起こりうる全てが最高のこと 2005.11.11
2005年 11月 11日
北九州に行った理由は、私の学生時代の友人と会うためです。その友人は心理療法士、カウンセラーなどの仕事をしており、学生時代から妙に気の合う人でした。今では個人で色々なところから仕事を受けて生計を立てています。私が憧れる働き方ですね(って言うか、今既にそんなんですけどね)。この友人は学生時代は別の研究室だったのですが、いつも周囲の研究仲間を議論上で敵に回して、常に一対複数という図式でした。しかし私的には、どう見てもその友人が言ってることの方が正しく思えて、よく話を聞いていたものです。
心理学というのはとても面白いものです。人の心や内面に介入して、その人の持つ根本問題を解決に導いていくのです。しかし、これは諸刃の刃で、すごく人世のためになるものである一方、悪用しようと思えばいくらでもできてしまいそうです。友人本人も、「私がセールスマンになったら簡単にトップになれそうよ」、と言っていました。ただ、現実としてクライアントの問題解決のためにいわゆる「オカルトグッズ」を買うことが重要であると判断されれば、そのようにさせることもあるそうです。もちろん法外な壺などを買わせることはないにしても、多くの新興宗教や悪徳セールスなどは、巧みに心理学を悪用していくのでしょうね。
私自身も最近になって、「仕事には心理学が必要」と悟り、NPL(神経言語プラグラム)などの勉強を始めたりしています。ただし、仮に心理学をマスターしたとしてもそれをどう使うかは「良心」に問われるので、その辺りはブログの読者の皆さんもよく観察していてくださいね(笑)。もっとも、「お坊さん」になるためには心理学は知ってて損はないツールですね。もちろん今やっているコーチングにおいてもです
その友人と話をしていて、相変わらずいろんな価値観の共有があったのです、もっとも大きな一致としては、「問題の解決のためには、外部から与えられるものではなく、クライアント本人が既に持っている」ということでした。カウンセリングにも色々な手法や流派があるそうなのですが、「解決方法は本人自身に」という考え方は、コーチング、NLP、そして密教の理念でもあります。私自身もこれから先、人と接したり、人の心に関与したりする場合は、「本人自身」という価値観を最大限に尊重していくつもりです。
もう一つ一致する考え方として、「起こりうること全てに意味があり、最良であることを信じる」とうことがあげられます。例えば、「クライアントがどうしてもできない」などの消極的なケースにおいて、それはそれで意味があるので尊重するべきだと言うことです。無理に「させる」べきではありません。そんな話をしている中で、面白い逸話を聞かせてもらいましたので、ここで簡単に紹介したいと思います。
(ここから)
インドのある時代、ある王国での話です。あるところにゴータマ王(仮称)という君主がおり、家臣の一人にアショカ(仮称)という名の者がいました。ゴータマ王は何をするにおいてもアショカに意見をうかがってからするのが常であり、アショカは何を聞かれても、「起こりうること全てが最高のことでございます」と答えていました。
ゴータマ王は全てを受け入れてくれるアショカのことをさぞかし可愛がり、そのことでアショカは他の家臣から随分妬まれていたそうです。ある日、ゴータマ王が何かの事故で手に深い傷を負ってしまったとき、家臣の一人がある陰謀を企てました。アショカにゴータマ王の事故のことで意見を聞いてみたのです。アショカは言います。
「起こりうること全てが最高のことでございます」、と。家臣はすぐにゴータマ王にそのことを告げると、ゴータマ王は「私の不幸をそのように喜んでおるのか!」とたいそう立腹し、アショカは罰として牢屋に入れられてしまいました。
その後、ゴータマ王は一人の家臣を連れて猟に出かけました。獲物を追いかけているうちに、ゴータマ王は家臣とはぐれ、さらに山奥へと迷い込んでしまったのです。そのうち、ゴータマ王はある部族に出くわしました。てっきりかくまってもらえるものと思いきや、異人とみなされ、部族はゴータマ王を「土地の神へのいけにえ」として捕獲してしまったのです。部族は突然の異人の来訪に感謝し、火を焚きゴータマ王をいけにえとして神に捧げる折、部族の一人があることに気がつきました。
「この異人は体に傷を負っておる。こんなのは神に捧げられん。」、と。そうです。猟に出る前に追った手の深い傷が部族の前に発覚したのです。そのおかげでゴータマ王はそのまま部族から放り出され、なんとか翌日には元の王国に帰ることができました。身を整えた後、牢屋にいるアショカを呼び寄せ、意見を聞いてみました。するとアショカはやはり、
「起こりうることは全てが最高のことでございます」、と答えました。まさしく、猟の前の事故が功を奏したのです。つまり最高のこととなったのです。続けてアショカは言います。
「もしも王様が私を牢屋に入れず、猟についていったならば、私は王様から片時も離れないため、傷のない私こそが部族のいけにえにされていたところです。牢屋に入れていただき感謝しています。やはり、起こりうることは全て最高のことでございます。」、と。
ゴータマ王はようやくアショカの言うことを完全に理解することができました。
(ここまで)
とてもいい話です。この話はこの人から聞いたそうです。この話には二つの重要な意味が含まれています。一つはまさしく、船井幸雄さんなどが主張している、「全ては必然・ベスト」ということであり、これ自体が「宇宙の法則」である点です。
もう一つは、「起こりうることは全て最高のことでございます」という言葉そのものです。以前、「独り言の効用」で書いたと思いますが、このフレーズは「なぜだか分からないけど、今はなんでもうまくいってるなあ」という言葉に置き換えることができます。つまり、何が起こっても常日頃から「全ては必然・ベスト」と感謝して生き、そのことを独り言のように常々口に出していることで、まさしく本人にとって「必然・ベスト」であることを体感できるのです。
話を元に戻すと、心理学というのは一側面では相手を心理的に誘導し、ある時は問題解決、またある時は洗脳、、、といった具合にも使用することができます。そこに「良心」の重要性があることは言うまでもありません。しかし大切なのは、解決の鍵は人間の外側にあるのではなく、その人個人の内部にあり、起こりうること全てに関与していると言うことです。
人にはいろんなマイナス感情や、よくない境遇、状況などがついてきていると思います。ただ、そこにあるもの全てに意味があり、また、「最高」なものなんです。仮に自分自信を卑下するような内容であっても、それはある側面からは人には真似できないその人の個性そのものであるかもしれません。すべが必然・ベストなんです。他人は誰とて、「それは違う、それはダメ」とは言えないものです。起こりうることを否定する権利などどこにもないのです。
心理学、セラピー、カウンセリング、コーチング、お坊さんなど人の心を扱う営みにおいて、最も重要なことは、やはり、目の前に起こっている全ての現象を肯定的にとらえ、それが当人にとっていかに意味があることかを気づかせることではないかと考えています。そして私はそのお手伝いをすることが、これからの私に与えられた役割であると自覚するようになっています。
ともあれ、私にはいろんなことを気づかせてくれる仲間がいることにとても感謝しています。次回からの「早朝コーチング」にも新しい息吹が吹き込まれたかもしれません。そして、私自身を常に成長させてくれるコーチングのクライアントに皆さん対しても感謝の気持ちでいっぱいになります。また一つ成長しました。ありがとうございます。
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