き込みを読んで(女性問)、さらに津留さんが魅力的な人だと感じました。本には、セクシュアルなコメントは載っていないので、疑問でした。人間の源泉はやはりセクシュアルな部分だと思うからです。それを肯定も否定もしない、本物の人だと思いました。
Commented by katamich at 2006-06-16 00:39
■ゆきさん!
はじめまして。コメントありがとうございます。
そう、人にはいろんな部分があって、他人がとやかくいうことじゃないんですよね。
本物でなければあれほど人に影響を与えることはないんですから。
Commented by hiko at 2006-07-08 07:59
津留さんが早く亡くなったのは思想と実生活が乖離していたからだと思います。凡人は結構デタラメな生活でも影響は受けないのですが、精神が浄化される程、行いの面でも清潔なものが求められるのではないでしょうか。セクシャルな魅力を持ち上げられるのも結構ですが、よく考えてみる必要があると思います。
Commented by katamich at 2006-07-10 14:12
■hikoさん!
なるほど!そういう考え方もありますよね。
Commented by yama at 2008-01-28 11:50
惜しまれて亡くなったのか、惜しまれず亡くなったのか、その状況に意味があると感じました。
今生きる私たちにとって、惜しむ先のビジョンを見せてくれるからです。
「他のために残す価値」が死に際に現れると考えると、いろいろ見えてきます。
Commented by 津留さんで開眼した者です at 2010-03-29 00:49
津留さんの言っていることは下記ではないですか?
・事象の善悪や上下は決まっていない。ましてや、生死の善し悪し、生の長短の価値も決まっていない。今を精一杯生きることに価値があるのであり、生きる目的は元々無い。
津留さんは、まさに教えを死を持って体現した人ですね。
Commented by at 2011-12-06 10:55
ずいぶん時間がたってのコメントで失礼します。最近、津留さのの事を知ってこのブログに行きつきました。津留さんがなぜ早く亡くなられたのか、それはご本人がもうこの世での役目は終わったと選択されたからでしょう。それに関して世の中に与える意味を考えるならば、それは人それぞれ人の数だけ意味があるんだと思います。チャーリーパーカーにしろジミヘンにしろジョンレノンも同じでしょう。津留さんの書かれていること、バシャールの言っていることなどを総合するとそうなるようです。
ですから、Qさんが津留さんの死にどう意味づけするかが正解になるのでしょう。ふにゃふにゃしたコメントですいません。ふとそう思ったので。
Commented by suzuki at 2012-11-09 17:33
津留さんのことを今日初めて知ったのでコメントさせていただきます。
短命=悪 という思い込みからの質問がはじまりですね。
全てに意味を求める必要はないですね。
ただ「在る」だけなのですから。
Commented at 2013-06-06 08:28
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by take at 2013-09-08 00:33
津留さんが早くに亡くなられた理由はご本人の著書『多くの人が、この本で変わった。』の45ページの11~12行目に書かれているように思います。『人は、信じるものを見る』のですから。
Commented by はるちゃん at 2014-02-23 17:15
はじめまして。
津留晃一さんを検索し、こちらにたどり着きました。

たしかに、若くして亡くなられた方の本を読む気にならない というのにも納得でしたが、
コメントを拝見し、死 への捉え方も いろいろあって、おもしろいなあと思いました。
死に関してだけでなく、物事を 自分のいいように捉え、受け入れようと思いました。

ステキな記事とコメントをありがとう
Commented by ななし at 2014-03-13 12:16
若くして亡くなった方の教えは、信頼できるものなのか?ですが。まず長く生きたら偉いという観念をお持ちかそうでないかで意見が別れます。また寿命というものは、確かなものか不確かなものか、これについての信念も大きく関わってきます。寿命は決まっていると言う人もいれば、自由意思によって選択的にこの世を去るという人もいます。この世を離れた方があの世にいながら、この世について記述したという決定的証拠はありません。あったら精神世界の探求は終わっています。なので本当のところ、寿命がどうなっているのか誰も知らないのです。寿命は、教えの信頼性と全く関係ありません。寿命には意味が無いのです。長寿がもてはやされているのはエゴがやっていることなのです。長寿が悪いのでは無く、エゴに支配されて生きるのがよろしくない。エゴに支配されて生きると苦しいですから。事実は事実です。
Commented by リュウライザー at 2014-03-26 18:14
初めまして。ネット検索にて、記事を拝見しました。

こうした、宗教やスピリチュアル関係に携わる人々の早死にについてですが、ひとつはこうした分野を志向する人が抱きがちな、「罪悪観念」があると思います。

わずか37歳にして世を去った宮沢賢治は、はたして「珠玉の文学作品を世に残して現世の使命を終えた」のでしょうか?
彼は本来、法華経の使徒として、世の為に尽くさんとする、大なる理想に燃えていたはずです。
賢治は亡くなる十数年前から、自らの早世を予期していたとも聞きます。
しかし、彼特有の「世界全体が幸せでなければ、自分の幸せも無い」という観念が自らの身体的生命に制限をかけていなかったと、どうして言い切れるでしょうか?

難病で早死にする子供を通じて、人々に何かの気づきをもたらすという事はあるでしょう。
しかし、難病を含めた、この世のあらゆる悲惨が学びや気づきの糧となるでしょうか?

魂の学び、経験といった事柄は最終的に何の確証も出来ません。
その概念を抱き、この世のあらゆる事象をその解釈に当はめようとする試み自体もまた、人を蝕む罪悪観念となっているとしか私には思えません。

Commented by 英寿 at 2014-03-30 00:33
こんにちは!このコメント欄は面白いですね。皆さん、道徳心が強いようで。魂の修行であるとか前世でのカルマの解消など。私は、人の命には何の価値もないと考えています。私たちが人生だと思っているものは、全て幻想です。見かけ上は、非常にリアルで臨場感がありますが、夢みたいなものです。人生に意味は無いわけですが、人間は活動をとめることは出来ません。人間の一生は、シナリオ通りで完全に決まっています。あなたの鼓動の数から瞬きの数から何歩歩くかまで、ありとあらゆるものが決まっています。ですから、あなたがいくら頭で人生には意味がないと思っても、じっと一箇所にとどまっていることはできません。人の寿命には意味がありません。それからこの世で、大事なもの、絶対のもの、しなければならないものなどは存在しません。もっと好い加減にこの世を考えた方が良いようです。
この世は、意識による遊び、神のリーラです。たった一つの源から、現象が現れてエネルギーを発散し終えたら、また収縮して一つになり、また発散する。これの繰り返しです。
Commented by katamich at 2014-04-02 12:44
この記事はかなり古いもので、今とは考え方も違うのですが、コメントありがとうございます!
Commented by かめにゃん at 2023-06-15 15:19
2023年6月15日からコメントです。Qさんは素敵です。みらいのQさんは大成功しています。
Commented by AnjanaAyako at 2024-07-14 11:39
津留晃一さんの検索をしていてまさかQさんに繋がるとは!
まだ本を読んでいないのですが、興味がわきまして
今はどの様に考え方が変わってきたのか
教えてください!
by katamich | 2006-05-18 23:03 | ■人生哲学 | Comments(34)