ちょっと昔の話から成功法則 2005.9.26

 今日は午前中、「禁断の館」に行ってきました。気になるでしょう。でも、これだけは言えません。口が裂けてもです。メールで問い合わせてきても、お答えできません。こんな出し渋りをすると、また反感買って読者の数を減らすんでしょね。なら、書くな、と仰るかもしれませんが、「禁断の館」に行ったのは今日のビッグイベントなので、書かないわけにはいかないのです。でも、ここまで言って、結局言わずじまいになると、生霊を派遣されそうなのでヒントだけ差し上げますね。

 「3ヶ月」
 
 これがヒントです。分かる人には簡単すぎるヒントですよね。答えを聞くとあまりにもしょうもない場所です。ちょっと反則行為なんですけど。。。ん?でもないか。。。

 ところで、昨日は例の「すごいDVD」を見たせいか、本来寝不足のはずが、朝からいきなりハイテンションでした。おそらく「脳の配線」が少し変わったと思います。「教育」と言うのはすごいパワーですよね。変な薬を飲むよりはずっと効き目があります。

 今日は2名の方とお会いしてきました。近頃は会うだけで確実に何がしかのインパクトを残せるまでにはなったと思います。悪い意味ではなくです。おそらく今の私と2時間なら2時間、きっちりお話をすると、忘れられることはほぼない自信があります。私のスタンスは、とにかくお会いした人が喜ぶような「情報」を与えるだけ与えつくす、つまり「give&give」の精神に徹することです。ただ私の場合、あらかじめ「今日はこの話をしよう」と準備をしてのぞむことはまずありません。話の展開の中でお神様(守護霊様)が、「よし、ここでこの話を出せ」と指令が来るので、その通りに従うだけです。

 思えば私は昔から人と話をするのが好きでした。人前で話をするのも好きでした。高校一年生の時の事です。私は寮生活をしており、最初の一学期間というのは学校や寮生活に慣れるという意味でいろいろと理不尽なことをさせられました。代表的なのが「団体行動訓練」です。毎週、木曜と日曜は囚人服を着て、軍隊の真似事をさせられるのです。号令や動作が揃わなかったりすると、これまた理不尽な上級生から「お前ら、あの電柱まで走ってこ~い!ダッシュじゃ!」と命令されます。同級生の中には何人かどんくさいのがいて、すぐにずれたりするので、連帯責任で理不尽に走らされながら、「あいつ、絶対、部屋帰ったらしばいたんねん」とか愚痴をこぼします。でも実際にしばくことはないのですけど。そうやって愚痴をこぼせる自分が「かっこいい」だけです。

 話がずれましたが、理不尽なことの一つに「演壇発表」と言うのがありました。ほぼ毎日、誰かかがみんなの前で話をするのです。一学期間に一度は必ずやらされますので、苦手な人には苦痛だと思います。何を隠そう、私は中学の時は人前に出るのが苦手でした。中2の時などは、担任の先生から「オマエは自己表現が苦手だ」などと変にレッテルを貼られ、クラスのみんなから無理やり文化祭でのカラオケの代表にさせられました。男2人、女2人で松田聖子を歌うのですが、私は無論歌など知るはずないし、人前に出るのが恥ずかしいしで、ものすごく抵抗しました。でも、何の練習もせずに文化祭のステージがやってきて我々の出番になります。なんと女子がいません。私ともう一人の男だけです。そこで相棒の男と仲のよい先輩がいいます。「○○(←相棒)、オマエ一人で歌えや」、と。その言葉を聞いて、私は変に「助けられた」と思い、その場からすたすたと立ち去ったのです。ステージに残された相棒の男が真っ赤な顔をして一人で松田聖子を歌っていました。私はそれを遠くから眺めるだけでした。クラスに戻ると、、、みんなからボロクソに言われました。担任からは無視されました。その日の文化祭はとても悲しかったです。

 翌年もその文化祭がやってきました。クラスからは「オマエは前科がある」と言われ、私一人にカラオケを押し付けるのです。当然、私は抵抗したのですが、クラスの何人かが私を取り囲み「前科がある、前科がある」と凄むのです。ちょっとイジメっぽい雰囲気です(後にも先にもイジメられっぽくなったのはこの時だけですが)。その時、、、女子が私を救ってくれたのです。「去年、石田君を無理やり推薦したのは女子の責任だから私たちが歌います」、と。

 ここでも私は助けられました。私が「女子」が好きなのはこのエピソードがあるからです(というわけではありませんが)。どうも話がそれがちですね。。。そんなシャイボーイだった私が何故に人前で話をするのが好きになったのか。。。それは高校一年時の理不尽な「演壇発表」によります。私の出番が周ってきました。何の話をしたのか忘れましたが、ものすごく「ウケタ」のを覚えています。おそらく「話し方」が面白かっただけなのでしょうが、私は内容がウケタと勘違いして、ちょっと快感を覚えてしまったのです。演壇発表は基本的に順番ですが、意欲のある人間は毎日でも積極的に前に出てもいいのです。私は今お医者さんになった「シンドウ君」と競うように一定期間毎日、演壇発表をしました。するとやはりウケルのです。別に面白いことを言ってるわけではないのに、ウケルのです。でも決して嘲笑ではなく、「明日も面白い話頼むよ」とまで言われるようになりました。今考えると、シュール系を先取りしていたのかもしれません。一方のシンドウ君は、、、全然面白くありませんでした。。。ちょっと気の毒になったので、私も演壇発表を辞めたのですが、私の中では明らかに「自信」の二文字が生まれたのです。

