お釈迦様の表情が変わった! 2005.8.17
2005年 08月 17日
昼からは導師とゆっくり話をしました。導師が昨日のブログを見てくれていて、突然、「お釈迦様の顔が変わって柔和になったね」と言ってきました。私は毎日見ているので、その変化には気づきませんでしたが、昨日も書いたように「俺のところのお釈迦様は優しいな~」と近頃思っていたところです。
導師が言うには「俺のところにいた時はもっと表情が厳しかったぞ」、と。そこで前にとった写真と見比べてみると、確かに変わっています。全体的にふっくらした感じで、口元がにっこりしています。
(ビフォー)

(アフター)

アフターの写真は先ほど撮ったものです。昨日の写真は暗闇でフラッシュをたかずに撮ったものでしたので。導師が言うには、拝んでいる人によって顔の表情は変わるのだそうです。導師が見た例では、色が変わるなどは日常で、ひどいのになると、顔の判別がつかないほど顔が歪んだこともあるそうです。これなどは悪い例ですが、私の場合は、柔和な顔になったのでよいことだそうです。お釈迦様のいらっしゃる四畳半の部屋は以前は物置のようになったいたのですが、今は比較的きれいにしています。そしてツレも気にするほどに大事に扱っていますので、その辺の心が多少は通じたかな、というところです。
ところで、突然の話ですが、8月20日から「21日滝行」を始めることになりました。今年の2月に行って以来2回目です。今回の「行」も私からやりたいと言いました。実はインドから帰ってもうすぐ3ヶ月なんですが、近頃、どうも生活がマンネリ化してきたように思うのです。特に「水上バス」が終わって、お盆にかけてがマンネリのピークでした。寝るのも遅く、起きるのも遅くなりがちで自己管理が崩れてきたのも事実です。
ここらで再び初心に帰りたいと思い、行を考え、導師にも相談してみました。すると、「行は行だ」と言うことで、「21日行」のお許しが出ました。でも、そこで言われました。
「人間としてのステージは上がっているのだけど、『滝』に関しては一年前と変わっていない」、と。実はこれこそがマンネリの原因だと思うこともあります。一年前に始めた頃は、毎回毎回の滝行が新鮮で、行くたびに何らかの「気づき」があったのが、最近は単に流しているだけのような「滝」になっていました。滝の中で唱えるお経や真言も変わらずで、少なくとも2月からは何の進歩もないように思っていました。
そこで、今回は生活のマンネリ打破や生活の安定などいろいろあるのですが、それはそれとして、「滝の向上」を第一の目標として「行」を行いたいと思います。そのため今回のメニューとしては「般若心経21巻、釈迦如来真言21巻、文殊菩薩真言21巻」に限定して行うつもりです。実は般若心経21巻というのはとても大変です。いつもは3巻、多くても7巻しかやったことがありません。心経21巻というのは時間にして30~40分はかかります。真言21巻ずつはそれほど時間がかからないにせよ、つまりは「滝の中で40分間」となるのです。確かにこれは未知の世界です。これを21日間やり遂げたところで、どう変わるのか、そもそもどう変わりたいのかは分かりません。が、とにかく「行う」ことだけを毎日の目標にして、再び頑張って行きたいと思います。
「行」に入ると、当然、「肉・酒・女断ち」となります。残暑を冷たいビールで爽やかに流そうという楽しみもあったのですが、とりあえず、8月20日から9月10日までは、お付き合いすることがで出来ませんので、どうぞよろしくお願いいたします。
「21日滝行」については、また、随時報告していきたいと思います。(再びオカルトサイトになるかも)
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