違う人間になる 2005.10.26

 今日は滝行。布団の温かさがそろそろ恋しくなりつつある今日この頃です。篠栗の滝に行ったのですが、とにかく滝に入ってしばらくは身が縮こまる思いで、ダイレクトに頭が痛くなります。夏は慣れるまでは10~30秒ほどですが、冬は1分近くかかりますので、文字通り「行」となります。冬になると感じるのですが、滝に入る前、そして入ってからしばらくは「なんで今日も来たのかな~」とか「うう、こんなのを3週間、3ヶ月、3年やっていると死ぬで~」とか思ってしまいます。しかし、その苦しさは滝から出るとなくなり、忘れてしまいます。女性の出産の苦しみって、どんなに苦しくとも「忘れる」という機能が遺伝子にインプットされていると聞きます(覚えていたら二人目などは産めない)。滝も同じように打たれる前、打たれている間は苦しいのですが、出るとと忘れてしまいます。そしてその次も行ってしまいます。

 これって、出産と同じように、人間にとって必要な苦しさほど、忘れる機能が働くものです。入院の苦しさ(経験ないですが)などは、ずっと覚えていますので、絶対に入院などしてたまるか、という意識が働きます。つまりこういう図式が成り立つかもしれません。

①苦しさ→忘れる→すなわち人間にとって必要
②苦しさ→覚えている→すなわち人間にとって不必要


 強引かもしれませんが、どんなに苦しいことでも「忘れる」くらい物事に打ち込んだり、「忘れる」ほどに時間をともにした場合、その苦しさは自分にとって「必要」なものとして血肉化するのでしょうね。「忘れる」って本当に大切です。滝から出てそんなことを考えていました。

 ちょっとだけニュースを。先日より一人で盛り上がっていた「すごいペンダント」ですが、実は法人設立前の流動的な時期なのに、ちょっと「書きすぎ」との判断を得まして、過去の記事を大幅に変更しております。もちろんお問合せを頂ければ、持っている情報はご提供できると思います。

 それから「早朝コーチング」ですが、元々の知り合い以外の人からもちらほらオファーが入っています。最初は限定4名(月、火、木、金)としていましたが、「朝5時コース」を設けましたので少しゆとりが出てきました。「宇宙となかよし」の読者のお会いしたこともない方にコーチングをさせて頂けるとは結構幸せな気がします。ありがたいことに、「宇宙となかよし」を読むと元気になるとよく言われることがあります。しかし、、、実物とお話するともっと元気になりますよ~!(笑)。冷やかしの方はご勘弁願いますが、ちょっと気分を盛り上げたいな~と思われる人はお一つどうですか。一回こっきり大歓迎です。これは私の「菩薩行」ですので。。。

 いつだったか、高校生のころだったか、印象的な言葉を思い出しました。「継続して勉強するための考え方」だったと思いますが、それは「これから30分集中して勉強するのとしないのとでは、違う人間だ」という考え方です。集中して勉強したら賢くなる、ではなくて、「違う人間になる」というのは強烈な気がします。

 そう考えれば、すべての行動に「意味」が生じてきます。

・この滝に打たれた自分と打たれない自分とでは違う人間だ→打たれた、ツイてる
・朝、五時におきて朝日を浴びた自分と、いつまでも布団の中でぐずぐずしている自分とでは違う人間だ→浴びれた、ツイてる
・この一冊を読んだ自分と読まなかった自分とでは違う人間だ→読んだ、ツイてる
・早朝コーチングを受けた自分と受けなかった自分とでは違う人間だ(笑)→受けた、ツイてる
・この人と出会った自分と出会わなかった自分とでは違う人間だ→出会った、ツイてる
・仕事を徹夜で頑張った自分と気を緩めて手を抜いた自分とでは違う人間だ→徹夜した、ツイてる

こんなのは無数に作れます。やっぱり、「ツイてる」ということも重要ですよね。そうそう、今日の昼はミクシィでつながった見知らぬ人(!)と一時間半もお電話しました。ビジネスの情報交換目的なんですが(電話しながら途中でウンコをしたことを相手は知らない、ふふふ)、最終的にお友達になったような気分です。「石田さんそのものに興味が出てきた」と言われちゃいました。。。最近は電話(スカイプ)一本で自らのパーソナリティを売り込むことができてきて、まさしく、6月にインドから帰ったころとは「違う人間」になっているようです。

 明日もいろいろと人とお会いします。今日もよくわからないけど、とてもいい日だったな~。すべてがうまくいってるな~。

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by katamich | 2005-10-26 23:12 | ■人生哲学 | Comments(0)