万博で思い出の上書きか 2025.7.22

今日は万博。また思い出話が続くかも。今回の大阪は昨日のコンサートがまずfixされ、せっかくなので万博へ、仕事もしたいので19日、20日を入れ込んだ。実家に帰って母校にも顔を出したいってことで、車で帰ることに。

そもそも万博ってなんだ? 一言で言うと「『世界のお祭り』で、各国が自慢の文化や技術を見せ合い、未来を考える場」とのこと。国内博としてはフランス革命時のパリ、国際博では19世紀にロンドンで初めて開催された。

規模としては5〜6年に1回の大規模な「登録博」、その間にちょくちょくやってる比較的小規模の「認定博」がある。登録博として、日本では1970年に大阪、2005年に愛知、そして今回となる。ちなみに次回は2030年、サウジアラビアのリヤドで。その頃、世界はどうなってるか。行ってみたい。

そして自分史的に万博に行ったのは、1985年のつくば博、1990年の大阪花博のみだったと思う。1970年の大阪博の跡地のエキスポランドには何度か行った記憶あり。しかしいずれも「学校」から行ったもので、85年のつくば博では寮生に混じって夜行バスで行った。記憶に残っているエピソードとしては、

・寮生でなかった僕らは、それぞれ寮の部屋に割り振られた。比較的優しい先輩たちだったが、それでも、同級生の◯田くんがちょっと反抗的な態度を取ったことで中3の先輩からガチでしばかれてるのを見て、寮は怖いと思った。

・「テーマ館」ってのに入ると、いきなり男女の裸の写真が大きく展示されていて、中学生だった僕らは大喜びで、特に◯井くんが何度もテーマ館に行こうとしていた。

・一律1万円くらいの小遣いを支給されたのだが、家が金持ちの◯上くんはなぜか高いモデルガンを万博で買ってて、アホだと思った。

・自分のために丸っこいキャラクターのぬいぐるみを買った。コップをおばあちゃんへのお土産に買って帰ったら喜んでくれて、お小遣いをもらった。
くらいじゃないか!

まったく重要でないことしか覚えてなくて、でもまあ、こんなもんだろう。さらに1990年の花博は高3で先輩もおらず、それ自体は気楽で楽しかったのだが、夏休みが腹立たしかった。

花博デートがブームになっていたのだ!幼馴染の藤原俊哉くんまで、好きな女の子を誘ってデートしたものの、告白してしまい振られたなんて思い出があるだけでも羨ましい!それ以外にもちらほら花博デートしてた同級生の話を聞き、卒業生の先輩と行った女子もいた!

今思うとだけど、あの時、誰かを誘えば行けたかもしれない。しかし当時は「誰かを」って発想もなく、そもそも「誘う」なんて人生の一大事だったんだ。へたれでブームに乗れなかった!

ってことで、今日はそれ以来の万博となり、なんとも35年ぶりだった!行こうと思った大きな動機として、高校で同じクラスだった阿部くんがカナダ館で勤務していたこと。

阿部くんは当時、仲が良かったと思う。その前に、彼は小学校の転校生として5年くらいからやってきた。リコーダーが好きで、僕とは気が合い、リコーダークラブを作ろうと音楽の先生に言いに行った。すると、単独では作れないので、音楽の先生が顧問をしていた放送部でやることに。

しかし僕は放送するのが嫌でたまらなかった。声変わりが始まったのもあり、放送すると笑われるのだ。なので、僕はとことん逃げ回っていた。が、リコーダーは好きだったので、クラブは楽しみだったし、無駄に昼食時の放送部室に行くのも、喋らないまでも好きだった。

阿部くんとは中学になると吹奏楽部に入ろうと話していたのが、彼は突然の転向。しかし高校で再びやってきて、いきなり肩を叩いてきたのを覚えている。向こうの学校で吹奏楽部には入っていたそうだが、彼は高校ではESSに入った。英語が好きだったからだ。

ご縁とはあるもんで、今日ご一緒した絵美さん(梶原さん、まるいひと株式会社社員・一般社団法人しんカード協会理事)も中学は吹奏楽部だったが、高校はESSに入ってしまった。

