音と意味 2004.8.5
2004年 08月 05日
買ったのは黒川伊保子著『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』(新潮新書)という本です。表題にインパクトがあり、手にとって見たのですが、表題の軽さとは裏腹に非常に知的好奇心をあおる面白い本でした。なので斜め読みながら一気に読み終えることができました。
内容をかいつまんで言うと(かいつまめるかな?)、コトバとして発する「言葉・表記・音」にはそれ自体に潜在的な「意味」があるという話。つまり、つけられた名前によってはその内容の良し悪しと関係なく売れたり売れなかったりするのだとか。例えば、「車の名前にはCがいい(例:カローラ、クラウン、セドリック、シビック等)」、「女性雑誌はNとMが売れる(例:ノンノン、アンアン、モア等)」、「人気怪獣の名前には必ず濁音が入っている(例:ゴジラ、ガメラ、キングギドラ等)」。これは普通になるほどと思います。しかし面白いのは、筆者はその専門領域である、物理学、人工知能、脳科学、言語学などの知識を総動員して、「なぜ音自体に意味(印象)があるのか、それはどんな意味(印象)なのか」を一つ一つ解明し体系化したところにあります。この一つ一つの音が与える意味(印象)を、筆者は「クオリア(印象の質)」と呼んでおり、「k」のクオリア、「t」のクオリア」、「m」のクオリア」、「p」のクオリアなどというように、一つ一つの子音ないし母音に意味(印象)を与えているのです。
例えば、「k」は「固い」、「t」は「とろみがある」、「s」は「すべりのよい」、また「m」「p」「b」などは赤ん坊が最初に発する音でもあり(まんま、ママ、パパ、ばぶばぶ)、「親密」とか「満たされた」とかの印象があるようです。これらを詳細に体系化して、言葉や名前の意味(印象)を例示しているのが面白いです。
具体的には、同じ化かす動物である「キツネ」と「タヌキ」だとキツネの方がずる賢そうとか、同じトマトジュースでも「カゴメ」と「キリン」ではカゴメの方がよく売れるのはなぜかとか、「牛丼」と「豚丼」では既に豚丼が名前負けしているので売れない、とかいろいろな例をとって説明してくれます。確かに、こじつけの感もなきにしもあらずですが、納得されられる部分も多いです。
そこで、私も身近なもので名前のクオリアを対照させてみたくなりました。例えば、「ジャイアン」は濁音が入っており怪獣的で強そうです、「スネオ」はいかにもするするしててずる賢そうです、「しずか」は可憐で清楚なイメージを受けます、「のびた」はのんびり、トロトロしていそうです。なるほど。こんなのも筆者によれば、音を分解してそれぞれのクオリアであてはめ分析するのでしょう。確かに、ジャイアンのキャラに「のびた」の名前はありえないでしょう。
さらに身近に例をとりましょう。私が所属している吹奏楽団は「ノアール・アンサンブル・ウインズ」というのですが、クオリア的には「n」が女性的、癒しを表し、「r」が理知的、美的を表すそうです(本書より)。従って、「ノアール」という名前を初めて聞くと「綺麗で賢く、癒される」というようになるのでしょうか。確かに私の第一印象では「ノアール」がフランス語である先入観もあってか、「お洒落でありながらこだわりを持っていそう(綺麗、理知的)」である一方、「親しみやすい(癒し)」というイメージを受けました。だからこそホームページのリンクを真っ先にクリックしたのかもしれません。もしも、これが「バスコダガマ・アンサンブル・ウインズ」だと何となく厳格で攻撃的なイメージがしますし、「のび太王国記念吹奏楽団」だとかったるくて眠そうなイメージがします(これはこれでクリックするでしょうが)。
さらに、もっと身近なエピソードを紹介しましょう。私は近年、「Qちゃん」と言われおり、小さな頃からそう言う人も何人かいましたが、定着したのはここ3年ほどです。しかし高校の時は「Aちゃん」と言われていました。なぜかというと同じ中学の数学教師である親父の名が「英司」でまずAちゃん、そして兄貴(名前は英一)が引き継ぎAちゃん、そして私は久二(ひさつぐ)であるのにも関わらずそれを継承させられてしまったのです。今思うと、非常に「すわりが悪い」気がします。
それで、先日、吹奏楽団の団員からこんなことを言われました。その団員の娘と息子はなぜか私になついており、私のいないところで、息子が「なんでQちゃん、て言うの?」と父親(団員)に尋ねたところ、その団員は「名前に「久」があるからじゃないの」と返答したのですが、横にいた娘が「見た目でQちゃんだと思ってた」、と。
悔しいですが、これは非常に正しい気がします。「Q」というのは音のクオリアで言うと「k」が入り固いイメージがしますが、筆者は音だけでなく「表記」にもクオリアあると言っています。となると、おそらく「Q」という形が私にマッチしていたのかもしれません。「Q」と名のつく日本人を考えてみると、「坂本九」、「高橋尚子」、「オバQ」などが思いつきます(ファンキージャズテナーに「Q石川」というのもいますがマイナーですね)が、これらの人達から受ける印象は、「丸い(雰囲気を含めて)」、「平和そう」、「ちょろっとしている」などが浮びます。何となく私自信も自分であたっている気がします(昔、「平和そうな顔や」と言われたことがありますし)。
今日も大作になっていますが、この本を読んで思ったことは「やはり、名前や言葉は大切」ということです。名前や言葉を「意味」と切り離して、単なる「伝達手段」と考えるのはあまりにも危険だと思います。もしも同じ内容のことを伝える時でも、言葉をきちんと考えて発するという感受性をもちたいと思いました。それから、これから子どもが生まれ名前を付けるときなども、その「意味内容」だけでなく「音」や「表記」にも気を配るべきだと考えさせられました。
ともあれ、この本に出会ったことで、この先、言葉にもっとデリケートになり、ビジネスの現場にも十分生かしていきたいと思いました。
(写真はやっぱり傑作)