外部化の歴史 2026.5.23〈修行五十一日目〉
2026年 05月 23日
今日、とても残念で、悲しいニュースを聞いた。かつてよく交流していた知人がお亡くなりになった。僕より5つほど上くらいなので、まだまだお若い。
死因はALS(筋萎縮性側索硬化症)でした。不可逆的に筋肉が硬直して、意識は明瞭でありながら、身体が動かなくなる難病。現在において不治の病とされる。原因も特定されていない。現状において、診断されると、あとはいかにQOLを維持しつつ、延命するかが焦点となる。
本人も、そして家族や身近な人も辛かったと思うが、誰しも「命は有限」であること鑑みたら、精一杯に生き、きっと何かを残したんだと思う。決して発症数は多くないですが、決して人ごとでもない。できることは、日々「感謝」して過ごすこと。
僕は昔から「死」について考えることがよくありました。だからこそ、自然と哲学や仏教、精神世界に興味を示すようになったんかと思いますが、正直、1分後にだって生きている絶対的な保証はない。
一方で、死ぬ日は決まっている。知る方法がないので、そんなこと考えるのも無意味だけど、どこか「決まっているなら仕方ない」って諦めの境地にいる自分もいる。
あらゆる悩みはそもそも「無」です。理由は、いつか必ず死ぬから。以上。なんて言うと身も蓋もないけど、いつか死ぬのに生きてるのも事実なので、だったら生きていること自体に何らかの意味もあろうかと。
その意味は死ぬ直前にならないとわからないだろうけど、少なくとも「人生しゃぶり尽くす」ってのが、今の僕の答え。つまり、「やりたいこと全部やる」ので、そのためにお金は稼ぐし、使うし、動くし。誰もが、あとどれくらい生きられるかわからないけど、とことんしゃぶり尽くしたいと思う。なんかあったら、その時はその時で。
ところで、ALSに限らず、現代医学では治療方法が見つかっていない病はまだまだあると思う。しかし、有識者によると2040年にはあらゆる病は存在しなくなると。もしかしたら前倒しで5年以内にそんな時代が来るんじゃないかって話もある。
その要因は言うまでもなくAIであり、AGIであり、ASI(この3つを総称してAIとも言えるが)にあり、これからおそらく医学や創薬の分野で目覚ましく活用されるでしょう。その意味で、今、人類はものすごく大きなティッピングポイントにあると言える。
そもそも人類の進展は「外部化の歴史」と言える。
・火:消化の外部化。胃腸の弱い人でも生きられるようになった。
・鉄:筋肉の外部化。広くは道具や武器のことで筋肉の弱い人でも生きられるようになった。
・文字:記憶の外部化。個人の記憶に頼る必要がなくなったので、情報を広く共有することができるようになった。
・印刷:知識の外部化。文字(最初は聖書)を複製することができるようになり、一部に独占されていた知識を普及することができるようになった。
・車輪:移動の外部化。いわゆる交通全般のこと。地球規模での移動と交流を可能にした。
・IT:情報の外部化。マスメディア等、限られた一部に独占されてきた情報が地球規模で共有されるようになった。
・AI:専門性の外部化。長い年月と属人的な才能によって独占されてきた専門性が、ある程度、誰もが理解し活用できるようになった。
今はその「AI」の時代。これが進むと、次に来るのは「命の外部化」であり、部分的には実現進行形である。つまり医学。
しかし、今後、病気や老化って概念がなくなると、「命」そのものを自分で選択できるし、個の命がなくなっても、その知能や知性はAIなどデバイスで保存、継続される。
ここで重要になるのは、「外部化できないものは何か」ってこと。それこそまさに「身体」ではないかと。命そのものは代替、外部化できると言っても、個人にとっての「身体」そのものは、別の何かに代替した瞬間、その人の身体ではなくなる。
身体とは何か。それは「今」の貯蔵庫である。身体性をAIなり情報なりに外部化したとしても、外部化した瞬間に「今」から切り離される。切り離せない「今」こそが、外部化不可能な、万人のリソースじゃないかと考えてて、そのあり方がまさに「しゃぶり尽くす」ってことでよろしいでしょうか?
さて、「老害ジャズおじさん」って概念がXで流れてきた。50代といえば自分の世代だけど、ここで描れているのは50代の僕が30年前に見た50代のジャズおじの姿だ。僕に関して言うと、カインドオブブルーも至上の愛も聴かない。もちろん昔のレコードは聴くけど、最近のも聴くし、好きな時代あれ、スイングだってフリーだって良い音楽であればいい。


























