絶対に目に見えない力に動かされている 2005.9.20
2005年 09月 20日
著者である高橋英郎氏はフランス文学者であり、モーツァルトの研究者でもあります。彼は青年時代、当時は不治の病と呼ばれ、実の姉を亡くした同じ病気に苦しんでおり、入退院を繰り返していました。大学を休学し自宅療養しているある日の午後のことでした。いつものように、大好きなモーツァルトを聴いて夢想にふけっていたのですが、気がつくと、そこでかかっていた曲は絶筆となった「レクイエム二短調K626(死者のための鎮魂ミサ曲)」でした。この曲はモーツァルトの最晩年の冬、ある貴族から依頼されて作曲に取り掛かったのですが、全てを書き上げることなく、死に絶えた、まさしく「白鳥の歌」となる曲です。中ほどの「ラクリモーサ(涙の日)」の数小節後にモーツァルトは筆を絶え、絶筆なったのです。その残りは弟子であるジュースマイヤーが補筆しました。
高橋氏はまどろみの中でこの曲を聴いていると、まもなく「ラクリモーサ」が始まります。すすり泣くような弦の前奏の後、厳かに合唱が入り、「罪ゆえに裁きを受けんとて」と半音階をずり上げるようにクライマックスに達した瞬間、、、なんとレコードがいきなり止まったのです。壁にかけていた額縁が何の前触れもなくレコードの上に落ちてきたのです。高橋氏はもう一度、「ラクリモーサ」からかけなおすのですが、音楽が止まった箇所から針飛びして、それ以上先には行かなくなったのです。そうです。その箇所こそ、モーツァルトが筆を絶った瞬間でした。
高橋氏はこう著述しています。
「三十年近く壁にかかって何事もなかった絵が、地震でもないのに選りによってモーツァルトの『レクイエム』の上に落ちてくる確率だけでも稀だろうに、モーツァルトが音楽に決別したあの決定的な瞬間に落下するとはいかなる偶然によるものか。私はしばらくはただ茫然とその場に座り込んでいた。こういう偶然もときには起こり得るのだと私は必死に自分に言い聞かせながらも、このレコードを通じてモーツァルトと私との間に、何か目に見えない強い絆が結ばれたことを信じないではいられなかった。夏の日はすでに暮れ落ち、辺りを夕闇がつつみはじめていた。」
言うまでもありませんが、この世に「偶然」なんてもは何一つありません。高橋氏のこの体験は「まだ死ぬべきではない」と目に見ない何かからのメッセージに違いありません。私は高校の時、この文章を読んで、我々人間を超越した目に見えない存在があるのだと確信していました。私がスピリチュアルに目覚めて、まだ一年と半年ですが、実は当時からそのような「存在」を意識していたのだと思います。
この高橋氏のような劇的な体験は誰にでもあるわけではないにせよ、少なからず誰もが心当たりある経験だと思います。あの時、あのタイミングで、ああならなかったら今の自分はない、、、なんて経験は誰にでもあるのでしょう。
私なども最近のことで言えば、インドに着いた初日に殴られ所持金を取られ、そのまま飛行機でラダック地方に行った時、なんとカードの中に5000円分だけ残っており、一週間のギリギリの滞在を可能にした、なんて事実は意図して私が仕組んだわけでは決してありません。
私の滝の導師なども、修行中のある時、現金がどうしても必要となったらしいのですが、手元にはなく、イライラしてても仕方ないので部屋を片付け始めたとたんに300万円の預金通帳が出てきた、なんて嘘のような話があるのです。
またある知人は、父親が失業して生活がピンチになったと思いきや、突然、携帯の競馬で80万円が当たってしまい、何とかやりくりが出来ているそうです。そして、そろそろ生活が、、、と思い始めた途端に父親の仕事も見つかろうとしています。
私の現実の話としては、フリーランスになった今、安定した収入が途絶えているにも関わらず、なぜか劇的なタイミングで収入が入ってきて、安定とは言えないまでも生活が出来ています。おそらく今月からは収入がどんどん上向いていくと思います(現に今がそう)。
こんな話は私を含めて、周りの友人などの間で頻繁に耳にします。一体何の力が働いているのでしょうか。人は神と言ったり、仏と言ったり、守護霊と言ったり、運と言ったり、または、宇宙と言ったりします。その目に見えない存在への認識の仕方は人それぞれだと思いますが、確実に、我々人間の存在を超越した存在があるのです。私は最近、特にその存在を身近に感じるようになっています。
正直、バタバタしても仕方ないのでしょう。なるようになるのですから。任せてしまえばいいのでしょう。でもそれは何もしないことではありませんよね。常に感謝の念を忘れずに、今すべきと思ったことに一生懸命になればいいのでしょう。とにかく全ては必然、ベストで動いているのですから。無駄なことなど一つもありません。
私が今、こんな文章を書いているのにも意味があります。皆様がこれを読んでいるのにも意味があります。どんな些細なことにも意味があります。全てにおいて感謝し、目に見えない存在を意識しながら生活していると、怖いものなどないはずです。これから先、私を含めて、周辺にも劇的な変化、体験が起こってくると心を震わしている自分がここにいます。
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