「天使の卵」と「マンハッタン物語」 2004.8.4
2004年 08月 04日
まず、最近読んだ本から。これは吹奏楽団のM原嬢から借りた村山由佳著『天使の卵』という小説です。美大志望の主人公の青年が電車の中で会った一人の女性に恋をし、その2人とそれを取り巻く人間模様を中心として描かれたラブストーリです。女性の方は8歳年上のお医者さんで、精神疾患に冒されている主人公の父親の担当医となっています。そして主人公は偶然にもその女性の妹と高校の時から交際しているという関係です。主人公は女性の妹との交際を解消し、その姉である恋焦がれる年上の女性と付き合うことになるのですが、その周辺を含めて傷つき、傷つかせながら激しくも切ない恋が展開されていくわけです。
ストーリー的には別段変哲のない話ですが、その変哲のなさとライトタッチな文体が、平凡な毎日を送る読み手を引き込むのでしょうか。村上春樹以降によくあるスタイルです。そして今大ベストセラーになっている「世界の中心・・・」にも通じる世界観があります。
この小説にも、村上の小説にも、セカチュウにも言えることですが、主人公たちは我々と同じ学生であったり、社会人であったりと凡庸な立場にありながら、「純愛」というリアリティのない世界に身を投じていたりします。つまり日常(=自分)と手の届きそうな非日常(=想い)とが交錯するところに、平凡な毎日を送る我々を何ともなしに魅了するのでしょうか。これが、変態的な主人公による怪奇な世界だと単なるホラーかSFになり、平凡な主人公による平凡な世界だと、ネット上でよく見られるありふれた日記のようになってしまいます。
それにしても、この「天使の卵」という小説はなかなかよかったと思います。ラストは切なく終わるのですが、特に涙が出るまではいきませんでした。年上の女性と展開するラブストーリーというのは、男として一種の憧れのようなところがあります。実は私自身も昔はそう言うことがありましたが、その時期にこれを読んでいるときっともっと切なかったのではないかと思います。
次に今日読んだ本です。フランク・コンロイ著『マンハッタン物語(原題「Body&Soul」)』という小説です。これは上下巻で約800頁の大作で、実はその上巻しか読み終わっていないのですが、あまりの面白かったので今の時点での感想を書きます。
これはニューヨークを舞台とする貧しい生まれの少年が、ピアノを通して成長し、世界的な音楽家へ大成していくサクセスストーリーです。ただそれだけなのですが、ディティールが恐ろしく面白いのです。よほど音楽に精通していないと描けない世界で、音楽に興味のある人は間違いなく楽しめる内容です。
例えば、主人公の先生が作曲の授業を受けるために出す問題に「西洋の音楽はなぜ12音階なのか」というのがあるのですが、ここでの主人公の回答がまさに目鱗ものなのです。長いですが素晴らしいので引用します。
「倍音列は音本来の持つ特性である。ピアノの低音Cの弦は一秒あたり六十四回転するが、同じ一本の弦もさまざまな長さに区切って考えることができ、その各部の長さによって異なる回数の振動をしている。短く区切れば区切るほど音は高くなる。二分の一、三分の一、四分の一、というように、無限に区切っていくことが考えられる。低音Cの弦を二分の一にすると、二つの部分はそれぞれ一秒あたり百二十八回振動する。つまり元の音の一オクターブ上の音になる。これが二倍音である。低音Cの弦を三分の一にすると、一オクターブ上のGが生まれる。これが三倍音であり、音程は五度である。同じように弦を区切っていくと、さらに高い倍音が生まれるが、実際に問題となるのはGの音である。よく響く音であるし、主音のCに最も近い音であるからだ。つまり、ある音を主音と考えた場合、それに最も関係が深いのは五度の音、すなわち属和音の根音ということになる。
主音から属音へ、さらにその属音を主音とした場合の属音へ、というように上昇していくと、平均律のピアノであれば、C、G、D、A、E、B、F#、C#、G#、D#、A#、F、そしてふたたびCの音が得られる。Cに戻るまでに経る音の数は十二である。したがって十二音音階となるのである。」
12音音階は西洋音楽の特性であり、さらに「12」という数は生活のいたるところに登場します。例えば、「月」、「時間」、「干支」、「ダースという単位」など。10進法が支配する世の中で「12」がここまで生活の隅々に浸透しているのは、「自然の定理」であるゆえに12音音階もいわば「あたりまえ(アプリオリ)」としか思っていなかったところ、「なぜ12音音階」というのを学術書でなく一遍の小説で知ったのは驚きでした。それも「ピアノの弦」という目に見える具体的な方法で説明したのは本当に見事です。
ピアノの弦を自然数である1、2・・で区切るところに西洋音楽の合理性があるのに対し、自然数でなく例えば1.2とか1.7とかで区切るところに、インド音楽やアラブ音楽の特性があるとすると、西洋合理主義はただ単に「自然数」に支配されているだけなのでは、とまで考えさせられました。
小説の内容に戻りますが、他にも素晴らしい箇所があります。シェーンベルク流の12音階技法の授業に嫌気がさした主人公が、世話になっている楽器やの主人に諭され、奮起して12音技法の曲を書くのですが、この時の話が面白いです。なんと自分の曲をチャーリー・パーカーのブルースのレコードにあわせて弾くのですが、まるで「ビバップが12音の曲を伴奏しているような、あるいはその逆のような感じ」になるのだそうです。これは是非とも実際に聴いてみたいものです。
他にも当代の名ピアニストとモーツアルトの二重協奏曲を弾く場面のリアルさやそれにまつわるエピソード(モーツアルトが2ndを弾いていたとか)の面白さ。オケとのリハに嫌気をさした主人公に対する、指揮者の諭し方(「オーケストラは大きなのろまな獣なんだよ」とか)。そして、急遽ベートーベンのコンチェルトを代役で弾くことになり(それも初見で)、大成功をおさめたときの興奮(しかも、急に名乗り出た譜捲りの少女とその後Hをしている)。このエピソードなど、ホロヴィッツのあの話を元にしているのだろうけど、こんな話がいたるところに散りばめられているのです。
実はまだ半分しか読んでいないのですが、後半を読むのが楽しみなりません。繰り返しますが、これは音楽が好きなら(マニアであればあるほど)、絶対に楽しめる一冊です。というより一家に一冊はおいておきたい名著でしょう。ちょっと一般向けでないためなのか、今は絶版となり書店で見ることは少ないと思います(私は偶然ブックオフで見つけました)。
是非とも再発して、映画化して欲しいものです。手に入れるのは難しいかもしれませんが、頑張って探して読みましょう。
(写真は年上の女性と年下の男性)