「運命」に翻弄される、その脱出方法は? 2018.10.16

滝行7日目。明日で満行ですが、今回は連日、イザナギイザナギでしたね。ちょっとあの話しようと思うのだけど、人って人生の中で同じことを何度も繰り返しますよね。この夏、そのケースをリアルにまた見てしまって、いろいろ考えました。


それは例のCDブックの件。残念ながら中止となったのですが、6月半ばくらいから、強烈に中止にしたくなったのです。理由はハッキリとはわからないのですが、「これは必ずもめる」と、そんな情景が見えてしまい。それからしばらく葛藤の日々が続くのですが、初心貫徹のイデオロギーのもと、乗り掛かった舟もあり、半分意地もあり、7月の頭に音源作成費としてまとまった費用を出しました。一般のサラリーマンの2~4か月分はあろうかとの額。これで一切合切、何も言わず、きちんと成果を出す。そこにフォーカスしました。


そしてレコーディング当日。もう、あり得ないことが起こっていました。いつの間にかエンジニアが変わっていたのです。当初予定していたエンジニアが、細かいことは割愛しますが「使えない人」でして、それにブチ切れたレコーディングメンバーが、別のエンジニアへとその場で依頼を出し、タイミングよく対応できた。その段階で嫌な予感はしたものの、私の方から出した費用で最後まで完成させる約束だったので、半分は見て見ぬふり。


そして1回目のレコーディングが終わり、まあ、案の定と言うか、またお金のことでもめ始めたのです。しかし新たなエンジニアは緊急の対応とのことで、お見積りも気を遣っていただいた。だから、予算内でできるはずだったのが、無理だと言われた。無理ならばその根拠を教えてほしいと当然に言う。すると、メンバーへのギャラと申告した額の半分しか支払われておらず、未払いもあった。つまり「懐に入れるため」の虚偽申告。


「信頼」だけで成り立つ仕事、ここがなくなったらこの企画は瓦解する。そして案の定、残りの費用も私的流用にて消えていた。この後もいろいろあったのですが、最終的に「損切」にて対応するしかなくなったわけです。投資的観点から、もちろん追加出資をする選択肢もありましたが、やはり投資的観点に立つと「損切」やむなしで、その選択は正しかった。いや、そもそも追加の話をすること自体が当初の「約束」とは違っているわけで。


で、不思議なことに、損切をしていくばくかの費用を失いはしたものの、その損失を上回る利益が入ってきたのです。中には忘れていたような収入まであり、世の中は上手くできていると思った次第。もちろん私的流用(横領)の分は刑事責任を含め、粛々と対応するとして、私は私で「やりたこと」をやり続ければいい。音楽への情熱も冷めたわけじゃなく、世の中には素晴らしいミュージシャンがたくさんいるわけで、その一つとして10月4日に開催し「言霊・音霊ライブ」は大成功。まずは来年に向けて、大きく花開こうとしているわけです。


思えば不思議なご縁です。問題が起こったレコーディングの前日、10月のライブが決まった。7月半ばにノリで立ち上がった企画で、初顔合わせが9月14日、本番は10月4日。思えばディジュのNATAさんと初めてお会いしたのは7月14日だし、「14」って数字がシンクロしているな。


それにしても真に不思議なのが、なぜにエンジニアが使えなかったのか。それはその方の技能ではなく、手続き的な不備があったこと。普通はそんなことはあり得ない。もし、あの時、手続きが順当であれば、少なくともエンジニアが変わるなどの不測の事態は生じず、一応は進行するはずだった。しかし、事態は順調でなかった。


一応ここからは私の「空想」であり、いや、そもそも上記の話も「どっかで聞いた話」なのですが、ともあれ。この「不測の事態」は本当に偶然なのか、ということなんです。どっかで聞いた話によると、昨年も、その前も、似たような話があり頓挫していたらしい。そしてほぼ100%、理解者だった方から見切りをつけられている。つまり「同じようなこと」の繰り返しで、私もそのことは薄々わかってはいたのですが、そんな「運命」への挑戦のつもりで、私は私でまとまった額をお渡ししたわけだ。


しかし、「運命」を変えるのは他人ではなく本人。わずかなお金に目がくらみ、本当に大切なことを犠牲にしてしまう。もしもあのとき、自分に繰り返されるパターン、つまり「運命」に対し自覚的であれば、わずかなお金を求めるのではなく、大きく未来を見て、何も言わずに進めていけたはずだ。


そうすればこれから先、音楽家として新たなステージに進むところだったのが、またも「運命」に翻弄されてしまった。これまでの共演者からは去られ、ライブハウスからは出禁となり、「大きな一歩」の可能性が、予定調和的な後退へとさらに進めてしまったわけだ。


「運命」とは何か。「宿命」と呼ばれるものは、例えば親兄弟、出身、生年月日など変えられないものであるのに対し、「運命」はいつでも変えられる。しかし、歳をとればとるほど「運命」の壁は厚くなり、変えるのが難しくなるのもまた事実だ。だけど、チャンスはやってくる。同時にまたお試しもやってくる。不測の事態が生じても、嘘をつかず、誠実にやっていれば、そのチャンスは大きく化けていたであろう。


ただ一方で、私には私の「運命」もまた明らかになった。それは「慎重であれ」との教訓だ。これまでずっとノリで生きてきた。「やりたい」と思ったら即実行。「行きたい」と思ったら、ほぼほぼ行ってきた。自己啓発書には「迷ったら実行だ」と書かれているのもあるけど、私の場合は「迷ったら一晩眠れ」だろう。この決断力、実行力は、もちろんプラスに働いてきて、だからこそいろんな「形」を作ってきたのだけど、これから先は一歩引いて物事を考える必要もあるんだな、と思った次第。それが私にとっての次のステージになるわけです。


人生において同じパターンを何度も繰り返す。それを「運命」と呼び(「人生脚本」とも呼べる)、人は運命に翻弄される。もちろんいいパターンであれば、そのまま受け継いでいけばいいけど、そうじゃないのであれば、まずは「自覚」すること。そして「運命」と戦おうとせず、冷静に見つめてみる。自分でわからなければ、専門家に聞いてもいい。有能なコーチやセラピストであれば、きっと助けになってくれるでしょう。


自覚し、冷静であれば、いつもと違うパターンを採用することもできる。すると、「運命」はガラッと変わり、幸運の女神が微笑み手招きしてくれる。いずれにせよ、私に限らず「冷静」であることは重要なんでしょう。そのために必要な習慣があるとすれば、一つは自己省察を目的とした「瞑想」であろう。日々、運命に翻弄されていると、瞑想の時間さえ取れないことがある。だからこそ、「瞑想」が必要であり、一日15分、できれば朝の時間に15分間、または忙しい時にこそ15分間、何もせずに、スマホも切ってじーっとたたずんでみてはどうでしょう。


今日も神社に行きました。イザナギの神様が禊の時に「住吉三神」を産みだされた、その最も古い神社がここ。
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最近、毎日ここでぼーっとしています。そんな時間を大切にしています。そしていろんなインスピレーションがやってきます。アイデアを形にする。私の武器はこれだけど、今後、いろんな方面に、いろんな形で、もっと大きく展開するんだろうな。そんなビジョンが見えてきました。ところで頓挫したCDブックの件、どうなるのでしょう。いやいや、転んでもただでは起きない私ですから、面白い展開になることでしょう。明日の早朝で満行となります。ありがとうございました。

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by katamich | 2018-10-16 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)