別れの涙 2004.10.1
2004年 10月 01日
トラックバック記事のごとく、今日は会社で送別会がありました。人生で最も世話になった所長と、仕事だけでなくいろいろと世話になった上司が会社をお辞めになりました。ほんとうにお疲れさまでした。
送別会そのものは平穏に終了しましたが、周りは私が壊れるのを期待していたみたいです。いかんせん体調が完全復活していないのでビールもジョッキ半分、二次会にも行きませんでした。
そう言えば最近、「別れ」で泣くことがめっきり少なくなってきました。過去に「別れ」系で泣いたのを思い出すと、
①小学校一年生の夏、飼っていたカブト虫(雄)が死んだ日
②高校三年生の夏、部活のコンクール(吹奏楽)が終わった翌日の夕方、後輩と歩きながら
③大学二年生の時、小さい頃から特別に可愛がってもらっていたおばあちゃんの葬式の日、棺おけを先頭で抱えながら
④大学三年生の冬、3年間教えていた生徒の家庭教師が終わった日、帰りの車の中で
⑤大学四年生の秋、所属していたオーケストラの自分にとって最後の演奏会が終わった日
⑥コロラドの一ヶ月のホームステイが終わった日、空港でベツィと別れたあと
⑦大学院の修了前、所属していた吹奏楽団の自分にとって最後の定期演奏会のアンコールの時にステージ上で
覚えているのはこんなところでしょうか。中でも特に印象深い泣きは②と⑦のような気がします。
②の泣きは、6年間の部活がコンクールをもって最後になった時、コンクールの終了後は泣かなかったのに(周りは泣いていたけど)、翌日、後輩と歩いていて急に涙が出てきたのを覚えています。
⑦の泣きは、長かった田川(福岡県田川市)での生活に終止符を打つ演奏会でもあったので、演奏会のアンコールで感極まって涙が出てきました。私はクラリネットでコンサートマスターだったのでステージの一番前で目立ってしまいました。曲はボズ・スキャッグスの「We're all alone」でした。結構、周囲に与える印象は深かったようです。その一年後ぐらいに、ある合宿施設で大学院OBの合宿中、地元の高校生(勿論私は知らない)達から、いきなりその時のことを話されました。
考えると、2つとも「吹奏楽」関係なのがわかります(わざとチョイスしていません)。やはり、何だかんだ言っても私にとって音楽(吹奏楽)は大切なようです。今は忙しくてお休みしていますが、その内必ず戻りたいな~なんて、今強く思っています。
しれっとした送別会のことを書くつもりが、過去の「泣き」を思い出してしまって、今密かに胸がじ~んとしています(なんのこっちゃ)。
ついでに書かせてもらいますが、昔、中学校の時の先生(森寮長)が言っていた言葉。
「男が泣いていいのは2つだけ。一つ目は親が死んだ時。二つ目は感動した時。」
今になってカッコいい言葉だと思います。痛かったり、寂しかったり、悔しかったりなんかで男は泣いちゃいけないんです(親の死は例外)。上記の「泣き」は、別に寂しいから泣いたのではないんですよね。②では6年間の部活生活、⑦では長年の田川生活に対する、「感謝」の泣きだと思います。
先生の言葉にあてはめると「感動した(感謝によって心が動いた)」と時の泣きに近いのだと思います。
こんな「泣き」をこれからの長い人生で、もっともっと経験していきたいと思います。そんな「豊かな」人生を送っていきたいものです。
(写真は泣き過ぎの人)