病気再発 2026.5.24〈修行五十二日目〉

おそらくこれから同じようなことを何度も言うと思う。1日があっという間に終わる。今日も護摩を進めた。もちろん火は出さない。会社もそろそろ決算。資料を作成した。夜はまたラジオを聴きながらウオーキング。

ところでここ最近、また「病気」が再発してきた。それは「旅熱」って病気。それも自転車での旅。7月末から東欧に行くのだけど、それも自転車で移動しよかとか考えたけど、いろいろ無理があるので却下の方向か。

今回の東欧はそもそもとあるミュージシャンから「8月にジャズフェスに出るのですが、Qさん来ませんか」って言われたことがきっかけ。別に何をするわけでもない。「きっかけ」があれば行きたいところに行くだけ。

ウィーンからミラノのオープンジョーのビジネスクラスチケット。もちろんマイル特典。自転車の路線は却下として、どこに行こうか考える。そこで思い出した。

今からもう29年前になる。1997年、僕は24歳だったが、世界一周でアムステルダムで自転車を買い、ウィーンの手前まで進んだんだ。あの旅も思えばめちゃくちゃ。

関空からコロラドのデンバーに入り、そこで1ヶ月ホームステイ。その家庭とは今もフェイスブックで繋がっている。そこから単身ニューヨークで2週間。

その時に接したライブはクリスチャン・マクブライド、フィル・ウッズ、大西順子。公園のフェスでエルビン・ジョーンズ、ロイ・ヘインズその他。見かけたのはウイントン・マルサリス、ルー・ドナルドソン、ジョシュア・レッドマン、ジョン・マクラフリン、この方々はビレッジ・バンガードでのクリスチャン・マクブライドの初日に客として来ていた。
病気再発 2026.5.24〈修行五十二日目〉_b0002156_15193434.jpg

スモールズってライブハウスに毎晩通った。ジャムセッションでオーラのあるアルトが出て来て、ソロ中に東洋人ピアニストに「バッキングするな」と命令してて残酷だと思った。そのアルトはなんとクリフォード・ブラウンとの共演歴もあるハーブ・ゲラーだった。
病気再発 2026.5.24〈修行五十二日目〉_b0002156_15193347.jpg

さておき、その後、どうやってチケット買ったかまったく覚えてないのだけど、パキスタン航空の片道でアムステルダムへ。ユーレールパスが高かったのでどうしようかと迷っていたら蚤の市に中古自転車があったので購入。

アムステルダムは思えばすごい街だった。俺は葉っぱも飾り窓も怖くて行けなかった。アムスから西に走ったのだけど、その日の夜、宿が見つけられなくて駅にいたら、目を離した隙に自転車を盗まれた。重要な荷物は持っていたので、特にダメージもなかったのだけど、帰ろうかと思った。

そこはライデンって街だった。一応警察にも行った。朝にB&Bに事情を説明すると、すぐにチェックインしろと。朝食も食えと。警察にレポートを書く手伝いをしてくれた。その日はゆっくりして、翌日、ミュンヘンまでのチケットを買った。

しかし買った1時間後、気が変わってキャンセルして、また中古の自転車を買った。テントとシュラフも買った。そこからベルギーへ南下し、アントワープ、ブリュッセルから東へ。ルクセンブルク、そして南ドイツを横断。ミュンヘンからザルツブルクへ。
病気再発 2026.5.24〈修行五十二日目〉_b0002156_15193342.jpg

ずっと来たかったモーツアルトの生誕の地。いろいろ見た。再び自転車でリンツへ。モーツアルトの交響曲にもあるし、ブルックナーの街でもある。そこで自転車が完全に壊れた。修復不可能だったので、捨てた。ごめんなさい。

街から離れていたので、ヒッチハイクでキャンプ場へ。翌日からヒッチでウィーンまで。つまり、この7月にウィーンに行くのだけど、それ以来って胸熱じゃないか。自転車の続きって物語も生きてくるけど、やらないから。でも、わからない。いや、やらない。でも、わからない。

でも、9月には2年ぶりの「チャリ旅トークライブ 福岡 to 東京」はやりたいと思う。原点回帰で。ちなみに当時の旅日記この旅日記を公開するためにホームページを作って、その日記部門としてブログを始めたのが今に至る。人生ってわからんものだ。

久々に昔の旅日記に胸を熱くする。ネットのない最後の世代の旅。自転車の移動はミシュランのマップにコンパス。東に進めばいい、みたいなアバウトな走りをしていた。迷えばその都度誰かに聞く。アムスで最初に買った自転車は翌日に盗まれたけど、ライデンで買ったのは中古ながらも1ヶ月はもった。しかしあの自転車がもっともてば俺はどこまで行っただろうか。

当時の日記には「イスタンブールまで行ってやろう」とか書かれていた。今はどうかわからないけど、当時の東欧はまあまだ治安が悪かった。実際、ルーマニアではジプシーに荷物を盗まれそうになったりとか。適当に行ったマラムレシュ地方にはまた行きたい思っているけど、それが今回なのかはわからない。歴史のイフだけど、あの時、自転車にもっと乗っていたら、きっと事故にあっていただろう。人生は結局、自分に都合よくできている。

1998年1月に帰国し、2000年3月まで大学院生。しかしその後に進んだ大学院が合わずに3ヶ月で退学。塾講師と家庭教師のアルバイトで食い繋ぐが将来の見通しなし。知人に手紙を書いてある会社で面談を。今だから言うけど、あの時やばかった。

将来を決める面接なのに「ソリティアが上がれば受かる」とか思ってたら、なかなか上がらず、本当にギリギリで上がって家を出た。時間がないので車で行くも、道に迷い(当時はGoogleマップもない)、約束の時間に間に合わないとソリティアを恨んだが、そこはまさかの会社の前だった。5分前。結局、そこでアルバイトをすることになったが、ここでもドラマがあった。しばらくしても連絡がないので自分から電話をした。

すると「やっぱり、ここは理系の会社だから難しい」と言われるも、間髪入れずに「だったら1ヶ月、無料で働きます。それでダメならいいですが、もし使えそうなら最低賃金でバイトさせてください」と言うと、ちょうど人が辞めた直後だったのもあり、本当に最低賃金以下(時給600円)でバイトが始まった。

その半年後、契約社員で遅まきながら会社員になったのが28歳。月給12万円。3年前に正社員になるも、4年で退職。それが2005年のことで、スピリチュアルに目覚めたいたので、なんとかなると思って。滝行もやってて、21日行も終えていた。導師から「御神さんから、はよ会社やめろっ言われてる」と言われたのもある。みたいなこと思い出した。

そして今。なんかいろいろあって、100日間、修行をしている。滝行と四度加行。20年ぶりの100日滝行だし、こんな長期間、出張しないのはいつ以来か。コロナ禍だってよく外に出ていた。しかしこれもまた俺の人生のパターンだ。いきなり「天啓」が来て人生が展開する。正直、修行後、どうなるか未知数。久々に三都市でのトークライブはする。レコーディングもするが、メンバーが胸熱だったり。

そして東欧。ウィーンの続きと言えるが、あの時はなんとなくブダペストに行ったけど、当時、なぜかビザなしだったアルバニアも考えたものの、ネズミ講事件で国が大荒れと聞いていかなかった。が、アルバニアは11年前に行けた。マジで俺、どこに行くんだろう。

みたいな感じでした。ありがとうございました。


by katamich | 2026-05-24 23:39 | ■旅 | Comments(0)