イザナギから教えてもらったお金のマントラ 2018.10.14
2018年 10月 14日
現人神社に行くことを習慣にして三日目くらいですが、いきなり脳に届きました。もう今さらですが、よくあります。ここ数年、加速してきました。こんなのを世間では「~症」とかって言うのでしょうが、だったら私の周りは「症」だらけです。直感ともインスピレーションとも言いますが、夜などはわしゃわしゃ魑魅魍魎な声が「聞こえる」ことがあるので、そんな時はジャズでリラックスです。
「黄泉の国(よみのくに)」って「お金の国」だったんですね。イザナギとイザナミの話、よく読まなくとも、結構、ひどい話です。イザナギが「火の神」を産んだときに産道を火傷して、それが元で亡くなってしまった。そうして「あの世(黄泉の国)」に行ったのですが、イザナギはイザナミのことが忘れられず、その一歩手前まで行った
そこでイザナミから「ちょっと待って、見ないでね」って言われた約束を破り、見てしまったら、なんか醜い姿になってて、冷めてしまったばかりか、岩を立ちかけてシャットアウトまでする始末。これってどうでしょう。純粋な意味での「愛」じゃないですよね。本当の「愛」だったら、相手がどんな姿になっていようと関係ないはず。けど、こんなところもまた日本神話の「人間臭い」とこでしょうか。読めば読むほど笑えるエピソードばかりで、一神教の国みたいな「こうあるべき」の理想を押し付けるようなものでもない。
イザナギは何のために「黄泉の国」まで行こうとしたか。一言で言うと「欲」のため。しかし、イザナギの変わり果てた姿を見て、なんとなく冷めてしまった。これはそのまんま「金銭欲」にも言えるわけです。
人はお金が欲しくて「黄泉の国」、もとい「黄金の国」に行ったのですが、そこはもう想像を上回る「欲」にまみれた世界だった。みんな金、金、金で血眼になっており、他人を騙すとか当たり前。それでも割り切って、稼ぎまくって、稼ぎまくって、その国で恨みを買いまくって、これはヤバいと飛び出したものの、やくざ屋さんなどが追ってきて、「これから毎日1,000円払え」と言うのに対し、「だったらオレは1,500円稼いでやる」と言い返した。
これは言うまでもなくイザナミが「毎日1,000人を殺してやる」と言ったのに対し、イザナギが「だったら毎日1,500人産んでやる」と言ったことへのパロディですが、ここから「商売」の基本が成り立つのです。つまり、1,000円使って1,500円稼ぐ、500円の利益。最初に1,000円を払わなければ、利益を得ることができないってわけ。
そんで、やくざ屋さんに追われたイザナギはある程度はお金を稼いだものの、「黄金の国」で稼いだお金は、そんなにきれいごとばかりじゃない。これはまさに実社会そのもの。
「お金」それ自体は無味無臭で、言ってみれば単なる数字であり紙切れ。けど、そんな数字に対し、人々は目の色を変えてしまう。お金のためなら平気で人を裏切るし、汚いことに手を染める人もいる。そこでどんなにお金を貯めこんだとしても、「穢れ(カルマ)」を残すことになる。この「穢れ(カルマ)」は三代前、三代先にまで影響が及ぶ。
たとえばどんなにどんなに頑張っても、お金が貯まらない人がいる。以前の私はあまり信じてなかったのですが、ここ最近、そうもいかなくなっている。間違いなく「先祖」のカルマがあるのです。そしてこれがカルマの正体。右のがそう。
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本来はきれいな「〇」の状態が、ご先祖のカルマによってイビツな形になっている。もちろん「自分の代だけ」のカルマもあれば、世代を超えたカルマも存在する。とりわけ、「お金」はエネルギーをもろに吸い取ってしまうので、世代を超えて続くこともある。それってどうしようもないのか。実はそんなことはない。
