色が見える 2006.2.6
2006年 02月 06日
と、そのような現実的な話をしていながら、今日の滝はなんだかちょっと神秘的でした。雪がどか降りだったので、気温的には氷点下に近いにも関わらず、寒さをほとんど感じませんでした。雪の日は水が逆に温かいなんていう人もいますが、物理的にはやっぱり冷たいと思います。これは思い込みかもしれませんが、今日は体から炎が出ているような気がしました。滝に入る前の作法の時、手刀を作って「不動明王真言」を3回唱えるのですが、1回目は不動明王をお呼びし、2回目は不動明王の炎をまとい、3回目で刀を突き出し滝に向かって切りつけます。その2回目の時に炎が体から出たような感じになり、真上に上げている両手に明らかに「熱」が伝わりました。そして九字を切り、何も考えずに滝に入ったのですがなかなか寒くならないのです。雪が降っているにも関わらず。ずっと体から炎が出ているような感じです。滝の中では「禊ぎの祓い」、「般若心経」、「十一面観音菩薩真言」、「不動明王真言」、「弁財天真言」、「龍神真言」、「釈迦如来真言」、「文殊菩薩真言」、「光明真言」を順番にあげていくのですが、「真言」が変わるたびに目の前の光の色が変わっていくような気がしました。最初の「禊ぎの祓い」の時はエメラルドグリーンに近いのですが、後は水色だったり、オレンジだったり、紫だったりします。お神様と感応しているとはまだまだ言えないと思うのですが、21日を過ぎてからちょっとした変化を経験しています。
そう言えば、私は「音楽」を聴くときも「色」をイメージして聴いてしまいます。特に優れたクラシック音楽、そして優れたプレイヤーが演奏するジャズなど、演奏中に次々と「色」としてイメージが浮かび上がります。「何色」と聞かれると困るのですが、およそ言語化できない「色」が次々と浮かんでくるのです。目を開けていると頭の中、目を瞑っているとまぶたの裏側に「色」が写っていくのです。いつもではないのですが、時々、そんなことがあって妙に感動したりします。
思い出しついでですが、私は「オーラ」を見ることができるのですが、普段はその「色」までも見ることはできません。ただ、人間だけでなく、動物、植物、置物や本に至るまで全ての物象に「オーラ」が見えます。見方はそんなに難しくありません。視点を定めなければ(フォーカスしなければ)ごく普通に見えます。ただ、「色」はめったに見ることがありません。しかし、ジャズや民族音楽のライブでは、演奏が乗ってくるとオーラが次第に色づき始めます。あるディジュリドゥ奏者からは真っ赤なオーラが天に登っていくのを見たことがあります(トシ小島氏)。あるピアニストでは背中を向けて弾いていたのですが、オーラが暖色系になり、グイングインと大きくなったり小さくなったりしました(大口純一郎氏)。
これらは「思い込み」なのかどうなのか判別は付きませんが、とにかく、私は何かの状況におかれると「色」としていろんなものを認識するようになっているようです(セックスの時もよく「色」が見えます)。だがここで「色」と書くとどうしても「色即是空空即是色」を思い出してしまいます。一日に少なくとも6回以上は言ってますので。言うまでもなく「般若心経」の一節ですよね。ここでの「色」とは「形あるもの=実体」と解釈されますが、私の目の前に現れるいわゆる「色」は決して「形あるもの」のように見えません。しかし、それは仏様であったり、真言であったり、音楽であったりと、すべて「実体」がもととなっているので、やはり「色」は実体なのかもしれませんしそうでないかもしれません。
難しいことを言うかもしれませんが、結局のところ、私の見る「色」と言うのは「実体」そのものではなく、その「実体」との「関係」において見えるものなのだと思います。ただ「関係」と言うのは「実体」が前提となります。キルケゴール的には「実体」としての自己を『「関係」の「関係」』ととらえられるように、「実体」と「関係」とは不可分のものなのでしょう。こういう書き方すると、ロジカルには「色」=「実体」であり「関係」、「空」=「関係」であり「実体」ととらえることができます。
何を言いたいのか徐々にわからなくなってきていますが(笑)、私が「真言」を唱えているときに現れる「色」とはそれ自体が見えたことによる「実体」のようであっても、それは「仏(真言)」との「関係」においてしか知りえない「空」なるものなのでしょうか。一方で目の前に現れるもの全てが「関係」としかとらえようのない儚き「空」かと言えば、現に私の前に「色」として現れています。要するに「色即是空空即是色」なんですが、書いててよくわからなくなってきました。滝の中では確かに「色」として認識できるのですが、それが何なのかわかりません(=「空」?)。しかしわからないながらも(=「空」?)、こうしてブログに書いて再び「色」を想起しています。
あ~!考えてたらごちゃごちゃしてきました。そんな理屈はともかく、明日も明後日も明々後日も「滝」に入ることだけを考えればいいのです。お釈迦様みたいに「悟り」なんてのも今はいりませ~ん。とにかく「行動」「実践」している中でわかることがあればわからないこともあるだけです。なんだか夜更かしして無駄な「思考」をしてしまったようですが、これまた「思考」をしたと言う事実だけが残っているのです。要するに「実体」のことを「色」と言った気持ちがちょっとばかりわかったようなわからないような無駄な「思考」の「事実」が残っているということで今日はおやすみなさ~い。
よくわかりませんが、とりあえず勢いでクリックしてその事実だけを残してくれればありがたいと思います(ブログランキング)
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弁財天:をんそらそばてぃえいそわか
龍神:をんめいきゃしゃにえいそわか
ですね。波動さんは他に何のご真言を唱えているのですか?
>夏野苺さん
読み返してみても何書いているのか意味不明でした・・・
