【文殊菩薩】「どちらも脳」で人生は〇になる 2018.11.27
2018年 11月 28日
■12月30日(日)/東京/大浄化祭~空の儀~
さて、今日も滝に行きまして、明日で満行。ブルネイに行く代わりに年間100日を断念しかけた時期もありましたが、アクロバットなスケジュールでどうにか「両方」が達成できることに。
この「両方」ってとても大切ですよね。生きていると、「どっちか」って場面、多いと思います。今回は「ブルネイ vs 年間100日」でしたが、創意工夫で「どっちも」が成立。「自分 vs 家族」なんて場面もありますが、それも「どっちも」を考えるようにしています。こんなのをトレードオフって言いますが、こっちを立てればあっちが立たないって状態のこと。「ダイエット vs 食べる」もそうだし、「時間 vs お金」などもそう。
「生活 vs 自由」もわかりやすいと思いますが、たとえば会社勤めしていると「生活」は確保できる。だけど「自由」が犠牲になる。確かにそうかもだけど、会社にこだわりがなければ辞めて起業すればいい。実際、今の私は「生活」と「自由」を完全に両立していて、それはそうしたかったから。
幼少期、こんなことがあったのを覚えています。誰かからお土産で「おかき」のセットをもらって食べようとしていました。兄弟でわけるのですが、その時、普通、特大、海苔の三種類がありました。通常であれば「普通」ともう一つとなるのですが、私は「特大」と「海苔」が欲しくてたまらなかった。しかしここで「特大 vs 海苔」の二者択一を迫られたのです。ま、当然と言えば当然。
しかし私はどうしても「特大」と「海苔」の両方が欲しくて、最終的に泣いてまでゲットしました。その時、親父から呆れられたように怒られましたが、兄弟がそれでいいと言うので、そうなっただけ。そもそも兄弟はおかきがそんなに好きじゃなかったんでしょう。
その話、今も鮮明に覚えているのは、それだけ私の人格形成に影響した事件だったのかもしれません。つまり、欲しいものは手に入れていいって人格。まるでジャイアンのごとしですが、間違ったことは言ってないですよね。

いやいや、なに言ってんだ、単なるワガママじゃないか、と思う人もいるでしょう。確かにこのケースの「おかき」についてはそうかもしれない。この時はたまたま兄弟がおかきに興味がなかったから事なきを得ましたが、興味あったら喧嘩になっていたでしょうし、他のケースでは何度かありました。
ある日、一つだけ残っていたケロッグを私が食べているのを見た兄貴が、自分も食べたいと言ったけどなかった時、兄貴は泣いて怒りました。兄弟喧嘩は日常ではありましたが、私はどうにかしていつも「勝つ」ことを考えていたし、もっと言うと、どうすれば平和的にすべて解決するかを考えてたかもしれません。それは決して「我慢」を伴うものじゃなく、両方を手に入れるやり方を考える。
2005年に人生最大の葛藤があったのが、「会社を辞めれば自由だけど生活できない」ってこと。もちろんこれは単なる思い込みでして、「会社を辞めても生活できる、むしろもっと自由になる」って思い込みにチェンジしたら、現実はその通りになりました。
まさにビリーフチェンジでして、葛藤すれば、それを乗り越えればいいわけです。小池都知事で有名になった言葉に「アウフヘーベン」ってのがありますが、哲学の「弁証法」で「止揚」って意味。テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ。Aを取ったらBが犠牲、Bを取ったらAが犠牲、両方を満たすにはCにアウフヘーベンすればいい。そうやって価値、社会は進化していくわけだ。
たとえば「おかき」の例で「特大」か「海苔」かで葛藤したとき、どうすれば両方を満たすことができるのか。私が採用した戦略は「泣く」でしたが、他にも考えられます。別のを「買う」でもいいし、「特大」を選んだところで「普通」に海苔を巻いてもいい。別の機会で譲ることを交換条件にしてもいい。そうやって、どちらかを我慢することなく「両方」を手にする思考を昔からしていたのだろう。
『僕らの魂が地球に放り込まれた理由』
知恵神
いいと思います。
Qさん
ですよね、どちらかを犠牲なんて言うと、何もできなくなりますから。ほしいものはすべて手に入れるやり方を考える。
知恵神
そうです。ようするに「脳」の問題なのです。「どちらか脳」と「どちらも脳」、これは生育過程で培われます。「どちらか脳」は常に犠牲や条件を強いられ、より高い価値を手にするために、ちょっと低い価値を犠牲にする。それはそれで社会的で賢い思考法のようですが、本音のところは両方欲しいはず。なので「どちらも脳」にすればいいだけなのに、反射的に「どちらか脳」が働いてしまうのです。
Qさん
どうすればいいのでしょうかね?