カルマは世代を超える。だとすれば、その初っ端もあるはず。おじいちゃんが受けたカルマはそのまた両親や祖父母、先代にさかのぼる。その先代もまた先代。ずーっと、ずーっとさかのぼるのですが、初っ端はどこか。もうお分かりと思いますが「イザナギ」です。
イザナギはイザナミの醜くなった姿を見て、気持ち悪くなって逃げてしまった。イザナミは悲しく、怒りがわいてきた。それでシコメを使ってイザナギを追いかけたのですが、岩でふさがれてしまった。イザナミの悲しみはどうなったか、これは「念」としてイザナギに残ってしまい、この念を「高天原~」で禊したわけです。
「お金」の話に戻りますが、私たちは誰ひとり例外なく「お金の念(穢れ)」を受けて生きています。それは日常の仕事においてもそうだし、先祖から受け継いだものもある。それがカルマ。そしてその「念(穢れ・カルマ)」が深ければ深いほど、ピュアなお金のエネルギーは入ってこない。それが貧乏の根本原因です。
と言うことは、お金に恵まれるには、「お金の念」を浄化すればいい。その一番の方法が「使う」ってこと。浄財って言葉がある通り神社やお寺では進んで喜捨すればいいし、アメリカのお金持ちなどは収入の1割を寄付していると言われる。
ヒンズーやイスラムでもバグシーシ(喜捨)の教えがありますが、それもまた浄化なのです。貧乏な人はお金を追うばかりで、浄化(浄財)することがない。
「お金が儲かったら浄化します」ではなく「浄化するから儲かる」のです。世の中のお金持ちは誰もが知っています。
人はお金を求めて「黄泉の国(黄金の国)」に行った。そこは「実社会」のメタファーであり、そこでいろんなことをしてお金を稼いだ。しかし、どうあっても「念」は受けてしまう。元をたどれば、それは「イザナミの念」だった。
そこで今日、現人神社でイザナギから教えてもらった「お金のマントラ」をお伝えします。それは、
「わたしを許します」
です。そう言えばQ州ツアーでチャールズさんも言っていた。身の丈以上の幸運を受け入れるマントラは「許します」だと。たとえば自分は「10」だとする。そこに10以上の幸運がやってくると、それを素直に受けとれない自分がいる。自分なんかにはもったいない、悪い気がする、などと考え、受け取ることに勝手に抵抗を感じてしまう。それって謙虚のように見えながら、実はすごく偉そう。せっかく天が幸運を与えているのに、自分で自分を許していないから、受け取ることができない。
「イザナギのように罪を犯した自分」を許せない。醜くなったイザナミを見捨ててしまった。そんなやつ、許すことができない。これは特に女性の方が実感あると思います。やっぱりイザナギ(男)・イザナミ(女)の話になると、イザナミは事故で亡くなって醜くなってしまったのに、それを捨ててしまうような男はやはり許せない。
この「許せない」って感情が「無意識」にずっと残っている限り、富を手にすることは難しい。相手に許しを求めるより、自分から許してしまった方が早い。だから「許してください」よりも「許します」が効果的なのです。
お金を稼ぎたい。もっともっと豊かになりたい。でも、自分には「罪、穢れ」があるから、そんな資格ない。それがどっか無意識に残っていると、現実もそうなる。「罪、穢れ」は古事記の時代からある。今も残っている。そんな自分を許すのです。
わたしを許します
わたしを許します
わたしを許します
イライラするようなことがあったら、こう3回ほど唱えるといい。そして上記のイビツな図形がきれいな「〇」なるイメージをすればいい。それが言葉による浄化の基本。もちろん「禊祓い」の祝詞を唱えるのもいい。なんだかんだ、私がこれまで15年間、こんな生活でもやっていけたのは、滝や祝詞、真言でずっと浄化していたからかもね。
まだ年収一億円になるほどまでは自分を許してないけど、そのうちそうなるでしょう。浄化、浄化、浄化、楽しく浄化。そんなとこで。ありがとうございました。
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