思った以上に歴史的な地域なんだな 2021.1.12

今日も歩きの日でしてグーグルマップで最短距離を検索して歩きました。すると「山田」って地区に入り、そこが市内の割と名所であることを知りました。その一つが「裂田の溝」ってとこで、こんなエピソードが残っています。wikiより。

名前の由来については、『日本書紀』の記述によるとこの溝を掘っている時迩驚岡(とどろきのおか。現在の那珂川市安徳台)の辺りで大きな岩に突き当たり工事が一時中断した。そこで神功皇后が武内宿禰に命じて天神地祇を祀り祈りを捧げたところ雷が落ちて岩が裂けたため再び工事を行うことができた、との事から「裂田の溝」と呼ばれるようになったという。現在その場所には裂田神社という神社が祀られており、落雷によって裂けたという岩も現存する。

「日本書紀」にも出てくるんだ。僕が住んでいる「那珂川市」は意外と歴史的な名称が多く残っていて、たとえば息子が通っている小学校は「岩戸」って名前が入ります。幼稚園では「ヤマタノオロチ」をやっていたけど、那珂川の地名にある「安徳」は安徳天皇のこととして、安徳天皇はヤマタノオロチの生まれ変わり伝説もある。

僕の近所の「現人神社」は伊弉諾が黄泉の国から戻ってきて初めて禊をして出てきた「住吉三神」を祀る最古の神社。記述によると三韓征伐に向かった神功皇后を守ったのが住吉三神であり、実際、神功皇后はこの地域に深く名を刻んでいます。神功皇后の夫は仲哀天皇、その父は日本古代のヒーローの一人、ヤマトタケルはスサノオがヤマタノオロチを征伐したとき出てきた「草薙剣」を持っています。そんなこともあって、幼稚園ではヤマトタケルをやるのかもですが、そんな歴史的な流れは知られてないのかも。

ともあれ、神功皇后がこの地にいたことはしっかり記述さえており、那珂川から農業用水を引くための工事をする際、その無事を祈ったと言われる石碑がありました。長くここに住んでいますが、初めて知りました。
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そんなわけで、今日も歩いて滝に行きまして、その後は車で買い物、サウナ。そして動画を配信。



滝行は7日目となり3分の1が終わりました。今回、ほんと満行したらすごいことが起こりそうだ。ありがとうございました。


by katamich | 2021-01-12 23:39 | ■まちづくり | Comments(0)