最近妙に「死」について考える。別に不吉な意味じゃないですよ。単純に「あっちの世界」に興味を持つという、哲学的な意味合いにおいて。そんなこと考えてると、ちょうど同じく「死」について研究している先輩と連絡がとれ、今月どこかでお会いすることになった。テーマは死と祈り。もともと生物学が専門で、故・村上和雄博士の元で博士号を取られたとかで、内容的にも実に興味深い。
昨年くらいから知人の死が相次いでおり、その都度後悔する自分がいる。2021年に1つ上の先輩の奥正さんが亡くなったとき、飲みに行こうとずっと言ってたのに叶わぬこととなった。昨年同級生の中村靖日くんが亡くなったときも、どこかの現場で、できれば映画関係で再会したかったのに。
そして昨年末、サックス奏者の鈴木ひさつぐさんがお亡くなりになり、レコーディングの話もしていたのにと本当に悔やまれた。同い年同じ名前同じ大阪出身その他にも共通点があり、今後末長く仕事やお付き合いができると楽しみにしていた矢先。
Qさん最近、急ぎすぎみたいに言われなくもない。別に急いでないですが「次」って言葉がだんだんと意味をなさなくなってる実感があり。なのでジャズであれば、思いついたところからレコーディングすることにしている。今年はすでに5枚分は決定してるけど、なんならあと5枚はやっていいと思ってる。
やりたいことをすべてやるには人生は短すぎる。ただその前に「身体」って乗り物を大切にする必要がある。そこにきて最近「4毒」なる概念を知り、正直、あまりのアホらしさに辟易した。
先ほどなつみさんと電話してた。「ああ、こんな食べたら太っちゃう」とアファメーションしてから食べる人は間違いなく太ってる。そんなん何食べても美しいし、健康やし、楽しいねんと言って食べたらそうなる、みたいな話でまさに我が意を得たり。
自分で毒言って食べないのは自由ですが、人が食べてるのに「毒食ってる」みたいな呪詛、普通に気持ち悪いでしょ。別に青酸カリ食べるわけじゃなし、1万年以上前から世界中で食べてきた小麦、確かに食べ過ぎはあかんけど、普通に「美味しい、幸せ」と言って食べるのは何が毒やんって。
2回ほど動画で取り上げたら「吉野氏と対談しろ」ってコメントがいくつかついたので、僕はもちろん大丈夫です。ただ別に積極的に対談したいわけじゃないし、落とし所もわからないけど、言い出しっぺの方にすべてお任せいたします。
て言うか、限られた命をいただいてるのに、神様からのギフトを毒扱いするコミュニティ、暗いよ。対談しろと言うならしますけど(もちろん吉野氏がOKするなら)、〜は毒みたいな話する世界とはきちんとこれで線引きしたいとも思うわけで。楽しくいきたいね。
今日は久々に洗車した。その直後、雨が降ってきた。セラビ。
夕方、歩いてスタバに行き、抹茶あんバターパンを食べた。うまい!(うしくん風に)
まあ、毒の話は肉体レベルなのでグラウンディングにためには必要悪と解釈しとこうかな。この地球、まだまだ楽しみます。旅も音楽も食も素晴らしい。生きてるだけで幸せなんです。おっと、こんなコメントが。
所詮はこの程度。覚悟の質が違う。浅い。でもまあ、これが普通の反応かもしれませんね。明日も楽しもう。ありがとうございました。【受付中の講演・セミナー】
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