知恵神
すべてに通じることですが、「無意識」を「意識」化すればいいのです。つまり、両方欲しい、どちらが犠牲になると思ったケースで、「どちらも脳」のこの話を思い出せばいい。たとえばこんなケースはどうでしょう?
付き合っている彼氏がいるが、両親が病弱で面倒を看なければいけないので結婚できない。彼は同居には大反対。
Qさん
この方は結婚したいのですよね。結婚したら両親と離れる。両親と一緒だと結婚できない。同居ができないって前提ならどうしようもないですよね。彼に同居を許してもらうよう説得する、とかじゃダメなんですよね。
知恵神
ダメです。確かに状況だけみたらどうしようもないです。ここで「どっちも脳」を思い出す。自分は何を求めているのか。両親と同居したいのか。そうじゃなく、安心したいだけだ。だったら単に「近くに住む」でいいのかもしれない。
Qさん
彼が遠方だったらどうすればいいですか?老人ホームとかはなしで、両親もその方と暮らしたいのです。僕なら高次の価値は「結婚」で、結婚しないで両親と一生同居は諦めますが、これってどちらかを犠牲にすることになりますよね?
知恵神
現象だけ見たらそうなりますし、確かにどうしようもありませんよね。つまり、AかBか、どちらかを絶対に選ばなければならず、同時に満たすことは不可能。しかし同時に満たしたい。その時にAとBを超越するCを考えるのです。
Qさん
でも、AとBは絶対に両立しないのですよね。さっきも言ったように、彼と両親が同居なんて着地はなしで。
知恵神
AとBは「今」にあるのだけど、ここで時間軸をずらしてみればいい。つまり10年後のAとBを考える。Aが結婚、Bが両親としよう。その時、どうなっているのがベストか。
Qさん
時間軸をずらすと、もしかしたら10年後、両親はお亡くなりになってるかもしれないし、自然の摂理からすれば自分よりは早く亡くなる。その時まで結婚を待ったとしても、彼が待てるかわらないし、他にもいろんな問題がありますよね。
だとすれば、まあ、僕ならですがまず「結婚」してから考えるかもしれません。一番避けたいパターンは10年後に両親がいなくて、独身って状況だとすれば。
知恵神
それも一つの「C」ですよね。つまりまずは結婚してから考える。けど、10年後も独身であるのも、その人が良ければそれはそれで正解なんだ。自分にとって何が幸せか。たとえば10年後にどうなっているのが「幸せ」なのか?
ようするにね、「どちらも脳」とは「考える脳」ってこと。「どちらか脳」は選択の元で、考えてるようだけど、実は思考停止状況に過ぎない。犠牲や我慢がある限り、それはベストではない。だけど、自分にとって本当の幸せや価値を手にする時、犠牲は犠牲でなくなる。
このケースみたいに、形の上では結婚か両親かの「どちらか」になってるかしれないけど、自分にとって本当の「幸せ」がわかれば、すべては必然になるんです。そして心は穏やかになり、少なくとも目先に問題は解決に進み始める。
この場合、結婚したからと言ってどうなるかわからない。けど、10年後の本当の「幸せ」が結婚にあるのなら、まずは結婚の形をとって、その上で新たに考えればいい。自分にとって最高の「価値」がわかれば、あとはそこに向かって一歩進んで考える、一歩進んで考える。その繰り返しなんです。
Qさん
なるほど、つまり「考える」ってことなんですね。
知恵神
そうですよ。考えればね、たいていの問題は解決しますし、必然的なシンクロ、引き寄せが起こるもの。昨日、叶女神さんも言ってたように、「純粋」であれば、神さまは助けてくれる。ここでの「純粋」とは本当に「幸せ」に直結すること。自分にとって「幸せ」がわかれば、すべてはそこに向かって必然的に進んでいくから安心していいのです。どうせ良くなるし、なんとかなりますから。人生ってそんなもんでしょ(笑)
なるほど、「考える」のが重要ってことなんですね。今すぐにどちらかを選んで、どちらかを犠牲にするんじゃなく、考えて、考えて、考え尽くす。それが重要ってことなんですね。その意味では、ジャイアンは起業家として成功する未来(親の八百屋を継いでデパートにする)が漫画でも描かれていますが、乱暴者はともかくとして、成功する脳だったわけか。今回、些細なことですが、ブルネイと年間100日を両立しとうようと考えたからこそ次に進めるんだな。そんなわけで、明日で11回目の満行となります。おっと、福岡の月イチもお忘れなく。
■11月29日(木)/福岡/[月イチ]宇宙となかよし塾45~金運の法則(その1)
いろいろ、楽しくなってきましたね。ありがとうございました。
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