「運命」を受け入れること 2005.6.23

 今日の仕事は「滝行」「散髪」「振込み」「サイト作成」の4つ。月末ってサラリーマン時代はとても楽しみでしたよね。預金通帳の数字が増えるので。でも今は、、、逆に支払い事(家賃など)を済ませなければならないので、あまり楽しくないですねえ(笑)。

 でもこれからは「給料もらって生活する側」から「給料払って生活する側」になるので、この辺の「慣れ」が早いとこ必要です。今は試練なんですね。ツイてる、ツイてる。

 散髪にも行きました。日に日にお坊さんに近づいている自分がいます(笑)。

 今の季節の滝行は本当に気持ちがいいです。今日は般若心経七巻にご真言もたっぷり唱えました。気持ちいい~。でも早いとこ雨降らんかな~。ちなみに今日の滝行では、ご本尊にお賽銭(1000円)と一緒に昨日できた名刺も入れちゃいました。御神さんはともかく、賽銭箱を開けたお寺の人は驚くだろうな~。そして毎日滝に打たれている「お坊さんのような正体不明の人間」の身元がわかってしまうのです(笑)。

 夜は久々に「テレビ」というものを見ました。最近は「あいのり」とニュースくらいしか見てないのですが、今日は思いついたら見る「奇跡体験!アンビリーバボー」を見ました。「ラジオとカレンダーとの絆」という話がとても感動的でした。あらすじはこんな感じです。

・夫婦に娘2人の家族
・母が医療事故で植物人間状態となるが、2年後に奇跡的に意識を取りどす
・しかし首から下は麻痺して、家族とは離れ離れで暮らしている
・ある日、地域の人気ラジオ番組に手紙を書く
・「娘から素敵なプレゼントをもらったから見に来てください」という内容
・その手紙を読んだラジオのパーソナリティは心打たれて、訪問の企画をする
・母とパーソナリティがであった病室には娘手作りのカレンダーが飾られてあり、家族の絆を感じる
・母は難しい手術に挑まなければならなくなり、パーソナリティはリスナーに向けて「祈り」を呼びかける
・リスナーの「祈り」が通じてか、手術は大成功
・現在、2人の娘は立派に成長し、今では孫が新しいカレンダーを作ってくれている
・最後のナレーションで母の「私は『運命』に従って生きているだけ」という言葉が流れる

 とても感動的なドキュメンタリーでした。とりわけ、最後の「『運命』に従って生きているだけ」という言葉にドキリとさせられました。この母は「運命」を意識しているのでしょうか。彼女は2年間の空白の後に意識を取り戻し、周囲から病院への訴訟を提案されたのですが、「誰も障害者にしたくてやったわけじゃない」とその提案を退けるのです。そして離れ離れでありながらも、強い絆で結ばれた家族に支えられ、今でも元気に娘や孫の成長を見守っているのです。

 私はこの母の行き方に妙に心奪われました。そして彼女は「幸せ」なんだと思いました。普通なら医療事故で障害者になったことで、恨みの一つ二つ言うことろ、不満も漏らさず、訴訟もせずひたすら「運命」に従って生きていくのです。やはり「幸せ」なんだと思います。

 世の中の大半の人は障害を受けずに健康に生きていると思います。しかし、その多くは、自分の置かれた境遇や、状態などに少なからず「不満」の思いを持っています。

 「障害を持ちながらも不満を思わずに感謝して生きている人」と「健康でありながらも不満気で感謝の心を持たない人」とどちらが幸せでしょうか。私は前者だと確信します。それは「運命」を受け入れているからです。私は近頃、「楽な生き方」への悟りが啓けそうになっています。「楽に生きる」には「運命を受け入れる」ことに他ならないと考えているのです。

 しかし多くの人は自分の「運命」をわかろうとせず、金がほしい、女がほしい、仕事がいやだ、苦しい思いをしたくない、何で自分だけこうなんだ、、、、など不満の思いに満たされています。ひと時、「感謝」などと言おうとも、そんなのはひとかけらの「不満」ですぐにかき消されてしまいます。「1対10000の法則」というのがあるのですが、これは「1の不満には10000の感謝」でないと太刀打ちできないという法則の如しです(数字はあやふやですが、とにかく不満のエネルギーの方が感謝のエネルギーよりもはるかに強いということ)。

 昨日、導師が興味深いことを言っていました。自分の境遇に不満を持っている人ほど、宗教や精神世界の類を怪しいと思ったり、素直でなくなったりするのだけど、それは不満を持っている人にとっては「神や仏などくそ食らえ」だからなんだそうです。つまり不満を持つ人にとって「神や仏」(強引に言い換えると「運命」のこと)は敵なんです。しかし、「滝」がそうであるように、自然界というのは誰一人に対して不平等に扱っていないはずなんです。バランスシートと同じで、ある部分(例えば金)が恵まれていても別の部分(例えば家族関係)では恵まれていないなんてことはよくある話です。金や家族、容姿、生まれなどと言った客観的属性は足し引きするとみんな同じなんだそうです。でも違うところは、その境遇に対して「感謝」するか「不満」に思うか、言い換えると「運命を受け入れている」か「運命を受け入れていない」か、それだけなんです。それだけで「幸せ」という個人でしか計れないバロメーターの針が変わるのです。

 番組の話に戻りますが、障害者になった母は複雑な因縁によってその運命が降りかかったのですが、それを「受け入れる」ことで、「真の幸せ」を授かったのではないでしょうか。

 ちなみに私の深読み解釈なんですが、事故後の「空白の2年間」はあちらの世界で「行」をしていたのだと思います。つまり前世からの因縁を打ち切るための。その行が完遂したことで、再び現世での意識を取り戻し、「幸せ」をプレゼントしてもらえたのだと。

 今の私。。。今日は預金通帳の残高の減り方に一瞬焦りました。しかし、これは「運命」なんです。2月に「行」を完遂したことで、前の会社を辞め、そしてインドで運命の啓示を受け。「預金通帳の残高」は今の私にとっての新しい修行なんでしょう。でもおかげさまで、金にはならずとも毎日、毎日、目まぐるしく動いており、日々、新たな人との出会いを経験しています。今の「預金通帳残高行」に感謝して取り組むことで、お金なんて後からついてくるんです。本当です。そうなったら、またこの場で公開します。8月から9月の予定です。お楽しみに。

 明日はミクシィ発、私が主催する「朝食会」が行われます。前回は5人だったのが、今回は8人です。また新しい人と出会うな~。楽しみ、楽しみ。ツイてる、ツイてる。ありがとうございます。

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(写真はジャイアン菩薩)
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by katamich | 2005-06-23 23:15 | ■人生哲学 | Comments(0)