梶原さんは英語を頑張り、英検2級を最初にクリアしたし、いち早く外大の推薦も決まっていた。印象に残っているのが、阿部くんと梶原さんは英語弁論大会に出場し、本番前にクラスで披露した。二人ともすごくて、確か入賞とかしてたんじゃないかな。

そんな感じで、僕も梶原さんも、阿部くんとは縁が深くて、これは会いに行くしかないと思ったわけ。阿部くんは日本の大学を卒業し、カナダに行った。もう一つ思い出した。

僕は大学を卒業し、教授に勧められるがままに大学院を受け、入学式の日に休学届を出して世界一周放浪に出たのだが、旅立ち前、10日ほど暇があった。
その時、たまたま阿部くんと何かで会い、1こ上の先輩の会社でバイトをすることになったんだ。ごみ収集の仕事で、午前は先輩が運転する収集車の横を走りながら、ひたすらごみを放り込む。午後はひたすら黙々とごみの仕分けをする。

その先輩(ひでよしと呼ばれていた)がまた「楠寮(中学男子寮)」の権現のような人で、僕らには優しかったが、従業員には理不尽で、何度もヒヤヒヤしたものだ。

ちょうど10日間、10万円ほどバイト代をもらい、旅の資金にすごく助かった。仕事は若いからこそできたけど、まあ、過酷だったな。阿部くんとは仕事終わりにサウナに行き、ビールを飲み、将来のことを話した気がする。俺は無目的の放浪、彼は勉強だか仕事だかでカナダへ。

あれから30年。僕はまあ、こんな感じ。阿部くんはカナダ政府の仕事で、今回は万博担当で来日。こうやって再会。感慨深いにもほどがある!
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そんで、肝心の万博だけど、これはもう300%満喫!行ったパビリオンとしては、カナダ館、インドネシア館、インド館、フランス館、ガンダム館と、あとなんだっけ。いろんな国が集合しているコモンズがまた楽しく興奮した!涼しくてすぐ入れるし。自分が行ったとこを訪れるのも楽しい。東ティモールには、国の方もいらして、僕が行った写真を見せると喜んでくれた。
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今日は猛烈に暑い日ではあったけど、雨よりマシだし、何より会場を囲む木製のリングがありがたい。ふっとまた思い出した。8月1日は地元で大きな花火大会があったのだが、その会場でのテントだとか、物産展だとか、なんかデジャヴがあってまた感慨深く。あの花火、もう2度と復活しないのかな。
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そしてもう一つ重要なイベント。それがランチ。せっかくなので珍しいものを食べたく、アフリカ料理に向かった。30分ほど待ったけど想定内。僕はクスクス、他のメンバーはシチューみたいなの、サンドイッチみたいなの。
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僕がここでクスクスを食べるのは意味がある。今年3月、モロッコに行ったのだけど、もうね、モロッコ料理がとことん合わないわけだよ。2回目からギブアップで、最後の方はクッキーとヨーグルト、フルーツくらいしか入らない。

あれは「モロッコ料理が悪いのか」「俺のコンディションが悪いのか」ってことで、確かめたくてね。もしここで美味かったら、俺のコンディションの問題で俺の負け。やっぱり合わなかったらモロッコ料理の負け。

一口目、美味い。これはヤバい。しかし3口ほどで普通に飽きてしまい、終盤は無理やり口に入れ、ドリンクで流し込むモードに。なんでも食べる僕には珍しいのだけど、やっぱりモロッコ料理が合わないってことで、僕の勝ち!しっかり落とし前をつけることができました!
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ガンダム館の宇宙エレベーター。実現化に向かっている。
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いかにガンダムオタクみたいな兄さんたちが写真を撮っていた。
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サントメプリンシペのブース。この国に行く日本人は超絶レアだ。
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フランス館のルイヴィトン。
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願いが叶う木。ここはマストだ。
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万博のオペレーションが素晴らしい。事前の手続きはいろいろあるけど、車での移動も含め、思った以上にスムーズだった。
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その後は尼崎のお店。楽しいね。
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美味しゅうございました。
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静かにも刺激を受けた。やるぞって感じに。僕の野望。ジャズ会社を年商2億にする。日本一のジャズレーベルにする。100万部の本を書き、それで自己啓発はやり切ることに。これから面白いことがたくさんやってくる。ありがとうございました。


by katamich | 2025-07-22 23:39 | ■人生哲学 | Comments(0)