泣き虫でいこうや 2021.12.2

アパホテルは会員になってエポスカードで決済するとチェックアウトが1時間延長、12時になる。なので12時までしっかり部屋にいて、広島駅から新幹線に乗りました。なんだろうな、いろいろ感無量だし、人生は最高かよって思った。

なんかさ、泣けるっていいよね。「泣ける」と言えば、オレにとって思い出深いのが高校の卒業式。なんか知らんけど、いろいろ泣けたし、今も夢に出てくることがある。

ここ最近、高校時代の同級生と連絡を取ることがよくある。正確には幼稚園から一緒なんだけど、当時はほとんどしゃべったことがない女子だ。ここ数年でたまたま共通の知人、界隈を通して顔を合わせることが多くなっていた。自宅の押し入れから昔をアルバムを何年かぶりに見てみて、いくつかスマホに写した。これは高1のクラス写真かな。
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オレはどこかと言うと、中段の左から6番目だ。隣の奴の肩に手を置いているお調子者かよ。中学の時はいろいろ辛いこともあったけど、高校は楽しかった。人生で戻りたい瞬間があるとすれば、高3とか最高だったかな。寮生活も楽しかったし、いろいろ青春のページがあった。そしてオレにとって、この高校を卒業するってことは、幼稚園からずっと一貫だった「学園」を去ることを意味する。当時は短大もあったけど、男子は関係ない。今はその短大もない。卒業し、オレは浪人した。

でも振り返ってみると、オレの人生は悪くない。いや、むしろめちゃくちゃいいと思う。2年も浪人したけど、その間、哲学などいろいろ勉強できた。大学は滑り止めの福岡の公立だったけど、地域に溶け込み、楽しい思い出しかない。音楽につかっていた。卒業してバックパッカーで世界一周。24歳。ネットのない最後の旅人と言えるだろう。帰国後は2年間、大学院。終了後、他大学の院に進むも、3か月で挫折。一瞬、ニート状態となるも、塾講師のバイトがかなりハマっていた。国語の先生だけど、雑談ばかりしていた。生徒は楽しんでいた、と思う。

会社員は4年間。これまたキツイことも多かったけど、やりがいはあった。泣いたこともあった。2005年、32歳で退職し独立。あれからなんと16年も経過しているじゃないか。人生のちょうど3分の1だ。ちなみにその前の3分の1は16歳~31歳で、その間は高校、浪人、大学、大学院、ニート、会社員とたくさん経験している。それと同じ年月を独立して生活しているのだから、まあ、我ながら大したもんだ。そして今は楽しいしかない。

そしてこれからさらに16年たつと、オレは64歳とかになっている。うん、思ったより若いと思う。自転車にも普通に乗っているだろう。博士号は取っていたいな。人生はきっと折り返し地点。これからまだまだやりたいことがある。世界一周ももう一回以上はしたいし、自転車のトークライブも80歳くらいまでは続けたい。勉強もたくさんしたい。ワインも楽しみたい。この地球はワンダーランドだ!

そしてこの地球を楽しむコツは、感動すること以外にない。感動のない人生なんて意味がない。ほんと、意味がない。永ちゃんのコンサート、感動した。旅だって感動するし、いろんな人との出会いも感動する。もちろん本でも感動する。感動するとき、涙が出てくる。同時に感謝の気持ちがわいて出てくる。そうなんだ、オレは泣き虫なんだ。


動画でも思わず泣いちまっている。6月にmRNAワクチンを打った時も泣いた。それは痛いからじゃなくて、人類の叡智に感動して泣いたのだ。そうそう、オレには「音楽」もある。レコードをクリエイトする立場でもある。今月のQAZZ第6弾のレコーディングもきっと感動するだろう。泣くだろう。

中学の時、森寮長先生が言っていた。男は人生で泣いていい場面が2回だけある。一つは親が死んだ時、もう一つは感動した時だ。それ以外、悔しいとか痛いとか思い通りにならないとか、そんなことで泣いちゃダメだ、男は、と言われた。男と女とか関係ないかもだけど、やっぱ関係あると思う。あえて「男」として、人生で2回(2種類)でしか泣いちゃダメ。親が死んだ時は思いっきり泣け。でも、それは自然の摂理として、逆じゃなければ祝福の涙でもある。その場面は人生でだいたい2回あって、オレはまだその2回に直面していない。けど、20歳の時、おばあちゃんが死んだ時は泣いた。森先生、それくらいは許してくれるかな。多分ケツは叩かれると思うけど、まあ、そんなに軽蔑はされないだろう。

ちなみにその森先生、生涯で出会った中で最も素晴らしい先生の一人であることは、他の生徒でもきっと少なくないと思う。卒業してから割とたってから、なんとなく悪気もなく、森先生のことを「あのハゲが」みたいな感じで弟に言ったことがある。すると普段はめちゃくちゃ大人しい弟が、般若の形相で「森先生のことを悪く言うな」と言ってきた。オレは「お、おう」としか言い返せない。

弟が中学1年の時、学校にも寮にも馴染めず、思いつめたことがあったそうだ。元来気の弱い弟だけに、軽いイジメのようなことも受けていたと聞く。その時、森先生に「解説」を受け、そこで目が覚めたと。それ以来、勉強ではずっと学年1位で、部活でもいい成績を上げたそうだ。そうなれた原点に森先生があると弟は言う。そんな恩人たる森先生に対して、「あのハゲが」と言った兄貴のオレのことを咄嗟に許せなかったのだろう。「お前の方が100倍ハゲとるやろ」とつっこむところとオレは思うのだけど、そんな面白さを弟に求めるのはオレが間違いなので、素直に悪かったと認めたい。

森先生が言う、もう一つの泣いていい時、それは感動だ。それならどうだ、オレは得意だ。と言うか、これから先の人生、感動を追い求めていきたい。「人生=感動」でいいじゃん。感動なら泣いていい。だったらオレは、これからももっともっと泣き虫でいたい。残りの人生、どれくらい泣けるだろうか。大人になればなるほど、森先生の言う「感動の涙」は多くなってはいると思う。2021年はもうすぐ終わるけど、あともう少し、涙を流したいな。そして来年もまた今年以上にたくさんの涙を流したいと思います。ありがとうございました。


by katamich | 2021-12-02 23:39 | ■人生哲学 | Comments(0)