 その後は、何かあるごとに人前に出て話をするようになったのですが、いつの間にか「場慣れ」までしてしまいました。中2の時のシャイボーイ時代とはまるで別人です。「自信」をつける、「自信」を与える体験と言うのはとても重要なものです。「自信」を「成功」に代えると、そのまま「成功法則」にもなってしまいます。

 もう一つエピソードがあります。私は高校三年生の頃、吹奏楽部の部長でした。最後の夏のコンクールでは、いきさつは忘れましたが、部員がそれぞれ日誌のようなものを提出して、部長である私と顧問の先生がコメントを書くということをしていました。するとなぜか、、、私のコメントがウケルのです。汚い字なんですが。面白いことを意識して書いていたわけではないのですが、なぜかウケルのです。おそらく、私は日誌を書いた人の「わき腹」を見てコメントを書いていたのかもしれません。なので書かれた本人は意外だけどわかる、という妙な感覚を覚えてウケタのかもしれません。ここでも、私は、ちょっとした文章を書くとウケルという「自信」を得たと思います。

 これらは15年も前のエピソードですが、今に通じる重要な教訓が見出されます。なぜ自己表現の下手なシャイボーイが、いつの間にかウケル人間へと成長できたのか。それは、些細なことであっても「自信」つまり「成功」の体験をさせられたからだと思います。つまるところ、「教育」の意義、すなわち人を育てるにおいて最も重要な点は「小さな成功体験」をさせることにあるのではないかと思います。

 しかし、未だに学校教育は「人をへこます」ことに重きが置かれている気がしてなりません。最近では少なくなったかもしれませんが、テストの点が悪い生徒を人前で叱責したり、嫌いな給食を食べられない児童を昼休み返上で無理に食べさせたり。確かにそれも教育の一環なんでしょうが、一方の「小さな成功体験」が明らかに欠落しているように感じられます。かと思うと、テストの点をつけず「よく頑張りました」で済ませたり、徒競争ではみんなで一列に並んでゴールさせたりします。これはこれで、勉強が得意な生徒、運動が得意な生徒から「小さな成功体験」を奪っていることになります。

 これは社会人になっても続きます。私がまともに会社に所属したのは一社だけですが、ここは「人をへこます」ことにとことん重きが置かれていました。と言うか、特定の上司だけなんですが。「俺を客と思って営業してみろ」→「あの~、、、」→「それじゃあダメだ!」。。。一体何がやりたかったのか未だに分かりません。企画書コンペで当選しても、「当選はオマエの力でなく会社や所長の名前があったからなんだぞ」、と。そんなことは分かっています。でも、それじゃあ部下が育つはずはなく、部下が残るはずもありません。

 正直言って、今の私が前の会社に戻って営業マンになると、誰にも負けない自信があります。少なくとも前の上司などは赤子の手をひねるようなものです。私はフリーになってどぶ板営業もしました。奥様方相手にプレゼンすることもありました。毎日のように切った張ったの交渉ごともやっています。中にはこれまで会ったことないような、すごい人間と一対一で交渉しあうこともあります。そこでは見たこともないクロージングテクニックをみなまで体験することも出来ます。詐欺師一歩手前の人間とも会いました。それに見事に引っかかった人間とも会いました。今日は2名と会いました。明日も2名と会います。明後日昼は一名と会い、夜は複数名と会います。その次の日も2名と会います。全て初対面で私一人で会います。

 どうも今日は話がそれがちですよね。。。そんな中、私は日々、わずかながらも「小さな成功体験」を積み重ねています。それは、会った人との実りあるコミュニケーションだったり、よき情報交換であったり、ある種の気づきであったり、、、そして成約であったり。そしてそれが「自信」と「成長」をもたらしてくれるのです。すなわち「成功法則」を日々実践しているのです。

 今日はあれこれ話が飛びながら、何の話をしているのか分からなくなってきていますが、人の教育する上で最も重要な要素とは「小さな成功体験」をさせることに尽きるのです。私が今取り組んでいる「前津江村の里親プログラム」では、都会で不登校になった生徒・児童を田舎の一般家庭が預かり、そこから村の小学校に通うようにします。不登校の生徒・児童は元の学校でなんらかの「自信喪失」を経験しており、それがイジメ、不登校、引きこもりなどの状態を引き起こしています。そのような児童・生徒に本来の子どもらしさと生きる力を取り戻すためには、違った環境で「小さな成功体験」をさせることが大切だと思っています。そしてそれは子どもの教育のみならず、大人の教育においても重要だと考えられます。

 ・・・・・・・う~ん、今日の日記は最初、書こうと思ったことから随分かけ離れてしまいました。本当は今日はネタなしのおふざけで済まそうと思っていたのに、随分と大きな話になってしまいました。今読み返すと、とても私が書いた文章には思えません。おそらく文殊菩薩様(←久々に出た!)に書かせられているのでしょう。それを証拠にとてもいいことを書いています(笑)。そろそろ寝ます。おやすみなさい。

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by katamich | 2005-09-26 00:36 | ■人生哲学 | Comments(0)